あなたがどんな分野でどんな方法で成果を出そうとするにしても最も端的に言えば、もしあなたが提供しようとする商品、サービスやスキルなど……つまりアウトプットのクオリティー(品質)が一定以上に高ければ、成功に結び付くのは時間の問題と言えます。
逆に、あなたのアウトプットの方法が間違っていたり、次元が低いうちはどんなに願っても頼んでも……だれも見向きもしてくれないでしょう。
要するに、成功できるかどうかはまず
「アウトプットのクオリティ」
が一定レベル以上である、という前提条件にかかっているのです。
一定レベルの「アウトプット」が必須
もちろん、それはあくまで前提であって、
「良いものを作りさえすれば売れる」
「良いサービスを続けていれば、お客様は必ず選んでくれる」
……というような単純な話ではありません。特に今の時代は。
とはいえ、何かしら目に見える成果を得るとか、特定の目標をクリアしようとする時や、将来それを仕事にして喰っていこうとか……もし一定の成果を望む場合、それに見合う一定レベルのクオリティがまず必須であることは自明のことですよね?
その先にこそ初めて目標があり、需要が生まれ、マネタイズもある。
ともするとこの当たり前すぎるほど当たり前のことをついうっかり忘れていないでしょうか?
……なんか違うことをいろいろ考えているうちに。
インプットとアウトプットの関係
ところで仕事でも趣味でも何でも良いのですが、今よりその腕前を上げようと思ったときに私たちがすることは、大きく分けて
① インプット(Input)
② アウトプット(Output)
の2つです。
「インプット」というのは入力です。つまり知識や技術、情報やノウハウなどを自分の中に取り込むことを指します。
これに対して「アウトプット」というのは出力ですね。つまり、自分の考えや知識などを形として外に出すこと、あるいは行為や行動として現実に表すことを指します。
しばしば指摘されるのは
「インプットとアウトプットのバランスが大事」
ということです。
もちろんこれは一理あります。
このバランスというのはかなり個人差があります。別にちょうど半分くらいだと良いとかそういうことではありませんが、たいていの人はどちらか一方に極端に偏っているはずです。
もし、自分がいつの間にかインプットばかりに好んで時間を使っていると気が付いたら意識的にアウトプットする方法を考えてみることは非常に有効です。
特に日本人の多くはもともと基本的にはインプット過多になりやすい傾向にあると見られています。
なので常にアウトプットの重要性が強調されることが多いですし、確かにアウトプットの方法を意識的に改善すれば上手くいく可能性は高いです。
もちろん、逆にアウトプットは得意だけどインプットを疎かにしていると感じるタイプの人もいるはずです。
あるいは、すでに何らかの形でアウトプットはしているのになかなか成果が感じられない……たとえばこういった場合にはインプットに関する問題を見直してみるのも良いかもしれません。
体系的な知識の習得、情報収集の方法を変えるなどですね。

……と、ここまでは一般論的な説明です。
実際のことを言いますとこれは
「バランスの問題」
というよりも、インプット、アウトプット、それぞれの
「絶対量」
が問題なわけで、考えてみるといくらバランスが良くてもそもそもインプットもアウトプットも両方不足だったらお話にもならないのは自明のことです。
つまり、言い換えるならば、多くの人は
① インプットは十分でもアウトプットが足りていない
② アウトプットは十分だがインプットが少なすぎる
③ インプットもアウトプットも両方ぜんぜん足りない
……のどれかなわけです。
アウトプットの量を確保する方法
ということで、実際にはインプット、アウトプットそれぞれの絶対量を同時に確保することが課題と言えます。
そこで、もちろんインプット、アウトプットそれぞれの具体的な方法論とかそれ自体のクオリティの問題も大きいわけですが、それはいったん置いて、その前に大枠としてまず自分がしていることのクオリティを向上していくためには
「インプット→アウトプット」
をワンセットとする自分なりの作業の流れ、言い換えると
「循環(Input-Output Cycle)」
を作ることを意識することから始めましょう。
作業の絶対量を確保するというのは、さらに言い換えればこの循環の
「回転数」
を一定以上に確保するということと同義です。これを意識して日々の実際の行動や作業の方法を構築していけば、いわゆる「バランス」の問題も必然的に解決するわけです。
最初のうちはクオリティは低いのが当たり前
最初はだれでも、自分ができるアウトプットに自信が持てないものです。
