目標というのは実体的な「事実」「状態」「条件」「基準」といったものについての望ましい想定のことです。

もちろん、実体とは言っても、それは未来に予測されるものですから、ある目標それ自体が実際に実現されるかどうかは分かりません。それは未知です。

しかし未来のいずれかの時点において、それが「真か偽」のどちらかになるということはすでに決まっているわけです。

この意味で実体的であるということができます。

……というか、実体として真偽が客観的に判定できることが「目標」が成り立つ条件だと言えます。

「結束点」

他にちょうど良い言葉が見つからなかったので……あえて「結束点」などと難しい感じで言ってしまいましたが、これは何かを紐とかロープとかで

「縛っている部分」

のことを言いたかっただけです。

目標とは何か?

目標を意識的に決めようとするとき私たちは最初は漠然とした「目的」を感じています。

その目的というのは、他の言葉で言うなら

「欲求・願望」
「動機・意志」
「希望・野心」

とか、他にも内面的にはいろいろに感じられるもののことなのですが多くの場合それらはどれかひとつが完結した明確な形として心の中に浮かんでくるわけではなくて、むしろごく曖昧な部分が多く、しかもいろんなことが互いに絡み合ったり折り重なったりするような感じで意識に現われます。

目的というのはもともとそういう主観によって出てくる、そもそも抽象的な「概念」ですので、それ自体をありのまま言葉や数字といったものによって指し示すことが実は困難なものです。

しかし、もちろんそのままでは私たちはそれを自分の行動などに反映することができません。よって実現することができません。

だから、その抽象的な目的を、より明確な

「現実に現われる事実」

として認識できる形のものに置き換えなければならないのです。この置き換えたものがいわゆる「目標」です。

「目標」による結束のイメージ

上の意味で目標というのは、私たちが頭の中でいろいろ考えている願望とか理想とか望みや意志といったもろもろの取り留めのない多くの意識を寄せ集めてひとつの

「束」

にまとめるような意味を持つものです。

個人の中にもたくさんの意向や思いというものがあって、それらはそのままでは互いに矛盾したり方向性が定まらなかったりする場合も含めて

「ばらばらな、それぞれがただ主張し合うようなもの」

に過ぎないわけですが……それを目標というより実体的な、明確なものとして束ねる必要があるのです。

それが結束点という意味です。

自分の人生とか、あるいは会社などの組織で抱える場合にもそうですが、そうしなければ私たちは何を目指して行動したら良いのか迷ってしまいます。

または特に、何か特定の状況を実現させたいとき。

あるいは、とにかく今の状況が良いとは思えないから何とかして改善したいとか。

……そういう時に、都度それぞれに浮かび上がってくる「気持ち」に合わせていつも右往左往していては、私たちは自分で自分を導くことが難しいです。

だから、それらをいったんギュッとひとつに束ねるんです。

そして、内面だけのことではなくて、それをあるきちんと定まった方向へ事実として反映する必要があります。

そういう時に必要になるのが「明確な目標」です。

もちろん、自分の中ではじめから明確なものとして特定の「状況」が思い浮かんできたなら、それをそのまま「目標」と定めても構わないわけです。

その場合、本人にとっては「目的」と「目標」というのをあえて言葉の上で区別する必要性も感じないでしょう。

ただ私たちは常にそのように自分自身の意識や意思を自覚できる場合ばかりではありません。

むしろ、多くの場合私たちは無理にでもいったん「目標」を定めてしまうことによって初めて自分の意識や意思に気が付いたりします。

この意味では、目標は達成することに意味があるばかりではなくてそもそも設定することだけでも重大な意味があるわけです。

明確で客観的だから他人と共有できる

人の内面は当たり前ですけど様々です。

それを完全に他人に伝えることは困難です。それどころか、自分自身がそれを明確に自覚することさえ非常に難しいものです。

とにかく「目標」をある明確なまとまりとして確定することで初めて他人とそれを共有することが可能になります。

つまり、人と人とが協力して何かを行うとき、目標というはっきりした基準や条件が掲げられていることで、私たちはそれぞれが感じている「目的」を明確な形で結集することが可能になります。

その意味で言っても、目標は結束点なのです。