目的意識とは、行動の目的を明確に意識することです。
職場でも、しばしば
「目的を考えて仕事をしろ」
「目的意識がないから成果が出ないんだ」
と言われたりしますが、人によっては、目的意識といきなり言われてもピンと来ないこともあるでしょう。
そこでまずごく端的に言えば、目的意識を持つ意味は
① 目標を設定する前提として置くため
② 思考や行動をより効率的にするため
③ 今現に行っていることの意味を問うため
だということになります。
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目的意識とは、目標設定ではない
目的意識とは文字通りの意味だと
「行動の目的を明確に意識すること」
というふうに定義できます。この定義を見ると人によっては
「目標設定と同じような意味だ」
と考えてしまうかもしれません。
また、実は、目的意識を持て、と言われていたとして、言われた本人が仮にそれを
「目標を立てろということだな」
というふうに理解しても、他人から見たら区別が付かない場合もあります。
そのため実際混同されやすいわけですが……しかし、目的意識を持つ意味は「目標をもつこと」とは別のところにあり、むしろ「目的」と「目標」との関係を明確に区別して整理すると、結果的に目的意識を持つということがイメージしやすくなるでしょう。
目的意識とは? 目標設定とは?
さて、最初に挙げたように、目的意識を持つ意味のもう一つは
② 思考や行動をより効率的にするため
です。
もっと単純に言うと
「余計な行動をしないため」
です。あるいは、
「思考が無制限に拡散しないため」
です。
しかし、この意味では、一見するといきなり「目標設定」をした場合でも思考や行動は効率化されているように見えます。
目標があれば、そのことに集中しようとしますし、それについて考える時間も多く配分されるでしょう。あなたの実際の行動も「しっかりした」「迷いのない」感じになるでしょう。
だから他人から見ても以前より改善されたように見えることが多いわけです。
それはそれで前よりはマシだと言えるかもしれません……。
ところが、本当を言うとこの場合にはそれが
「本来の目的に対して効率化されているのかどうか?」
と考えるとかなり疑わしいのです。
目的から行動を決める
分かりやすく極端な例を言いますが、たとえば、あなたが今、仮に電車の中に貼ってある広告や、YouTubeの動画でも見ていてふと、
「英会話の勉強を始めようかな」
と思いついたとします。
しかし、それは直接には、あなたにとって何の意味がありますか?
つまり、それをするそもそもの目的です。
もしあなたが今の仕事ですでに英語を使わなければならない場面が多くあって困っているという状況だったら、もちろんこれは
「今の業務上の問題解決」
のためですよね?
しかし、別に今どうこうというわけではない、でも、もしかすると
「将来役に立つかもしれない」
と考えているだけかもしれません。
たとえば、いずれは転職したいが、その際に必要になるとか?
あるいは、本当は前から憧れている職業があるとか、その方面のスキルを伸ばすことに成功したら、あらためてキャリアプランを練り直そうとか……。
あるいは、単に
「自分の可能性の幅をなるべく広げておきたい」
と考えて、試しに一度やってみようと思っただけかもしれません。
あるいは、日常生活が退屈だとか、上司に言われたからといった理由で
「とりあえず何か自己啓発的なことをしよう」
と思ったのかもしれません。
いずれにしろ、こういったことを考えて、自分なりに整理したり決めたりするのが
「目的意識を持つ」
という意味ですよね。
行動が先に決まっている場合
もしここで目標設定について述べるとすれば、まったく別の話になるでしょう。
たとえば
「英会話の勉強を始める」
ということがすでに決まっていて、そこから目標を設定しようとすれば、当然に
「じゃあ、いつまでにTOEICで何点取る」
とか決めて、期限と数値で目標を設定して、
「一日30分は勉強をする」
ことにして、まずは3週間継続する……とか、そういった話になりますよね?
でも、実はこれは「目的意識」について考えているのとは違いますよね?
