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「マイペース」は長所か? 短所か?
「マイペース」とは
「私の(my)歩調で(pace)行きますよ」
ということ。
私たちが日常的に「マイペース」という時の事実上の意味からすると、それは要するに
「スピードとタイミング」
のことです。
ですから、マイペースとはつまり
「あくまで自分のスピードとタイミングを優先しようとする姿勢」
と言うのが一番分かりやすいと思います。
他人に向かって 「マイペース」と 言うとき=短所
「あくまで自分のスピードとタイミングを優先しようとする姿勢」
ということですから、マイペースという言葉は、他人に対して使う場合にはたいてい悪い意味で使われることになります。
なぜなら、他人に向かって言う場合、あるいは他人からそう言われる場合には、ほとんどの場合その他人と、自分との
「スピードかタイミングのズレ」
が問題視されている時だからです。
もし、この「ズレ」がだれにも意識されていない場合や、「ズレ」をだれも問題だと思っていない状況では、そもそも他人の行為や行動について
「マイペースだね」
とか言う必要性が発生しないのですから。
もっと言えば、だれかが「マイペース」であることが問題視される状況というのは、スピードやタイミングを合わせてほしいと思っている人が存在する場合にしか発生しないということです。
つまりこの場合の、たとえば
「あなたって本当にマイペースだね」
というようなセリフ(相手から言われた場合であれ、自分が言った場合であれ)。その事実上の含意は
「あなたさあ、もうちょっと、こっちに合わせてくれる?」
ということです。
当然合わせてくれるべきなのに、合わせてくれないから困ってる、迷惑だという含意です。
……だから、この場合は必ず、自分勝手、自己中心的、気が利かない、相手を軽視している、協調性がない、というような批判的なニュアンスを含んだ悪い意味だと思ってほぼ間違いありません。
マイペースであること自体は悪いことか?
ただし、もちろん上記のことは、人がマイペースであることそれ自体が悪いことかどうかとは別の問題です。
実際、もちろん自分が当事者だったら「ここはペースを合わせてほしい」と感じる場面では相手を批判したくもなりますが、そうではなく単にその人の性格とか、個性という意味で見る限りは、マイペースというのは一概に短所だとも言えません。
それに、たとえ否定的に
「あなた、少しマイペース過ぎるわ」
と言われたとしても、それはあくまでそう言ってる側の認識であり評価であるにすぎませんから。
「マイペース」と自分に向かって言うとき=長所
一方で、「マイペース」という言葉を自分に向かって言うときはたいてい良い意味でそれを理解しているはずです。
実際、あえて「マイペース」という言葉を自分の信条として、座右の銘のようにいつも心に留めている人もきっと少なくないでしょう。
このような場合には、たとえば
① 他人の意見や言動に振り回され過ぎないようにしよう
② 結果や成果を出そうと焦ったり逸ったりせず、物事に落ち着いて取り組みたい
③ 自分にとって本来大切であることを見失わないようにしよう
といった自省、自戒を込めて、また自覚的な心掛けを表現する言葉として「マイペース」という信条を掲げているわけです。
ただし、それを
「私ってマイペースだから……」
とか、他人に向かって明言すると、それは意図として
「私はマイペースだから、あなたに合わせるつもりは毛頭ない」
と宣言しているようなかっこうになりますから、それを相手がどう受け取るかは考慮すべきでしょう。
マイペースは自己中心的か?
ところで、時々マイペースであることと、
「自己チュー」
であることはまったく違う!
