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モチベーションは維持できない
あなたはなぜ「モチベーション(Motivation)」について知りたいのですか?
モチベーションが上がらないからですよね?
あるいは、モチベーションが維持できないからですね?
だから「モチベーション」について調べようと思ったわけですよね?
モチベーションという言葉はだれでも日常的に使ってしまう言葉なのに厳密にその意味を考えようとすると意外に難しい言葉ですよね?
なので、自分のモチベーションのことを考え始めるとき、おそらく最初はだれもが
「そもそもモチベーションとは何か?」
というところから詳しく学習し、理解しなければいけないと考えると思います。
そうしたら、モチベーションの上げ方や維持のしかたも分かるのではないかと期待するからですね。
モチベーションとは?
モチベーションという語には、しばしば
「動機付け」
という訳語が当てられます。
一応、大きく分けると
① 外発的動機付け(外部からの刺激や情報によって起こる動機)
② 内発的動機付け(自ら湧き起こってくる動機)
という2つがあり……などと説明されます。
もちろん、もっと細かい分類や詳しい分析がありますけど……でも、私が今思っているのはこうです。
私たちは、そのようにモチベーションに関する定義や理論を詳しく知ることによって
「自分のモチベーションを実際に上げられるのか?」
むしろ、それが疑問です。
自分のモチベーションに対する信頼の低下
少なくとも、私自身の感覚を言うとですね……。
モチベーションというものについて、いろんな説明を見たり聞いたりするじゃないですか、そうすると、むしろだんだん、自分のモチベーションというものが得体の知れないもののように思えてきて、単純に信じられなくなるような感覚があるのです。
「へえ……モチベーションっていうのも、なんだか難しいもんだな」
と……考え始めるとモチベーションというのは余計に維持するのが難しいもの、上がらないほうが自然だ、みたいな印象になっていくのです。
あなたは、そうではないでしょうか?
最初は、ごく単純に
「モチベーション上げないと!」
と思っていただけなのに、詳しい定義付けや理論みたいなことを知れば知るほどモチベーションに関して「これ」というはっきりした考えが持てなくなってしまいます。
するとまず自分のモチベーションというものに対する信用、信頼感が失われてゆくんです。
まず、そんな感覚になったらモチベーションが上がるわけがないんですよね。
それに、最近多いのが
「行動するのにモチベーションは必要ない」
とか
「精神論や、意志の力に頼った方法論はムダ」
とか……。
「やる気なしで成功する」
とか……。
こういう説というか、言い方ですね……こういうのは、実は理論的にはあながち間違っていないのだと思いますけど、そこから
「モチベーションを上げる」
ということに直接つながらない方法論の話になっていくことが多いです。
……まあ、不要だって言ってるんだから、わざわざモチベーション上げなくてもいいという方法論なわけで、当たり前なんですけど。
でも、ふつうの、常識的な理解のしかたをする人なら、このような
「モチベーション不要論」
みたいな話を聞いていれば、当たり前ですけどモチベーションなんて湧いてこないのです。
たいてい、まるでモチベーションというものの存在を意識すること自体がムダなことのように思えて、結果的に余計やる気が出なくなってしまっている……そういう人も多い気がします。
つまり、モチベーション不要論というのは
「取扱注意」
な方法論なのです。使いようによっては有効なのですが、ミスリードされてしまう人のほうが多いように感じるのです。
モチベーションを上げたかったんですよね?
先に私自身の意見を結論的に言っておきますけど。
少なくとも、もし今の自分のままではすぐに届かないような大きな目標を達成したいとか、過去の自分の実績からすると考えられないような目新しい成果を出したいとか、そういう場合には、それはやはりどう考えたって
「まずモチベーションをすっごく高めなければできっこない!」
と、私は素直にそう思うわけです。
ただ……逆に言って、つまりそういう大きな成果や目標達成に大量のモチベーションを集中して発揮したいということになると、
「それ以外のどうでもいいことに、いちいちモチベーションとか言ってる場合じゃない」
とは言えると思います。
なので、まずモチベーションというのは
「使いどころが肝心」
です。
私たちは自分自身が重要だ、必要だと意識している行為や事柄に今より集中して、それを優先してどんどん進めたいわけですよね?