つまり目標を設定したいときと、目的意識を持ちたいときとを比較すると、それはある意味でまったく逆の方向へ思考しているということにになります。
目標設定というのは、すでに「目的」が決まっている場合には、それを達するための手段のひとつと位置付けられます。
一方で、下の記事でも書いたのですが、実は目的がはっきりしない時にでも目標を設定すること自体は可能です。
または、ある意味
「目標を達成することそのものを目的化」
するのが有効な方法論と言える場合だってあるのです。
繰り返しますが、 目標を設定したい場合と目的意識を持ちたい場合とでは、思考の流れが逆なのです。
そこがはっきり区別されていないと目的意識を持ちたいと思った時に混乱に陥ってしまいがちなのです。
目的意識は階層化できる
たとえば、自己啓発とかスキルアップにしろ、あるいは情報収集したりする場合もそうですが、いきなり具体的に
「何しようかな~」
と考え始めようとするとたいてい混乱します。
なぜなら、それはほぼ無限にあって、選択する基準がないと、選ぶ理由がないからです。
ここでもし、先に「目的」が決まっているならば、そのために取るべき手段は無数にあり、いかようにも選択することができる、とも言えますね。
逆に言って、そこに目的意識がないと次から次へとただやみくもに試行錯誤したり、あるいは実質的に
「情報収集すること自体が目的化してしまう」
状態になるためにいわゆるノウハウコレクターになったりしてしまったりしがちなのです。
だからこそ
「目的意識を持て」
という言い方はそれに対する警鐘であることが多いわけです。
目的を絞るということの意味
しかし、次に問題となるのは、そもそも自分にとっての「目的」というのは、ひとつの行為に対してひとつに絞ることが難しい場合が多いという点です。
だから多くの人は、目的についてあれこれ考えるのを途中であきらめて、もう何でもいいから目標設定して、それによって意識を集中しよう……という考えに流れやすいわけです。
そこで、私は目的というものをいわば
「階層的なものとイメージする」
のが良いと思います。
階層的というのは、何段階かのレベルに整理してイメージできるという意味です。
別に厳密に理論的なものでなくても十分機能すると思います。要するに、あくまで主観的に、概念的に「階層のようなもの」をイメージするだけで十分なのです。
ここで大切なのは、目的(意識)を単純な一つのものに絞ろうという発想が実はおかしいということに気が付けるかどうかです。
もっと分かりやすく言うならば
「目的というのは点ではなくて線」
あるいは
「到達地点ではなくて方向性に過ぎない」
と表現しても良いかもしれません。
たとえば自己啓発の目的は?
……という場合、それは最も集約的に言うと
「自分を変え、人生を変える」
ということです。
しかし、これを単純に当てはめてしまうとすれば、これに対応する具体的な行為とは、あなたの人生におけるほぼすべての事柄ということになり、同時に目的は常に、どんな行為に対してもこれだけ、ということになってしまいますよね?
