「思考は現実化する」という本のタイトルを聞くと、
「それはニューソート思想だ!」
という人がいます。
……まあ、それは正しいと言えば正しいとも言えるんですけど。
でも、私にすれば、
「それは、ある意味正しいけど……でも、ちょっと違う」
と言いたくなるわけです。
ニューソート思想とは
ニューソート(New Thought)とは、直訳すれば「新しい思想」。ソート(Thought)がすでに「思想」なので、
「ニューソート思想」
っていうのもどうかと思うんですが、要するにひとつの思想であるということです。
内容としては(さまざまに派生しますが)一般的には
① すべての人間はもともと(神様のように)無限の力がある
② なぜなら人間の意識は宇宙とつながっているから
という考え方が中心にあります。
その帰結として「ポジティブシンキング」とか「引き寄せの法則」とか「思考は現実化する」という話になっていくわけで、この面では確かに
「自己啓発というのはニューソートに端を発している」
という言い方ができるわけです。
同時に、ニューソートというのは(もともとの流れから言えば)キリスト教の中のひとつの教義という側面もあり、
「自己啓発は宗教と同じ」
という言い方も、あながち間違ってはいない……というか、しばしばその論拠として挙げられるのが「ニューソート」ということにもなるわけです。
ニューソートという思想を、キリスト教の枠組みで考えれば、ごく大まかに言って
「カソリックに反対する→プロテスタント」
「プロテスタントに反対する→カルヴァン派」
「カルヴァン派に反対する→ニューソート」
という流れになっていますが、そっち方面の話は端折ります。
キリスト教的な教義問答やニューソートの思想的背景といった問題は、たしかに興味深いかもしれません。
でもですね。
それを議論することは、私とかあなたという、今を生きている個人が成功すること自体とはほとんど関係ないからです。
それと、ちなみにもう一つ。
あらためて、冒頭で言った
① すべての人間はもともと(神様のように)無限の力がある
② なぜなら人間の意識は宇宙とつながっているから
という考え方、これを見てあなたは率直に言ってどう思いますか?
実はこの思想っていうのは……特に私たち日本人の感覚からすれば、ある意味、
「まあ、そういえば、そうも言えるだろうね」
と……別に、声を高くして否定するほどおかしな理屈でもなく、むしろあえて「思想」と呼ぶほどのものですらないような感覚がありませんか?
つまり、ニューソートってむしろ東洋的な観念のほうに近いから、わざわざキリスト教の教義とか歴史とかを論点にする必要があんまりないように思う……。
自己啓発しようとする人にとっては。
スピリチャル系の流れ
一方で、ニューソートはいわゆる「癒し系」「スピリチャル系」の施術や活動に思想的根拠を与えるものという位置付けにすることもできます。
18世紀後半、メスメルという医師が、今でいうところの「手かざし」のようなものに近いいわゆる催眠療法によって実際に多くの患者を治癒したとされます。
その流れを引き継いだピュイセギュール、クィンビーらメスメル派の治療方法を理論的に説明する際に、ニューソートが登場します。
要するに、ある側面からとらえれば宗教、スピリチャル、オカルトといった分野と、自己啓発、成功哲学といった分野は歴史的に考えても、実際の人や情報の交流の面から考えても、
「まったく関係ない」
なんて、とても言えないわけです。
現在時点から見た場合の「自己啓発」の分類
さて、それはそれとして、私の関心に従えば、それぞれの経緯や論拠にある程度共通性、関連性はあるにしても、
「今、私たちが読んだり、学んだりする」
という側面から見ると、いわゆる「自己啓発分野」の情報というのは、私は次のように、けっこうはっきり分類することができると思います。
① スピリチャリティ系
② コンピテンシー系
③ アカデミック系
ということになります。
① スピリチャリティ系自己啓発
上で述べたような、ニューソート的な思想を中心に据えたり、根拠として前面に据えているようなものは、だいたいはここに含まれます。
なので、 ニューソートの中心的思想と共通している部分が多いのは当然ですね。
ただし、現在の一般的な自己啓発本などを見ても、神とか宗教というような話はほとんど出てきません(あえて除去されていると言ってもいいですが)。
でも、趣旨としては結局同じことで、基本的に、個人としての努力とか、肉体の範囲での行動、あるいは物理的制約など……こういう「縛り」にとらわれないで、何かもっと大きな力が働くことを前提とし、それをより十分に働かせることを重視しようと。
そのための方法論を説くような感じです。
私のイメージとしては、どちらかというと女性的。また、経済的成功とか欲望の充足そのものよりも「癒し」や「幸せ」または「心地よさ」といったものに価値の比重が置かれているような印象を受けます。
② コンピテンシー系自己啓発
ある意味スピリチャリティ系と対極にあると言っていいかもしれませんが、コンピテンシー系は主に
「自己鍛錬」
「努力」
「行動」
「成果主義」
といった傾向を持ちます。
成功するには、自分がそのために努力するのはいわば当たり前、それは前提であって、コンピテンシー系の自己啓発というのは基本的に、
「その、頑張り方」
を説いているものと言えます。
だから、ただ信じればいい……とかじゃなくて、
「知ってても、行動しなきゃ実現するわけないだろ!」
というように、自己責任みたいな話がひんぱんに出てきます。
イメージとしては男性的。野心や現世的な欲求を肯定し、その実現、獲得を目指すために決意を固める、または、そのために必要なスキルや行動作法を身につける、といった、ある意味きわめて現実的な方法論を説くものが多いです。
③ アカデミック系
最後に、もう一つはアカデミック系と呼べると思います。
いわゆる科学的アプローチ、どこまで完全かは別として、基本的な考え方として
「エビデンス重視」
「客観的根拠を求める」
よって、あいまいな部分には立ち入らない。あるいは、うかつに確信じみたことは言わない場合もあり、最近は、ひとつの説に対して賛否両論を提示することで、受け手に自主的判断を求めるような場合もあります。
権威性があり、納得しやすい反面、まだこの分野は学術的にも歴史が浅いので進化途上にあり、データや論拠が不十分だったりする可能性もあります。
また、純粋に科学的知見を積み上げたものも散見されますが、おそらく、むしろ人気なのは、既存の成功法則や自己実現法(つまり上記の①か②)の説をベースにして、それにいわば「つぎはぎ」的にデータや学術的根拠をくっ付けたようなもの……のように(少なくとも私には)に見える自己啓発本もあったりするかもしれないので、鵜呑みにすべきかどうか自己判断を要するとも言えます。
……ていうより、自己判断を要するのはそもそも③だけじゃないんですけれども。
自己啓発は「ニューソート思想」も含むが、それだけでもない
そもそも、自己啓発という領域、分野自体が、当然のことながら世の中の全体の流れからすると「異端」から始まったというのは間違いないことで、それはあえて宗教などを持ち出すまでもなく、むしろ当たり前のことであり、すべての新しいものは、その始まりにおいて「異端」であるとも言えるわけです。
ふつうに考えれば、たとえば日本の伝統的な思想とか、いわゆる日本人としての美徳、精神といったものからすれば、
「私やあなたという、一般の個人が自由に自分の成功を希望する」
などということが、すでに一種の「ニューソート」ですよね?
しかし、それは長い年月を経て(その過程においてはたしかに看過できない問題なども当然含みながらも)……今では「自己啓発」それ自体がひとつの概念であり、カテゴリーであり、いまや「既存のもの」になっている。
私自身はそう考えています。