それには、自分のモチベーションを使うべきところに使うという感覚を持つ必要があります。
この意味でも、モチベーションなんて自然に上がったり下がったりするものだなどと……成り行きに任せているわけにはいかないのです。
モチベーションという語を用いる理由
ところで、私たちは日常的にはモチベーションという語をそんなに難しく考えていなくて、単に
「やる気」
という意味で使っていることが多いですよね?
私たちがよく言う、たとえば「モチベーションが上がった」というのは「やる気が出てきた」というのとほぼ同じ意味です。
反対に「最近モチベーションが下がり気味」というのは、要するに「やる気がなくなっている」と言ってるのと同じことですよね?
ただ、ふつうの言葉で「やる気」といった場合、それはニュアンスとして
「自分の気持ち次第」
と言ってるように聞こえます。
でも、モチベーションという言葉を使うと、ちょっと専門用語チックになります(笑)
モチベーションというのは必ずしも自分の気持ちひとつでどうにでもなるようなものではないんだ、と。
モチベーションの問題というのはもっと深層心理的なものとか、脳のシステムがどうとか、場合によっては外的条件や環境の問題も含んだ……複雑な、深遠な、わけの分からない、自分でもどうしようもないような要因や要素から結果的に出てくるものなのだ、と。
ですから、
「モチベーションが下がってしまった」
と言うなら、それは
「やる気がない私」
のことではなくて、
「やる気が出ない(状況に追い込まれた被害者の私)」
というように、聞こえるんです。
「やる気がない」と言ってしまうと直接的に自分が悪いみたいになっちゃう。
でも、「モチベーションが上がらない」というのは、不可抗力。
暗にそういうニュアンスを出したいから「やる気」と言わずに「モチベーションが……」と言ってしまうのではないですか?
モチベーションの問題を他人に預けてはいけない
もし、上記のような意図を込めて、あなたがつい「モチベーション」と言っているなら……その時、実はあなたは単に無意識に責任転嫁しつつ、思考停止しているだけです。
最初に、モチベーション(動機付け)には
① 外発的動機付け(外部からの刺激や情報によって起こる動機)
② 内発的動機付け(自ら湧き起こってくる動機)
の2つがあると言いましたよね?
「外発的」のほうは、外部から入ってくるものに依存して起こるので、自分のせいじゃないかのように思えるかもしれませんが……外部からの刺激や情報をどのようにコントロールしてどのような種類の動機付けとして用いるか、用いることができるのかという点は自分でコントロール可能なはずです。
そもそも、外的環境自体、自分で選んだものとも言えるし、当然選ぶことは可能です。
本当は「モチベーション」と言おうが、やる気、意欲、動機付け……とか、どう呼ぼうと要するに言葉の問題じゃないのですが
「これはどっちみち自分自身の問題である」
これを素直に認めるほうが、結局は近道だと思うんですよね。
その行為はモチベーションの対象か?
でも、会社の仕事のモチベーションが上がらない……などと言う場合には、自分ではコントロールしようのない事柄だってあるし、全部が自分のせいだと言い切ることもできないのではないか……?
と考える人もいるかもしれません。
それに関して私がいつも感じることは、そもそも、ふつうに会社の仕事を捌くことなどに、どうしてモチベーションなんて必要ある?
……ということです。
個別に問題を抱えている場合などは別として、基本的なことを言えば、そもそも会社で仕事をすること自体にモチベーションなんてほとんど関係ありません。
というのは、ひとつには、もともと会社の仕事なんて、だいたいがだれでも実行できるように準備された条件と環境の下で、しかも自由意志なんて無関係にいわば強制的にやらされていることです。
モチベーションがあろうがなかろうが、やらなければいけないことに関して、どうしてすぐ自分のモチベーションの話が出てくるんだ?
