目標設定に関する基本的な考え方として
「できるだけ高い目標を設定したほうがいいか?」
「実現可能な程度の目標を設定したほうがいいか?」
……という2つのうち、どちらがより有効かという問題があります。
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エドウィンAロックの目標設定理論とは
エドウィンAロック博士(Edwin A Locke)は、リーダーシップやモチベーション論の権威で、博士がレイサム (Gary Latham)らとともに著した
「目標設定理論」
は現在の目標設定に関する研究の基礎となるものと言えるでしょう。
ロックの目標設定理論では実験の結果から
「できるだけ高い目標を設定したほうがいい」
という見解が採られています。
エドウィンロックの目標設定理論の骨子
① より高い目標(困難さや、期限の短さ)のほうがパフォーマンスは高くなる
参考:https://edwinlocke.com/
② より明確な目標(数値化、基準)のほうが達成率は高まる
③ 本人が納得して受け入れた目標(コミットメント)でなければ効果はない
④ 適切なフィードバック(進捗のチェックやペースメイキング)によって達成率は高まる
これが目標設定に関する考え方として主流となっています。
低すぎる目標の問題点
自然に考えても、あえて低い目標を設定したら、それに合わせて時間や労力が非効率に用いられることになりそうだという想像は付きますね?
ゆえに、目標はできるだけ高く設定したほうが良いという結論は妥当に感じられます。
しかし、当然このように感じる人もいるはずです。
「あまりに高すぎる目標を設定したら、モチベーションが下がってしまうのではないか?」
と。
たしかに、実感としてその意見にも一理あるように感じられます。
そこで重要なポイントとして挙げられるのが
③ 本人が納得して受け入れた目標(コミットメント)でなければ効果はない
という点です。
つまり、ある程度高い目標であっても、実行する本人がそれに自ら納得して、主体的に取り組む意思がある場合には、それは効果的であるということです。
逆に言うと、仮に客観的に見て、あるいは周囲との比較で相対的に見てそれほど高い目標とは言えないような場合でも、本人がそれに積極的にコミットしなければ、達成率は著しく低下するということです。
……これも、自然な実感と一致しているように思えますよね?
ストレッチ目標とは?
そこで、今ふつう多くの企業などで、社員の目標管理の手法として見られるのは
「本人がコミットしやすく、かつ低すぎない程度の目標」
を設定することです。
「ストレッチ目標」
「チャレンジ目標」
と呼ばれたりしますが、要するに、努力すれば十分届きそうな「少し高い目標」を設定するわけです。
エドウィンAロック博士の実験
ここで、ロック博士が行った典型的な実験のひとつは
被験者(たとえばある企業の従業員など)を
「高い目標を設定したグループ」
「低い目標を設定したグループ」
に分けて、それぞれが出した結果を比較検証するというものです。
この前提で実験したとすると、結果としてより高いパフォーマンスを発揮した人が「高い目標を設定したグループ」の側に偏るのは、ある意味当たり前かもしれません。
だって、もしその目標を本人が自分で設定したのなら、そこには初めからその人の能力や、過去の実績や、自己効力感の高さといったものがすでに織り込まれているに違いないからです。
……これだと
「もともと高い能力を有する人は」
↓
「相対的に高い目標を設定することが多いから」
↓
「結果として、相対的により高いパフォーマンスを発揮する」
と言っているにすぎないというようにも思えますよね?
では、各自が自分で目標設定するのではなく
「全員に一律の目標を与えた」
とすればどうなるでしょうか?
