思考のようでいて思考とは言えないものとして

① 気付き
② 耽り
③ 悩み

の3つを挙げましたが、このうち、耽りというのは主観的に娯楽的、快楽的なものであって、それは厳密には思考ではないのだけれど基本的に楽しいものなので必ずしも排除することはありません。

しかし、ここでもうひとつの分類である

「悩み」

というのは、自然発生的で区別が困難なものだという面では耽りとの共通性がありますが、けれども悩みというものは通常の意味では快楽的でもないし娯楽とも言えません

悩みは、何のメリットもないどころかとても深刻な精神的問題に至る危険性を秘めており、長時間留めておくべきではないものと言えるでしょう。

悩みは何らかの手段で早期に解消する必要があるのです。

悩みはフローである

だからまず悩みというのは固定的になってしまってはいけません

逆に言うと、悩みは常に流動的、現在進行的でなければならないものです。

悩みを長期に心の中に留めておくと心理的にさらに悪い状況に陥っていくからです。

また、それは時間が経てば経つほどより固着、固定的になってゆく傾向があるからです。

そうなってしまうともう自分ではどうにも動かしがたいものに感じられてくるのです。

ところが……この悩みというものは、私たちにとって最も留めがちなものでもありますね。

悩みはなぜ固着するのか

悩みというのが、なぜ悩みのまま留めがちになるかというと、まず

① 解決手段が見つかりにくいから

どうしていいか分からないのだからそもそも思考の俎上に載せられないのです。なので多くの人は、あえてそれを見過ごし放置する傾向があります。

もし意識の上で明確に思考の対象として位置付けられる問題ならば、一時的には苦痛をもたらすとしてもすぐに

「気付き」

へと転化できるわけです。

それを課題として捉えることができ、解決方法やその具体的な手順の見当がついているなら、特に悩みとして扱う必要はないので精神的負担になったりする時間もほぼないということになります。

だから結果的に本人はそれを「悩み」と感じることもないでしょう。

つまり、この意味では「悩み」とは

「気付きに転化できない課題」

のことです。

悩みの種に対する執着

悩みを留めがちになるもう一つの理由は、悩みというのは一見すると嫌なものに感じられるのだけれど、その一方でそれについて

② 手放しがたい執着の誘惑が働く

場合があることです。

この場合には、本人は意識の上では苦痛であるにもかかわらずそれをなかなか排除できないのです

意識として表面的には、その対象となっている物事は本人にダメージを与えているように認知されるのですが、実はその対象にこだわって手放せずにいるのです。

つまりその時、その人はその「悩みの種」に依存しているのです。依存しているために、苦痛な状態にいながら自意識全体がその状態で安定してしまうわけです。

単に対象に依存しているというだけではなくて、いったんその状態になってしまうと、それを排除してしまうことは本人にとってむしろ不均衡を招くことになるため実は喜ばしいことではありません。

それどころか、その

「精神的な不均衡に対する恐怖感」

が無意識に思考を縛りつけたような状態になって、本人を「悩み」に留め置こうとするかのような力が働き続けることになります。

せっかく釣り合っていた天秤が錘(おもり)を取り除かれることによって精神のバランスを失うとすれば、それは本人にとって大変不安なことなのです。

言い換えると、この時人は

「喪失に伴う苦痛>それがもたらしている悩み」

……と無意識に認識してしまっているわけです。

悩みか、耽りか

本人の認識がどうあれ、この状態を客観的に表すなら、実はこれは「耽り」と「悩み」とが絶縁されていない(明確に区別されていない)状態だと言い表すこともできるでしょう。

この場合の「悩み」とは、主観的に歪曲している耽りの一種なのです。

そこで、これを解消するひとつの方法は、まず冷静に

「それは悩みではなく耽りなのではないか?」

と見つめ直してみることです。

「これは耽りである」

と自覚しただけで感じ方が変わります。もし、自分の内面を省みて、それが本当は苦痛ではなくて何か別の心理や感情が含まれているのだと知れば、実は必ずしもその対象を排除する必要はないという場合もあり得ます。

もしそれが耽りなのであれば、すべきことは対象そのものの排除ではなく、その対象に対する本人の感じ方の修正です。

それによって本人が無意識に得ている精神的な愉悦や、場合によっては実際的な利益……そちらの側面に光を当てられるかどうかということこそ本当の問題なのです。

もちろん、度を越している場合には医療的、心理療法的なアプローチが必要になるかもしれません。

ただ、日常ふつうの程度であれば、このことをはっきり自覚しただけでもかなり効果があるでしょう。

悩みは「耽り」か「気付き」に転化する

さて、仮に上のように振り返ってみても、しかしどう見てもそれは耽りなどではないと言い切れるような場合。

その場合、あなたはそのことに執着しているわけでもないし依存しているのでもないということがはっきりします。

もしそうだとすれば、それはもはや今直面している

「問題」

でしかあり得ないということがはっきりするはずです。

その問題を解消することにあなたは何のためらいもないはずです。

そうすれば、悩みを「気付き」に転化させることだけを検討すればよいことになります。

すべての「悩み」はすみやかに

① 気付き
② 耽り

のどちらかに転化しなければいけません。

このようにはっきり認知し直すことがすでに解決への一歩なのです。