……と、私はいつも不可解な気持ちがするのです。
確かに、たとえば今やっている仕事に対して
「あと3年以内に、出世して取締役になってやる!」
とかですね、そういう自分として別の目標や理由があるとすれば(それは、もはや「会社の仕事をする」という範疇を越えた自分自身の目的意識なのですが……)それは、モチベーションの問題を云々する余地はあります。
あるいは、会社から与えられた仕事であっても自分がそこに価値ややりがいを認めて主体的に頑張る……のは別に問題ありません。というか、それは本人の勝手です。自由です。
でも単に日々の業務をふつうにこなすというようなレベルで
「ああ、今日はモチベーション上がらないなあ……」
とか言っているとしたら、おかしいと言っているんです。
はっきり言いますと、それってモチベーションに関する問題じゃないです。
それはだれの問題か?
一方で、
「モチベーションマネジメント」
という言葉があるように、企業の側は
「社員のモチベーションを上げるにはどうしたらよいか?」
というのを大きな課題と捉えているかもしれません。
でも、私としてはこう思います。
他人から、あるいは環境や待遇、雇用条件などによってかんたんに上がったり下がったりする程度のモチベーションなんてどうせたいしたレベルには至らないんです。
企業とか、あるいは上司として部下のモチベーションを向上する必要性がある場合など、つまり
「他人のモチベーションをいかに上げるか、維持するか」
という問題は、確かにあるにはありますけど、そこで言ってるモチベーションのレベルなんて(個人が自分のモチベーションを問題にする場合に比べれば)結局上がろうが下がろうがたかが知れてる誤差程度のことを問題にしているに過ぎないのです。
これは、たとえば客単価が100円でも上がれば、全体の売上は大きく増加するでしょう? ……とか言ってるのと同じ議論です。
企業などの組織の側の問題意識としては、社員の全体のモチベーション向上のことを指しているわけですから、一人ひとりは微々たる差でも、総合すれば大きな問題と言えます。
でも、個人の、たとえばあなたの給料が今月から100円上がったとして……それがあなた個人にとって何の影響がありますか?
ですから、他人のモチベーションをアップする施策や方法論の話と、自分自身のモチベーションの問題を同じ基準で考えてはいけません。
話の土台が違うからです。
あなた個人の問題として考えた場合には、今言ったような他人事のようなイメージで自分自身のモチベーションの問題を捉えているとしたら、そもそもその程度のモチベーションでは、多少上がろうが下がろうがどのみち自分が望むようなことを実現するほどのパワーには絶対至りません。
ですから、モチベーションの問題を他人に預けてはいけないんです。
周囲に流されたり、耳障りの良い声になびいたりしているうちに、いつの間にか自分の意思を他人に預けて楽を求める自分になっていませんか?
モチベーションという言葉に甘えていませんか?
むしろ、自分のモチベーションを他人に預けた瞬間に、自分は終わる……というくらいに考えといたほうがいいです。
そして、実際ほとんどの人がそれで終わってるという現実があります。
ここまでをいったんまとめますと、
① モチベーションというものを曖昧に捉えていてはいけない
② モチベーションは、使いどころが重要
③ モチベーションの問題を他人に預けてはならない
モチベーションは、まず「あるかないか」が問題
では、ここまでを踏まえまして、大きな成功や高い目標の達成などを考えている場合のモチベーションの使い方を具体的に見て行きましょう。
私が考えている流れを先に紹介しておきますと、モチベーションというのは
① 最初は小さくても、確かに「ある」と確信する
② 「ある」ならば、それを極限まで高める、膨らませる
③ それはあくまで「起爆剤」として使う
④ 維持しようとしない
……というプロセスを想定しておくのが最善です。
まず、上げる、下げるとか、続ける、維持する……とか考える前に、そもそもあなたは、
「それについて本当に、確かにモチベーションがあるのか?」
……と、自分に対して問うことから始めます。
最初は小さくてもいい。吹けば飛びそうなモチベーションでもいいです。それでも、確かにそれを達成しよう、実現しようという「気」が少しでもあるのかと。
ただ、ちょっと言ってみただけなんじゃないのかと。
一時的な空想に過ぎないのではないかと。
……そんなふうに、自分の心に問いかけてみるのです。
「いや、確かに私はそれを望んでるんだ」
「不安や葛藤もあるけれど……でも、本当にそうしたいと願っているのだ」
という確信が持てるかどうか、です。
どんな小さくてもいいんです。
確かに「存在する」ということさえはっきり分かれば。