……といった意見を聞くのですが、上記のような意味に限って言えば、どう考えてもマイペースというのと、自己チューであることとは、ほとんど同じ意味です。
最初言ったように、マイペースという言葉を
「あくまで自分のスピードとタイミングを優先しようとする姿勢」
だと定義すればです。
これは(少なくとも自分がする行為や言動のスピードとタイミングについて)自己中心的であろうとする、と言っているのと同じです。
……と言っても、先ほど書いたのと同じ理屈で、自己中心的であろうとすることだって、それ自体が必ずしも悪い考え方だとも言えません。
つまり私の解釈では、
「自己チューだね」
と言うと、要するに語気が強いというだけのことです。自己中心的というのは直接に批判的な意図を前面に出した言い方しているだけで、
「マイペースだよね」
と言うのは、それをオブラートに包んでちょっと優しくしただけです。
その言わんとする事実上の内容は同じなのです。
TPOとバランス論
本当はこんな英語はありませんが、仮にマイペース(My pace)の反対を
「Your pace」
と呼ぶことにしてみましょうか。
あなたのペースに合わせますよ、ということです。
するとこれは、ふつうに考えて
「協調性」
「思いやり」
という言葉とほぼ同じ意味ですよね?
いくらマイペースが信条だ、私の個性だ……とは言っても、時と場合によって当然ユアペースにすべき場合もあるということは、いくらマイペースな人でも分かり切っていることです。
(まあ、それが他人様ほどしっかり分かってない人が、他人から「マイペース」と言われるの、ということかもしれませんが……)
しかし、いつでも他人に合わせ過ぎてしまう傾向のある人や、周囲の人の言動などに気を取られ過ぎて自分なりに考えて行動するということが難しいと感じている人もいます。
彼らにとっては、それが自分の短所と感じられているから、むしろマイペースな人を演じることでバランスを取ろうとするわけですよね。
やはり必要な時には勇気をもってマイペースを貫く姿勢もまた大事です。
それで、一般常識的に考えれば、
「時と場合を考えて、マイペースとユアペースをバランス良く使い分けましょう」
というのが妥当な結論となります。
成功に至るための「斜め上のマイペース」
……と、ここまでは一般的に言って妥当な説明(をしたつもり)ですが、実は、そういうこととは別に、私たちには
「あえてマイペースになるべき理由」
があります。

それは、
「飛躍的な成果を出したいいとき」
「現状を大きく変えたいとき」
「急激に成長したいとき」
です。
こういう大きな希望、願望を叶えようとしている前提ならば……それはもちろん、みんなのペースに合わせてちゃダメです。
人が自然に身に付けている「基準値」
たとえば、何かを決断するのに要する時間。
定型的な作業を行う所要時間。
一日に進める作業や業務のボリューム。
同時に抱える案件の数。
……日常細かな点から、大きな範囲で言っても、私たちはこういった問題について一人ひとりが自分なりの
「基準値」
を持っています。
基準値とは、一人ひとりが無意識に、自然に身に付けている
「これは、この程度で良いかな」
と感じるレベルのこと、と言えます。
たとえば、ある人が1時間でこなせる作業は、他の人がやると2時間かかるのかもしれません。
あるいは、今日一日、まったく同じ量の仕事をしたとしても、ある人が
「うん、今日はこんなに進んだぞ」
と満足している傍らで、別のある人は
「ふう、今日はたったこれだけしか進まなかった……」
と反省している、という具合に。
人が持っている「基準値」はかなり差があるものですよね?