というよりも、最初から自信があるほうが変なわけで……それは根拠のない自信で、最初の内はだれが何をやってもレベルが低いに決まっています。
だからと言ってインプットだけしていてもアウトプットの経験がなければはっきり言って何も出てきません。
また、アウトプットしてみるからこそ次に何をインプットするのが有効なのかを知る手がかりが掴めるのです。
だから下手でも何でもいいからインプットとアウトプットの循環を速く回したほうが有利なわけです。
別の面から言うと、技術や腕前を上げるためには相当量の
「経験値」
が必須です。この経験値というのが実質的に何を指すのかと考えるとまず思い浮かぶのはその事柄に過去費やしてきた
「絶対時間」
です。たいていごく俯瞰的にみると何であれその道のプロとか一流と言われている人々は必ず相当の時間をそれに使ってきたからクオリティが高いわけです。
しかし、いくら時間を確保してもだらだらやっているだけでは大きな効果は期待できません。よって当然
「密度」
「集中度」
も問われます。
とはいえ集中するのが苦手という人は多くいます。
もちろん、高い集中力を発揮できたほうが効率は良いことになりますが、集中するというのはそれ自体に一定の経験値が必要なものなので実際はいくら気合を入れようがモチベーションを上げようが一朝一夕にはできません。
もう一つ、付け加えておくと、実は集中力というのは常に100%である必要はありません。ただし、これにも最低限これ以上はないと効果がないという「閾値」のようなものが存在するってことです。
ある程度のレベルになってくるとむしろ、あえて集中しない時間を作るというような手法も有効になってくるものです。
つまり現実には、単に「集中する」というよりも
「集中と弛緩」
の両方を適切にコントロールする……というような次元の技術や能力が必要になってきます。
ここでは、ただやみくもに「集中しなければ!」と思い込むのではなくて、そもそもこのようなコントロール自体が一種のスキルであって、そのスキルを得るにも結局「絶対時間」が必要だという点を押さえておきましょう。
なぜ「習慣化」が最強なのか
「経験値=集中度×絶対時間」
という公式は一応成り立ちます。
それで、もちろん多くの人にとってはこの「時間確保」の問題が大きいです。
「会社に行ったり、生活上の雑事にとらわれたりせず、一日中そのことだけできれば、きっと自分だってすごい成果を出すことができるのに……」
だれもがこのようなイメージを持ちます。
しかし、それはかなり雑なイメージです。
実際には、仮に一日24時間、全部をフルに使えるとしても、それに見合った経験値が獲得できるとは限りません。限りません……と言うか、たぶんできません。
その理由の一つは、人間は完全にストレスフリー、無制限に自由な状態になると、むしろ集中が難しくなるからです。
もう一つの理由は「限界効用逓減の法則」というのがあるからです。
【限界効用逓減の法則】
― ウィキペディア
一般的に、財の消費量が増えるにつれて、財の追加消費分(限界消費分)から得られる効用は次第に小さくなる、とする考え方。
この法則は経済上の理論ですが、一般的な価値全般(たとえば時間)についてもこれを当てはめて類推することができます。
たとえば、あなたが毎日1時間勉強した時の成果を基準として「100」とします。
あなたがさらなる時間確保に成功し、毎日3時間勉強できる状況になったとすると、その時に期待できる成果は……「300」にはならないかもしれない、ということです。
最初の1時間は「100」だとしても、継続してもう1時間勉強を続けた場合は「80」くらい、さらに1時間やっても「60」くらい……3時間合計での成果は「240」にしかならない、ということが起こるということです。
もちろん、時間と集中力との関係を考えた場合、スタート時の集中力より、ある程度時間が経過したときに集中度が上がってくるという見込みもあります。
これは、陸上競技において100メートル走の記録が「50メートル走の記録の2倍より速い」のに似ています。
つまり個人ごとに「自分にとって最適な時間配分」というのが存在します。
また、実際には自分が意識してその事柄に費やしている時間だけが成果を決めるのではありません。
そもそも、それ以外の時間をどのように使っているかということも人間が行うアウトプットのクオリティに間接的な影響を与えているだろうことは想像に難くありません。
よって、気合で短期間のうちにガリガリやるという方式よりも、自分にとって最も効果の高い一定のペースとスタイルを確立すること、つまり
「習慣化」
のほうが長期的に見て効果が大きいのです。
アウトプットの次元とは?