ですから、これをいくつかのレベルに分けて把握します。たとえば一般に自己啓発的な話題で良く取り上げられるものを考えてみれば、あくまで例ですが
「人生論」
↓
「メンタル」
↓
「思考法」
↓
「成功法」
↓
「労働観」
↓
「仕事論」
↓
「スキルアップ」
↓
「リテラシー」
という感じに階層になっている、とみなすことができます。
これらを
「バラバラな複数の目的」
として分類するのではなくて、積み重なった階層的なものだとイメージするのです。
あるいは、一続きになった「線」または
「道のり」
とみなしても良いです。
あるいは、自分自身の関心や動機に照らして
「人生の全体を見渡すため」
↓
「より成長するため」
↓
「周囲の環境や状況を改善するため」
↓
「今やっている行為に活かすため」
↓
「単なる知的好奇心」
というふうにイメージするのも良いでしょう。
繰り返しますが、人によって関心事や視点が異なるので具体的な内容は自由に考えていいんです。
いずれにしろ、これらの各レベルの「目的」というのがバラバラなことではなくて
「階層をなしているのだ」
とイメージすることです。
だから、たとえば
「この中でどれが自分にとっての本当の目的なのか?」
というふうに他を排除してひとつだけを選んで絶対化する……というような必要性はそもそもないわけです。
ただその上で、では今の時点であなた自身の目的意識をどのレベルに合わせるのが最も効果的かということを判断すればよいだけです。
自己啓発本は階層横断的に書かれていることが多い
ちなみに、多くの自己啓発本は、その性質上、つまりたとえばその一冊なら一冊で著者の言いたい内容がまとめて提供されているため、このように目的を階層として見た場合には各レベルに話が移り変わっていったり、広がって行ったり来たりするように見えることがあります。
あるいは、自分が今自覚的に重要だと思っている抽象度とは異なるレベルへと言説が集約してゆくように構成されていることが多いです。
実際には自己啓発本と銘打った本以外でも、市販の実用書、専門書や、果ては漫画でも雑誌でも結局何でもそうなのですが、少なくとも自分にとってはこの階層上のどこかに属する情報について書かれているはずです。
または、実は文字じゃなくてもすべての情報や経験がそういうふうに解釈できます。
しかし、その時に
「これは目的というものを階層的に見た場合の、どのレベルの話なのか?」
という視点でその情報とか、自分が今するべき活動などを見れば、どんなものでも自分の目的意識に合わせた解釈や選択、判断ができるわけです。
目的意識を持つというのは
「自分の目的意識が階層のような構造をしていると見做したときに、自分が今意識しているその階層からいつの間にか逸脱しないように意識する」
ということなのです。
重要な階層から逸脱しないようにする
今、自己啓発という例で言いましたが、実際には、日常あなたが行うさまざまな活動について、また個別の有益な知識や情報といったものについて、すべて適切な「目的意識」を持つことができるはずです。
ただ、その時に、それを情報単位で見れば、それはあなたが想定している目的意識の階層の中で
「どのレベルでも関係している」
というふうに見えるかもしれません。
しかし、上記の階層は主観的なもので、あなたはその具体的な事柄を
「今どの階層に当てはめて考えたいのか」
も自由に選べるという点を忘れてはいけません。
受け取り手があらかじめある特定の目的意識に限定してそれを解釈し、利用するならば……つまりあなたが主体的に
「自分は今、この目的に沿ってこの情報を見ているのだ」
というふうにはっきり認識するならば、その前提で情報に関わることになります。
すると、たとえば本屋さんで適当に本を眺めているとき、電車の「英会話教室」の広告が目に入ったとき、あるいは、たまたま今このブログを見てしまったときでも……。
特に目的意識がなければ
「あ、何かの役に立ちそうだな」
と感じて、とりあえず見てみるじゃないですか?
でもその時に、
「これって今自分が重視している階層の問題ではない」
というように感じられるとすれば、少なくとも今は不要だと見切ることもできるわけです。
たとえば今は具体的に
「今やっている行為に活かすため」
の情報が必要だと思っているときに、何となく漠然と
「単なる知的好奇心」
を満たせそうなものを買っても意味ない……っていうような判断ができるわけです。
たしかに、実際にはその情報自体は他にもいろいろな使い道があるわけです。その情報自体は。
でも、今自分がそれを必要としている理由というのは、それと関係なく自分で絞り込むことができるわけです。
たとえば今あなたが何か大切な人生の岐路に立っていて
「人生の全体を根本から見渡してみたい」
と思って情報を探しているときに読むべき本は……
「まあ、こんな本じゃないわな」
って判断できたりもしますよね?