見方を変えると、マイペースとか言うときの「ペース」というのは、この「基準値」のことを指しているという言い方ができます。
会社で上司に頼まれた書類を作成して、提出します。
作成した本人からすれば、これで十分きちんと完成しているつもりです。
でも、上司から見たら隙だらけ、穴だらけの雑な書類に見えます。
「おまえ、こんな書類人に見せられるか!」
と、小言を食らう。
人が行う一つひとつの作業の完成度や、成果物のクオリティもピンからキリまである。でも、やっている本人にとっては、それが自分なりの基準値ですから、もしだれも指摘しないとすれば本人は当然「それで十分」「それで良い」と思っているわけです。
あるいは、母親が子供に向かって
「自分の部屋くらい片付けなさい」
と言います。
子供はしぶしぶ掃除を始め……自分なりには「片付けた」と思っています。
でも、母親がそれを見ると
「何? これで片付け終わったの? さっきとどこが違うの!」
……これは親と子で、掃除のクオリティ、部屋のあるべき「きれいさ」の基準値がぜんぜん違うからです。
基準値を上げなければ成長はない
人は無意識に
「これくらいやれば、いいだろう」
「この程度の状態で、良しとする」
という「実質的な自己基準値」を持っています。
何ら強制力や圧力が働かない状況下では、人は当然にその自己基準値に従って物事を判断し、実行するでしょう。
状況が実質的な自己基準以下になると、私たちは
「これはさすがにヤバい」
「いくらなんでも、これじゃまずいだろう」
と無意識に感じ取って、ごく自然に状況をそのレベルまで引き上げようとします。
もちろん、それとは別に頭で考えた「理想的な基準」も持っています。
つまり、あなたが意識で考えたときの
「あるべき姿」
のことです。
でも、実は人間はこの「理想的な基準値」によって行動するのではありません。
「本当なら、こうしなければならない」
「本来はここまでやるのが一番良いが」
と自らが感じていながらも、さまざまな理由を付けて
「でも、これくらいでいっか」
「今日のところはこれで」
というように、結局は自分が無意識に持っている「実質的な自己基準」を超える部分については常にできるだけ回避、無視しようとします。
つまり、意識として思っている「あるべき姿」のほうじゃなくて、もともと身に付いている「実質的な自己基準」のほうが、本当の自己基準になっているのです。
マイペースとは、スローペースのことか?
話を戻すようですが、マイペースとは
「あくまで自分のスピードとタイミングを優先しようとする姿勢」
なのですから、言葉の意味だけ考えれば、ペースが異常に早過ぎるとしてもマイペースということになりますよね?
あなたの職場や、知人にそういうタイプの人はいますか?
ところが、私の感覚が偏っていたら申し訳ありませんが……私たちが日頃出会う
「私、マイペースだから」
と自分から言う人って、ほとんどがそうじゃない。
たいてい、自称マイペースの人とは、イコール
「スローペース」
な人じゃないですか?
そっちのほうが圧倒的に多いですよね?
その、周りから見た時に明らかにスローな、つまり他人から見て著しく低い自己基準値を修正するつもりがなく、そのまま受け入れてくださいと言っているのが日常私たちが出会う「マイペース」な人なのです。
確かに日常的にはそれでも大きな問題は生じないかもしれません。
しかし、はっきり言ってそれは
「飛躍的な成果を出したい」
「現状を大きく変えたい」
「急激に成長したい」
という人間の姿勢ではありません。
高い自己基準を「マイペース」にする努力
ですから、私たちは今自分が身に付けてしまっている
「実質的な自己基準」
を、意識的に考え得る
「理想的な基準」
のほうに近付ける努力をしなければなりません。
ただし、今言っているこの「実質的な自己基準」というのはですね……たいていの場合、単に自分自身の、完全に個人的なものというよりも、実はあなたが今いる環境、つまり今の職場だとか所属する部署とか、あるいは学校の仲間内だとか、そういうごく周辺の他者とだいたい同じようなレベルに調整(?)されているはずです。
その調整が上手く行ってない時に、周囲の人から「マイペースだね」って言われるわけです。
ということは、今すでに一定のレベルで周囲と調和し、安定しているあなたの「実質的な自己基準」を大きく変更するとですね……当然に、周囲のペースから大きく逸脱することになります。
つまり、いわば斜め上方向へ「マイペース」化するわけです。
最初に言った点を思い出してください。
たとえ良い方向への逸脱、斜め上方向への「マイペース」化であっても、周囲にいる他人から見るとそれは「ズレ」と認識される可能性が高いですね。
要するに、(マイペースという言葉を使うかは分かりませんけど)とにかく批判や指摘の対象になりやすいということです。
しかし、それを怖れてはいけません。
いけません、というか……それを怖れていると、いつまでたっても「実質的な自己基準」に変化はありません。
つまりは、そのまんまです。
「飛躍的な成果」
「現状を大きく変える」
「急激な成長」
なんてことが起こるはずがないということです。
一流のマイペースは、顧客ペース
そもそも「あるべき姿」って何でしょう?
理想的な基準。
自己ベストのことですか?
想像できる最も理想的な状態のことですか?