ただ、もともと無いものをいかにこねくり回しても何も発生しませんし、増えません。
ゼロを何倍しようがゼロです。
多少でも、はっきり「ある」というのであれば、それはいくらでも増幅できるのです。
言い換えれば、それは
「モチベーションの種(タネ)」
と言ってもいいでしょう。
モチベーションは「いかに膨らませるか」が最大の問題
どんな目標や願望であれ、それを実現するモチベーションが自分の中に確かにある、と確信できたならば、それを実現できる可能性はゼロではありません。
次に、もし「ある」ならば、今度はそれを極限まで高める、膨らませる過程が必要です。
それで、自分のモチベーションを膨らませる方法としては、代表的なものとしてたとえば
① それが実現した様子を想像してみる
② それがいかに有意義で、価値のあることかを確認する
③ 感動するものを見る(芸術作品や文学、映画やドラマ、伝記などでも良い)
④ 理想的な世界を思い描いてみる
⑤ すべてを肯定的に捉えてみる(空想だけでも)
これらは、一口で言うと自分が持っている固定観念の「天井を上げる」行為です。
もちろん、いわゆる外発的動機となるようなもの
① それが実現した場合に受け取るメリットを数え上げる
② それを達成した自分を他人がどう見るか想像する
③ 自分の身近な人や、大切な人がどう思うかイメージする
④ 自分を取り巻く環境をどう変化させることができるか計画する
それも良いです。
または
① 現状に対する不満を挙げ、心から怒る、憎む
② 自分の欠点や限界などに目を向ける、いかにダメか
③ このまま、それを実現しなかったらどうなるかを予想する
④ いったん挫折を味わう、絶望する
こういう方法は、自分の現状認識や自己イメージの「底をあえて下げる」方法論で、一見モチベーションは下がるように思うかもしれません。また、一般にはネガティブ思考とか言って忌避されますし、常識的に考えて罪悪感が出やすいです。
しかし、憎しみ、怒りのパワーというのは意外にすごいのです。負の感情を解放することは、実は感情自体のパワーを発揮するという点においてはポジティブな思考に勝るほどの威力があります。
ただ、実際やってみると分かりますが、ネガティブな意識や感情をあえて増幅させるとかなり気分が悪くなるので、体調などを考えて注意して実行してくださいね。
あるいは、直接関係ないように思うかもしれませんが、
① 体調をきちんと管理する
② 適度な運動をする
③ 生活のリズムを整える(過剰に神経質にならずに)
④ リラックスして楽しむ時間を持つ
といったものも有効です。いわば「幅を広げる」行為とでも言いましょうか。
また、良く言われることですが、外的阻害要因を排除するような行為、たとえば
① 他の気になるような雑事を片付けてしまう
② 部屋をきれいにする
③ 断捨離する
④ 付き合う人間を限定する
⑤ あえて暇な時間を作る
なども実はモチベーションに無関係ではありません。
単一の「モチベーションアップ法」を選択するのではない
ここで分かるように、自分のモチベーションを膨らませる方法というのは、実は
「最も効果的な一つの方法」
というのが存在するわけではありません。
よく誤解している方がいらっしゃるのですが「モチベーションアップにはこれが効果的!」とか聞くと、それを試してみて、ダメだと思ったら、また次のひとつの方法を試して……というふうにしてしまうのですが、それだとほとんど効果は感じられません。
というか、そのようなアプローチでは「最大化」できません。
ここに挙げた以外にも、もちろんたくさんの「モチベーションアップの方法」は存在します。たぶん、ググれば無数に出てきます。
その時に、
「どれが本当に正しい方法なんだろう」
「どれが一番良い方法かな……」
と考えると、どんな手法であっても効果は半減します。
そうではなくて、初めから「最大化」することに重点を置いて、可能な方法なら同時に多重的に、相乗的に取り入れてみてください。
「モチベーションというのは、量です」
「絶対値です」
モチベーション自体には、種類とか方向性とかは関係ありません。
ですから、ポジティブな方法論が良いか、ネガティブなやり方のほうが有効か……とか考える意味は実はないです。
両方同時に取り入れることができれば、天井と底が同時に広がるように、あなたのモチベーションの総量は最大化するのです。
あるいは、外発的な動機付けよりも、内発的動機付けのほうが効果が高いとか、どちらが維持しやすいとか……それも実は不毛な議論です。
当然、どちらも有効であって、むしろ両方同時に起こらなければモチベーションは最大化できません。
そして繰り返しになって恐縮ですが、
「自分のモチベーションをMAXに持っていくのは自分しかできない」
