「頭が混乱して整理できない」
「考えているうちにこんがらがってしまう」
……といった思考に関する悩みの多くは、思考というのを自ら複雑にしているから起こります。
そこで、具体的にはいろんなコツがあるのですが、その前にまず
「そもそも思考というものをもっと簡単に捉える」
という方法をお話ししようと思います。
- 「それは在る」を読んで思ったこと
- 「思考停止という病」を読んだときに思ったこと
- 「超雑談力」を読んだとき思ったこと
- 「苫米地英人の金持ち脳」を読んだとき思ったこと
- 「リフレクション-内省の技術」 を読んだとき思ったこと
- 『理想の人生をつくる習慣化大全』を読んで思ったこと
パッケージ・タスク化する
思考を簡単にするための基本的なポイントは、端的に言って
「メタ思考を同時に行わないこと」
です。
……と言っても意味不明かもしれませんが、もっと実際的な言い方をすると
「考えようとしている内容を、まずパッケージタスク化すること」
ということになります。
パッケージ・タスクとは
たとえば数学の問題に代表されるような外部から明確に与えられた課題や問題というのは、たいていあらかじめ
「明確な問題の提示」
と
「想定される解法」
「決まった解答」
がセットになって準備されていますよね。
問題を解く人からは見えていなくても、それは必ずどこかにあります。
つまり必ず正解があります。
だからこの場合、考えるというのはその用意された解答を探すというのと同じ意味ですよね?
このような種類の問題を私は
「パッケージ・タスク」
と呼んでいます。
学校の授業で習うことや、試験問題などは明確にパッケージ・タスクです。
また、たとえば職場で上司からの指示によって行うような定型的な業務があります。
これもたいていの場合、指示している側の人は
「こういうやりかたで」
「そして結果はこうなるように」
というのを最初から想定して言っていますよね?
ときには
「自分の頭で考えろ!」
とはっぱをかけられたりもするわけですが……でも、そうは言ってもやはり指示を出した上司は内心では望ましい結果を想定していますよね?
仮に自分の頭で考えるとしても、指示した上司の意図とまったく違った結果になるようなやり方は事実上許されていません。
すると、この類の指示もやはりパッケージ・タスクとみなすことができます。
つまり、あらかじめ結果や答えが決まっているタイプのものをパッケージ・タスクと呼ぶことにします。
思考が逸脱する理由
ところが、日々実際に起こる事柄、私たちが考えなければならない問題というのは必ずしもこのようなタイプのものばかりではありません。
だから、先ほど定義した意味での「考える」という行為、つまり純粋な思考という範囲から逸脱してしまうことにもなるわけです。
では、そういった場合の思考というのは、たとえば数学の問題を解くというようなパッケージ・タスクの場合と何が違うのでしょうか?
すると次のような点が挙げられます。
① 未知性
問題があらかじめ明確に設定されているわけではない
解法が予定されているわけではない
必ずしも唯一の正解があるわけではない
答えがあるという保証もない
② 恣意性
行為者によって物事に対する認識自体が異なる
行為者の欲求意図に沿って異なる方向に誘導される
結論を出そうが出すまいが行為者の自由である
これらについて考えることにはすでに一種の「メタ思考」が含まれてくるわけですが、それが思考をややこしくしている原因です。
……ということは、もしも日々雑多な問題を考えようとする時に上記の
① 未知性
② 恣意性
を排除することさえできれば、すべての問題は「パッケージ・タスク」化できるということになるのです。
未知性の排除
未知性とは、あなたが今考えようとしている対象について
「明確な問題があること」
「想定されている解法があること」
「予定された解答、結果があること」
の中で、どれか一つ以上が分からない(存在するかどうかが定かでない)状態のこと。
言い換えれば、それ以外のメタ的な要素が同時に含まれているような形をしているということです。
仮に、今自分が詳しく知らないとしても、それらがきっとどこかに存在するだろうと予測が立てば良いのです。
そもそも思考した先に何らかの手段や方法、それに答えといえるような選択肢などが
「存在するかどうかも疑わしい」
というような形ではダメだという意味です。
もしそうなら、まず対象そのものについて思考する前に、まず問題そのものを
「解法が想定できるもの」
「正解が存在すると推測されるもの」
として把握し直さなければなりません。
これができるなら思考が明快に進められるはずです。
問題を思考の俎上に載せる作業
同じことを繰り返しますけど、思考する対象について
「明確な設問に置き直すことができる」
「それを解決するための選択肢を少なくともひとつ以上挙げ得る」
「選択肢のうち、必ずどれかが選ばれる」
という流れが見えているならば未知性は排除されています。
たとえば、解法や解答がまったく想像もつかないような問題があったとすると、それは当然そのままの状態では分析のしようもないし、何も選択できないのでそもそも思考したくても思考の対象として扱いようがないわけです。
つまり、そもそも設問として明確に示せない問題にはだれも答えることはできません。
私たちは「パッケージ・タスク化」を省略している
ところで、今言ったように本来は思考そのものを始める前にその対象に関する問題そのものを
「パッケージ・タスク化」
するという作業が必要なのですが……私たちはもちろんふだんそんなことをあまり意識的にやったりはしていませんよね?