その知識や情報が
「何に使えるか?」
にかかわらず、今あなた自身がそれを
「どう使おうか?」
というのは、ある意味勝手に決めていいわけです。
「目的意識を持ちなさい」と言われる意味
もちろん、あなたが今把握した階層、あるいは抽象度というのはバーチャルなもので、実際には物事はそれぞれ互いに密接に関連しているはずですし、本当はもともと一つしかないものを
「概念によって輪切りにしているだけ」
です。
あなたが実際に得た情報や、あなたがした活動はどれをとっても、本当はすべての階層上で何らかの意味を持たせることも可能です。
しかし、実態はそうでも、思考のやり方としてはそれではうまくいかない場合もあるということ。
それを一言で済ませるならば
「目的意識を持て」
ということになるのです。
思考というのは自然に任せておくと無限に拡散してしまう性質があります。
場面によってはあえて目的意識をあいまいにして思考を拡散させるように使う場合もありますが、ここでは、それが
思考の混乱を招いたり
目的を見失ったり
意欲が減退したり
おかしな判断をしてしまったり
……ということの原因にもなり得るという点を強調しておきたいと思います。
日頃から、
「目的意識を持ちなさい」
などと小言を言われることが多い人は、しばしばこの点を忘れているのです。
階層がずれていると噛み合わない
ふだん他人と会話する場合でもそうなのですが……お互いが意識している目的の階層が大きく異なるとき、同じ言葉を使い同じ内容について話し合っているのに
「話がどうも噛み合わない」
という状況が生まれます。
自己啓発本を読んでも役に立たない、というのはしばしば聞かれる話ですが、実はその理由の一つが今書いたことなんですね。
つまり、
受け手の問題意識や目的意識の「階層上のズレ」
です。
あるいは、最近しばしば聞かれる表現で言うなら
「抽象度が違う」
と表現することもできます。
そして実は、これは自分という一人の中だけでも同じように当てはまることがあって、たとえば仮に、最初はある特定の目的だけを意識していた場合でも、自然に任せていろいろな情報を見ているうちに
「どうせなら、得られるものならすべてを得たい」
「できることなら全部したい……」
というふうに思うことがあります。
自然に任せていると、目的意識がいつの間にか薄らいで見えなくなったような感じになります。
目的がはっきりしないまま多くの情報に触れるほど、たいていの人は次第に主体性を失っていきます。
いつの間にか次から次へと情報をため込んでいくだけ、あるいは右から左に流していくだけ、という状況になりがちです。
そのようなスタンスだから、自己啓発本は役に立たないということになってしまうのです。
ふつう、本でもテレビ番組でも映画などでも同じですが、情報を提供する側はなるべく多くの人に見てもらいたいので、たいてい意図的に、どうせならあなたがどんな状況でも、どんな問題意識を持ってるとしても関連があるかのようなフックを盛り込んでコンテンツや作品を作ります。
ですから、目的意識がはっきりしなければ、内容の流れに任せて思考が際限なく広がってしまうのはむしろ当たり前です。
そして、曖昧なままさらに情報を集めたり乱読したりするだけでは訳が分からなくなってしまうのも無理からぬことで、あえて自分の目的意識を絞ってから情報に触れるようにするとこれを回避しやすくなります。
まるでお店でお菓子を欲しがる子供がお母さんに
「ふたつもダメ! どれかひとつにしなさい」
って言われてるような感じですね。
言いつけを守れば、ちゃんとおやつが貰えるのです。
目的意識の未整理はあなたの思考を疲れさせる
一時期は熱心に自己啓発やスキルアップに励んでいた人が、いつの間にか目的を見失っていると、だんだん
「新たな情報に触れること」
や
「自分でものを考えること」
に疲れてくる場合があります。
以前は
「本気で成功したい」
「自分は絶対にいつか成功してやる」
と張り切っていたのに、そのモチベーションが消えかけて、いつの間にか成功すること自体を諦めかけている……そんなことはないでしょうか?