……もちろん段階というのは考えられますが、いったいどこまで「基準値」を上げれば良いのでしょうか?
その目安というか、ひとつの有力な考え方として、最終的には、あるべき姿というのは、結局は
「顧客が納得してくれるレベル」
ということなんじゃないかなと、私はそう思います。
あるいは、
「顧客があなたを選んでくれるレベル」
と言い換えてもいいです。
つまり基準値を「顧客の期待」に合わせるということです。
顧客というのは、もちろんあなたがビジネスをやっているなら文字通りそのままです。
将来的な夢や、起業などをイメージしている人ならば、想定される見込み客ということもできるし、マネタイズ可能なレベルと表現することもできますね。
必ずしもビジネスに限らずとも、要するにあなたが自分の行為や活動を通してその価値を提供しようとする先、それを受け取る相手のことです。
彼らが、十分に納得し満足してくれる、あなたが提供するものやサービスを喜んで選んでくれる、自らお金を払ってくれる……それに値するレベルがあなた自身の基準値であるべきなのです。
で、そのあるべき姿が、単なる理想や理念だけの状態では、当然そこには届かないわけで……。
最も大切なのは
「自分の実質的な自己基準を顧客満足レベルに引き上げること」
ではないでしょうか?
「いや、みんなそれなりに会社に来て、今も問題なく仕事はしているわけだし……」
と思いますか?
では実際のところ、あなたが思う「本来あるべき姿」の通りに仕事出来ていると思う同僚や、上司や部下を挙げてください。
あなたの周囲に存在する全員が、当てはまりますか?
それとも、周りを見回しても「本来あるべき姿」を実現している人なんて、ほとんど思い付かないでしょうか?
仮に……今いる自分の環境がそれに届くレベルじゃないと判断するならば、その環境に染まっている自分を否定して、
「斜め上にマイペースであることを選ぶ」
必要があります。
でも……すると当然に周囲の人から批判や嘲笑、あるいは非協力的な言動などが現れる可能性は高いです。
「マイペースだね」と。
「あなた一人で頑張るのは勝手だけど、こっちまで巻き込まないでくれる?」と。
「あんたひとりで仕事してんじゃない」と。
「チームワークを乱さないで」と。
でも、そこであなたの尊きマイペースを崩して、みんなに合わせる理由は何ですか?
……正当な理由なんてありませんよね?
だって、実際に合ってないのは彼らのほうなんですから。
ここで言っているあなたのマイペースというのは言い換えれば顧客ペースなのですから。それに合わせていない彼らのほうこそ
「マイペース過ぎる」
のではないでしょうか?
周囲も巻き込めば「私たちのペース」になる
このように考えたとき、実はマイペースなのはいったいどっちなんだと。
チームワークとか、協調性とか、職場の和とか言ってる他のみんなのやってる仕事なり活動なりの、クオリティ、スピード、タイミング……そっちのほうこそ単なる独りよがりの、あるいは内輪だけで通用するだけの「いわゆるマイペース」なのではないですか?
ただし……そうは言っても、最初はおそらくあなたのほうが少数派、実際にはみんなからマイペースだと揶揄される側に立つのはたぶんあなたです。
しかし、もしその姿勢を貫き、それこそ周囲のペースじゃなくて、自分のあるべき姿(それはイコール顧客の期待に沿う基準値)を目指してひとりあなたが努力し、鍛錬し、スキルアップを図り……すると、全員ではないと思いますが、ひとり、ふたりと、あなたに賛同する人も現われる可能性があります。
つまり、あなたのペースに入ってくる人物がいるはずです。
もしそういう人物がいたら、大切にすべきです。
理想を目指して、あるべき姿を目指してペースを共有できる相手です。
身近にそういう人物がいると互いのレベルアップに拍車がかかり、飛躍的に、相乗的に基準値が跳ね上がります。
有望な人物と共同戦線を張るというか……切磋琢磨するというか。そういう状況が訪れると、それはもはやあなただけのマイペースではなくて、理念を共有する者どうしの
「Our pace」
となるのです。