実は私たちにとっては、多くの場合「問題をパッケージ・タスク化する」という行為はむしろめんどうくさくて非効率に思えることが少なくないのです。
つまり、そんなことしなくても対処できる場合も多いわけです。あるいは、そこまで明確に思考すべきだという自覚がない場合も多いです……日常的な些末な問題では特に。
しかし、本当は
「パッケージ・タスク化」
をしてから思考に入るという手順のほうが原則なのです。
つまり、それは多くの場合に省略されているというだけなのです。
これを料理になぞらえてみるなら……パッケージ・タスク化というのは、いわば鍋を火にかける前に材料を全部包丁で切っておくというような行為に当たるでしょう。
手順から言えば、まず材料を切っておく。料理番組みたいに。それから鍋を火にかける……このほうが安心です。こっちのほうが正しい手順です。
……けれども、料理自体に慣れている人、料理の上手な人にしてみれば実際には同時進行で行ったほうが効率良く思えるでしょう?
それでも十分手が回るし、鍋のお湯が沸くまで時間がかかります。わざわざそんなことするの時間のムダみたいに思えますよね?
本当は先に下ごしらえを全部済ませてから鍋に投入し始めたほうが確実なのだけれど、
「めんどくさいし非効率」
に見えます。
パッケージ・タスク化しないでいきなり思考を進めるのはこれと似ているのです。
ただし……そう感じるのは
「すでに料理に熟達しているから」
です。
同じようにですね……。
たとえば長年繰り返しやっている仕事の範囲内で起こった問題などの場合には、私たちはいちいち
「未知性の排除」
とか
「パッケージ・タスク化」
などといったことを明確に区別して意識的に行うまでもなく、ほぼ自動的に、しかも一瞬にしてすごく信憑性の高い判断を下すことができますよね?
「ああ、それは……いいからそうやっとけばいいんだよ」
って即断してもたいてい間違ってないですよね?
それはあなたがそのことに熟達しているからです。
あなたがすでに慣れ親しんでいる分野で、その範囲でひんぱんに起こる個別の問題に直面したとき、あなたはおそらくいちいち形式的に
「問題自体を把握して明確に設定し直して」
「解決方法を複数列挙して」
「最善の策をひとつ選ぶ」
……なんて手順を踏まなくても、たいていうまくこなすことができます。
これは言いかたを変えれば、あなたはその分野で起こり得るたいていの問題についてすでにパッケージ・タスク化を済ませているということです。
だからこそ即断できるわけです。
一般に仕事のスキルとか大局観と呼ばれるようなものは、つまりパッケージ・タスク化の体系的な、そして経験的な蓄積のことです。
……ただし、問題は、それは非常に限定された既知の範囲でしかうまく機能しないということなのです。
あなたはその特定の分野に関しては繰り返し収斂してきたから同時進行的な思考に耐えられるのだけれども、自分が熟達している分野以外の問題について考えなければならない場面でも、たいていの場合パッケージ・タスク化を経ずにいきなり思考そのものに入ってしまいます。
いつもそれで十分うまく行くし、そのほうが楽だと感じているからです。
しかし、
「頭が混乱して整理できない」
「考えているうちにこんがらがってしまう」
……といった状況では、問題は往々にしてパッケージ・タスク化の省略にあります。
そこで、あえて問題そのものを考える前に
「問題を明確に設定する」
ということを考えます。未知性を排除したいわけですからここで言う問題の明確さとは
「解決方法が必ずある」
「最善の答えがどこかに存在する」
という予測が成り立つという意味です。
逆に言うと、解決方法が想定できるような問題に置き換える必要があるという意味です。
そのためにはひとつの問題をもっと具体的な複数の問題に細分化しなければならない場合もあります。
まさに具材を下ごしらえするように、今考えようとしている問題自体を
「解決可能な問題の集合」
として捉え直さなければならないということです。
問題の明確さ、具体性
簡単なコツですが、今考えようとしている問題が、十分に明確で具体的なものになっているかどうかを考える目安は
「それをそのまま他人に言ったときに、その人は想定通りに思考できそうか?」
と想像してみることです。
「他人に言って伝わらないような問題」
「他人が聞いても答えようがないような問題」
「ごく抽象的な答え方しかできないような問題」
……だったら、そもそもその問題は思考できる形にはなっていないと判断できます。