ということを肝に銘じる必要があります。
これは、会社でやってるような「従業員のモチベーションアップ」のための施策などとは前提が違うのです。まったくレベルの異なる話です。
極端に言えば、それ以外のことは……つまり、何かを実現したいときに、その方法論とか計画とか、あるいは都度の問題を解決したり効率を上げたりとか、そういうことは、他人に聞いたり、なんなら丸投げして頼んだりしたとしても可能かもしれません。
でも、モチベーションを最大化すること……これだけは、あなた自身にしかできません。
仮に、あなたを心から愛してくれる人がいくら説得しても、どんなに大勢の人が応援してくれたとしても、一流のコーチが主催するセミナーに参加しても……根本的には、それは他人にはできません。
ついでに言いますが……他人から与えられる刺激や情報のみでも勝手に一瞬モチベーションが上がったような状態を作り出してもらうことはある程度可能なのですが、それはいわば「スイッチをONしてもらった」くらいのものであって、それだけであなたのモチベーションが「最大化する」ことはあり得ません。
それはそれで一つの有力な方法ですが、いずれにしろ他にも自分なりにモチベーションを最大化するための手順や方法をできるだけたくさん見つけ出して、そのすべてを短期に同時に実行してください。
モチベーションを「維持」しようとするのが間違い
会社で部下などから、または学校や塾でもありそうですが、
「モチベーションを維持するにはどうしたらいいか?」
という質問とか、あるいは
「モチベーションの維持が難しいのですが、何か良い方法はありませんか?」
みたいな悩み相談をよく聞きますよね?
心理学的にどうとかいうことは置いて、これは私の個人的な理屈ではありますが、そもそもモチベーションというのは、長期間一定に保とうと考えるのが間違いです。
ですから、
「モチベーションを常に保たなければならない……」
あるいは、
「モチベーションが下がったので、上げないといけない……」
と思っているとしたら的外れなのです。
モチベーションを常に維持したいと考える人というのは、何となく
「バイオリズム」
とか、あるいは目的を限定しない
「バイタリティ」
みたいなものをイメージしていることが多いのですが、違います。
モチベーションというのは生体の自然なリズムとか、その人が生来持っている資質とか…… そういう種類のものではありません。
モチベーションとは、ふつうに説明すれば
「特定の目的のある行為を開始し、継続する動機」
という言い方ができるわけですが、これを注意深く考えると……モチベーション(動機付け)というのは
① 行為の開始の動機
にもなるけど
② 行為の継続の動機
にもなるよ、と言っているにすぎません。
つまり、継続されるべきなのは「その行為、行動」のほうであって、モチベーションのほうじゃありません。
モチベーションとは「起爆剤」である
むしろ、モチベーションとは
「爆発力」
のことです。
だから短期間のうちに一気に最大化する必要があるのであって、維持しようとか、長期間保とうとか考える必要はなく、むしろ、長く一定に引っ張ろうとすることは「一気に最大化」することと矛盾します。
ロケットとか、人工衛星を飛ばすことをイメージしてみてください。


モチベーションとは、ロケットを打ち上げるための爆発装置のようなものです。まさに打ち上げの瞬間が最も重要な瞬間で、そこに最大のパワーを投入する必要があります。
そしてロケットそのものが推進力を得るにしたがって、負荷を下げるためにロケット本体から切り離されることになっています。
モチベーションが上がらない真の理由
慣性の法則がありますので、最初は重力や空気抵抗に逆らう巨大なパワーを必要とするわけですが、いったん推進力が付いてしまえば、あとは勝手に進んでいく……。
モチベーションというのは、そういうイメージのほうが近いです。
だから、できるだけある一瞬に凝縮して最大のパワーを発揮しないと、うまくいきません。これは、
「目的や難易度が高いほど」
当てはまります。言い換えれば、重力や空気抵抗が大きい時ほど多大なパワーを必要とします。
最後に「モチベーションを阻害する要因」について考えておきましょう。
まず、モチベーションの阻害要因として第一に挙げられるのが、今まで述べた通りで
① モチベーションに対するイメージの誤解
です。
まずこれを払拭しないと自らモチベーションを低下させてしまう、あるいは浪費してしまうことになってしまうのです。
次に、たとえば
「目的の喪失」
「実行プロセスが不明瞭」
「集中力の低下するような環境」
「周囲の他人の影響」
といった問題がしばしば挙げられますが、私は思うには、これは厳密によーく考えると、モチベーションの問題とは言えませんよね?