もしあなたがこの状態にいるとすれば、もちろん個別には多種多様な原因が挙げられるかもしれませんが、根本的な点をひとつ強調するとすれば、そこには往々にしてこの
「目的意識の拡散」
が原因になっていることがあります。
そもそも、もしかするとあなたは
「真の自己実現に近付くこと」
「自分自身が本当に望んでいること」
あるいは
「真の自分自身というものが、いったい何者であるのかを悟ること」
……たとえば、こういった事柄のいくつかを同時に人生の究極の目的だと認識しているのかもしれません。
またあなたは、たとえば
「成功」と「幸福」
とか、
「自己実現」と「自己改革」
「願望達成」と「真の自己の発見」
といった人生において大切な変化は同じ瞬間に起こるものと無意識にイメージしていませんか?
あるいは、それらは同じ現象を異なる側面から言い表しているに過ぎないというふうにイメージしているかもしれません。
しかし、これは大きな誤解かもしれません。
これらはそれぞれ、ぜんぜん別のことです。
いえ、そう考えるべきなのです。
たしかに、しばしばこういうパターンの成功体験とか、成功者の話などを聞くことはあるでしょう。
しかし、たとえ本人には結果的にそのように感じられる場合があるにせよ、あらかじめそのようなイメージをもつことは少なくともこれから成功しようと考えている人にとってはミスリードである危険性が高いと私は考えています。
そして実際には、
成功の本当の意味は、成功した後でないと自覚できないものなのです。
これは、たとえば「願望」「幸福」「自己」「人生」など、どれについても最終的にはいっしょです。これらは、とりあえず実現してみなければ「その実像を」語ることができませんし、それぞれの概念をうまく関係付けることも本当はできません。
あなたがどんな絵を描こうとしているのか、それはその絵を描き終えた後でないとだれにも(あなた自身であってさえ)見ることはできないのです。
目的意識を持たせるには?
目的意識、あるいは目的そのものが階層のような構造をしていると見做した場合、それは
「今重要な階層に目的意識を限定し、集中させる」
ということにもつながりますが、逆に考えると
「今意識している目的というのは、それがそれだけで完結しているような限定的なものではなく、その目的自体が、常に上位の階層にある、より抽象度の高い目的意識と、繋がっているものだ」
という意味にもなります。


つまり
「目的 ← 手段」
という見方は、実際には物事の、事実や行為の連鎖のごく一部を切り取って見た場合に当てはめられる概念にすぎません。
実際には、その目的はさらに上位にある目的との関係で言えば手段の一つとなるわけです。
他人に「目的意識を持たせる」ことの意味
このように考えた場合、他人に対して
「目的意識を持て」
ということの本質は、実はこちらが想定している「特定の目的」を、あなたにとっての目的の階層上のどこかに位置付けてほしい……と言っているのと同じことになります。
つまり、他人に目的意識を持たせるには、その特定の目的が、その他人にとって自明の、さらに上位に位置する目的から見た場合には、それを達する手段となり得るという事実を示せばよいわけです。
ということは、そのためにはまず、相手が明に暗に抱いている「その人なりの何らかの目的意識」が何なんのか、それをこちらが知る必要があります。
それに合わせたアプローチが必要になるわけです。
たとえば、金銭的な、経済的なメリットを「目的化」しているタイプの人に対しては
「この仕事を立派に成し遂げれば、昇給とか臨時手当といった直接的な実利を得ることができる」
といった点を強調すればよいわけですし、精神的な満足感、充足感を「目的化」しているタイプの人だったら
「この仕事は当社だけでなく、社会的にも大きな価値があり、これが実現すれば大変なインパクトがある」
というような面を訴求すればよいわけです。
あるいは、何の目的意識も持ち合わせていないように見える、いわゆる意欲のない人、マイペースな人などの場合は、その人はおそらく
「そのようにしている自分が、それでも所属し心地良くいられるその場所ができるだけそのまま維持されること」
を無自覚に「目的化」しているかもしれません。もしそうであれば
「この仕事をやり遂げない限り……今の状況を続けることはできない」
ということをはっきり示してあげれば良いのです。