たとえば、
「今月の契約件数の目標は10件」
「成約100万円以上必達」
このような一律の目標を全員に与えた場合、実際の状況を想像すると……おそらく、もともとそれくらいの目標なら余裕で達成できるという意識の人は、当然それくらいの達成率を示すでしょう。
ただし、この場合には、それ以上に余計に達成しようというインセンティブが働かない可能性があります。
「それくらいでいいのなら、それくらいにしておこう」
とするわけですね。
一方で、初めからこんなに高い目標は達成不可能だと考えて、早々に諦めてしまう人も出てきます。この人にとっては、この高い目標は
「コミットできない非現実的な目標」
にしか見えません。だから、そもそも達成しようとは思わないでしょう。
そして、両者の中間に位置する、もう少し頑張れば達成できるかもしれない人たちは、個別に言えば、すごく頑張るかもしれないし、少しは頑張るかもしれないし、頑張らないかもしれない……。
こんな状況が予測されます。
となるとこの場合、この目標には第一のデメリットとして
「目標より高い達成が期待できる人の成果が制限される」
という問題があります。一方で、それなりに
「頑張ろうとする人も出てくる」
というメリットがあります。
大まかに言って、このプラスとマイナスの効果のバランスが全体の達成率やパフォーマンスの高さを決定します。
で、全体により高い目標を設定した場合、上のデメリットがそれだけ減少します。たとえば、今までにだれも達成したことのないほどの異常に高い目標を全員に与えたとすれば、余裕すぎるので成果を制限しようとする人は皆無となるでしょう。
しかし、一方では早々にあきらめてしまう人の割合も増えるでしょう。つまり、コミットできる人自体が少なくなります。
ロック博士の実験では、明らかに非現実的であるような「一定限度を超えたレベル」に達しない範囲では、できるだけ高い目標を設定するほど有効という結果が導かれました。
この結論は上のような推論とも合致していますね。
よって現実的には、より多くの人がコミット可能で、かつ成果を制限しようとする心理が働かない程度の
「妥当に高い目標」
を個々人に対してそれぞれに与えるならば、全体としては最も有効という話になります。
それが、いわゆる
「ストレッチ目標」
「チャレンジ目標」
ということですね。
個人のコミットメントの前提
さて……会社自体の業績とか、経営上の問題とは別に、私たちがここで考えたいことは、今設定しようとするその目標というのが
「会社など、他者から与えられた目標」
である場合と
「自分に関して、自分で設定する目標」
の場合で、どう違うかという点です。
単純に考えると、自分事の範囲で自ら目標を設定するのだから、その場合には当たり前に
③ 本人が納得して受け入れた目標(コミットメント)
になると決まっていると思うかもしれませんが……実際のところはそう簡単には割り切れないもので、私たちは現実には自分で設定しておきながら
「まったくモチベーションが上がらなかったり」
「途中でやめたくなったり」
「なぜこんな無理な目標を立てたのか、と自分で思ったり」
します。
これが常に私たちの悩みの種なのです。
自分で設定したとしてもそれを達成しようという気持ちが湧かないのであれば、事実上コミットメントが成立しているとは言えませんよね?
コミットメント(commitment)というのは、ふつうに言えば「誓約」とか「責任を持つこと」といったような意味ですが、私たちはたとえ自分で言ったことだとしても、必ずしもその通りに実行するとはとても言えません。
その場合、それは自分のコミット力(たとえば能力とかスキル、知識、やる気や精神力……)に問題があるという面もあり得ますが、同時に
「そもそも目標設定の仕方に問題があった」
とも考えられます。
すると、自分で設定した場合でも、自分が思うより少しだけ高めの目標を設定するのが最も効果が高いということは原則として同じように言えるでしょう。
しかし、たとえば成功哲学書などでは
「実現できるような程度の目標では、効果がない」
「今の自分とかけ離れた目標を決めなさい」
……と勧めているものも多いです。
ロック博士の研究による目標設定理論ですが、この面から考えてみるとどうなるのでしょうか?
多くの成功哲学書が支持しているように、むしろ一見不可能と思えるような、現実感のない単なる空想のような目標をただ作ったとします。
しかし、目標設定理論によれば、それに自らコミットし現実に達成するのは困難であるという話になってしまいます。
ここで思慮が必要になるでしょう。
会社でのノルマや期初に掲げられるコミットメントのような、他人から課された目標と、自分自身が望むものを得るために想定するもっぱら自分のためだけの目標との大きな違いは何でしょう?