これって、ほとんどは実行過程において発生する「スキル」とか「テクニック」の問題ではないでしょうか?
要するに……つづめて言うとこれらは
② スキルの不足
です。そして、誤解されがちなのは、これらは実は「モチベーションを阻害する要因」というよりも、むしろ
「スキルの不足をカバーしようとするから、より大きくて、長期に続くようなモチベーションが必要だと思ってしまう」
という問題です。
すでにお話しした通り、より大きくて、長期に続くようなモチベーションなんて矛盾しているのです。つまりこれは架空の期待、ないものねだりなのです。
自分のスキルや、手持ちのテクニックが目的に照らして不十分だった場合、せっかくモチベーションを最大化しても、目的に辿り着く前に浪費して終わりです。
もう一度想像してみてください。
ロケットを打ち上げる時に、単に燃料を目いっぱい爆発させたら宇宙に行ける……わけじゃないです。実際そこに投入されているであろう数多の技術、研究データ、開発のプロセスなどに少し思いを馳せてみてください。
そもそもモチベーションさえあれば何でも可能……という言い方をすることもありますが、それは実は極度に抽象的な意味で言えば正しい、というだけであって、たいていの人は、これをそのまま具体的な行為、行動に文字通り当てはめようとして無理が生じるわけです。
さて、上記ともそれぞれ密接に関連しますが、モチベーションの阻害要因としてもう一つ挙げておきますと
③ モチベーションを発揮するタイミングを間違っている
という指摘もできます。
「まだ必要な知識や情報が足りないとき」
「準備や環境整備がおろそかなまま」
……こういう状態で、仮にモチベーションだけが最大化するとしたら、それこそ秒読み開始前に燃料を噴射してしまったようなかっこうになります。つまり打ち上げ失敗確定です。
他にも、たとえば別の悩みで頭がいっぱいになっているとき、今集中すべきこと以外の、別の事柄で忙殺されている時期に、むしろそれを力づくで突破しようなどと考えてモチベーションアップを図ったりすればきっと高い確率で失敗するでしょう。
意識的にモチベーションを最大化しようとする際は
「準備もある程度整って、他の雑事や気がかりも少なく、暇なとき」
が最適です。逆に言うと、先にこういう状況を作っておいてからモチベーションの最大化に取り掛かるのが最も成功率が高いということになります。
自分の感情をかき立てる魅力的な「目標」を
最後になりますが、モチベーションに関する議論において、ある意味最大のポイントをもう一度確認したいと思います。
それは、今からあなたがそのモチベーションをもって実行しようとするその行為の
④ 目標をあなた自身が十分納得していること
です。
というのがですね……あなたにとって心を揺さぶるような、想像しただけで熱くなるような
「すごく魅力的な目標」
であれば、それだけであなたのモチベーションは放っておいても倍加するからです。
逆に、それがはっきりしていなければ、いくら有益なモチベーションアップ法を投入したところで、実はたいした効果が得られません。
繰り返し確認しますが、そもそもモチベーションとは
「特定の目的のある行為を開始し、継続する動機」
のことです。
だから、目標それ自体をよくよく吟味する必要がありますし、それをどのような言葉やフレーズで言い表すかという
「表現方法」
も極めて重要です。またそれに付随するイメージ……映像とか気分とかですね。それもよく考えておかなければなりません。
これも一種の技術です。
目標自体を自分にとっていかに魅力的なものに育てるか、作り上げるかというのも、モチベーションアップの前提となるひとつのスキルです。