たとえば、英語を勉強しているとします。
英語学習でもインプットだけでなくアウトプット学習が重要であるとよく指摘されますよね?
で、その場合の「アウトプット」というのはふつうどういう行為を指すのかと考えてみると、通常は当然
「話すこと(スピーキング)」
「書くこと(ライティング)」
という話になります。ちなみにそれに対応するインプット方法は当然「聞くこと」「読むこと」ですね。
単純に言えば、このインプットとアウトプットのサイクルを循環させることが、効果的な英語学習のしかたということです。
ところが、もっと深く考えると
「話すこと」
と言っても、たとえば自宅で自分ひとりで参考書にある例文を音読してみたり、DVDなどの英語教材を使って発声してみるというような次元でもそれは
「アウトプット」
には違いないのですが、次段階として
「目の前にいる相手と会話する」
ことのほうがより発展的な、つまり次元の高いアウトプットと言えますよね?
もっと言えば、その会話の相手というのは英語の講師の先生や知り合いの外国人の方でも良いですが、実は
「その辺を歩いている本当の外国人」
だったらより実践的なアウトプットになり得ますよね。
さらには、実際に英語圏へ行ってそこで英語だけを使って生活するということになるとどうでしょう?
アウトプットといってもその次元がぜんぜん違います。
「循環(Input-Output Cycle)」
と言ってもそれには何層にも異なる次元でのアウトプットが想定できるのです。
先ほど言った
「その辺を歩いている本当の外国人と会話する」
というのを高次のアウトプット方法として実践しようとする段階では、その前段階にある練習や学習、つまり英文を聞いた通りに発音してみることや講師を相手に発音や発声をしてみてチェックしてもらうことや……ということもどちらかというと「インプット」の側にある行為に見えます。
「アウトプットの次元が上がった」
からです。
もちろん、日々の基礎からの積み上げのような努力を疎かにしていきなり極端に実践的なアウトプット法ばかり挑戦してもおそらく効果は少ないわけですが……実はこのように「循環(Input-Output Cycle)」を多重的、多層的なイメージで捉えることが効果的なアウトプットのコツです。
英語学習の場合は例として分かりやすいと思うのですが、おそらく他のどんなことであれこの理屈は当てはまります。
ここまでをいったんまとめますと、インプットとアウトプットの問題というのは
① バランスではなくて両方の絶対量が問題
② 「Input-Output Cycle」の回転数が問題
③ 「Input-Output Cycle」は多次元的に想定できる
と考えるとすっきりします。
インプット方法にもこだわる
インプットにおいては絶対量もさることながらその品質をよく吟味する必要があります。基本的には
「目的ありきのインプット」
が大前提です。
もちろん常にある程度の試行錯誤、トライアンドエラーを避けることはできません。
というより、一定量の試行錯誤があったほうが長期的に見るとクオリティは上がるのですが……とは言っても、あまり意識や集中を伴わない無目的なインプットだけを繰り返しているのは非効率です。
ポイントを2つだけ挙げますが、まず
① インプットする内容は「アウトプットしたい内容」から逆算して決める
のが良いです。
もう一つはインプットに関してはむしろ
② 他人との比較、競争の視点を持つ
ほうが有効だと思います。
つまり切磋琢磨する相手を見つけるとか、他の人がやっている有益なインプットの仕方を学ぶとか。
私は、こと「アウトプット」に関しては実はあまり他人との比較は有効でないと感じます。
事柄の種類や段階にもよりますが、基本的に自分が生み出す成果や提供物のレベルそのものを他人と比較して一喜一憂することにはあまり意味や効果がないです。そういうことは節目にたまにやる程度で十分だと思います。
しかしインプットのほうこそ情報や知識の品質や具体的なツールや方法、それに自分のボリューム感が他人から見ると十分なのか? ……といった点において独りよがりになりやすいのです。
そのため、むしろ他の人が何をどれくらいのスピードでこなしているか?
あるいは、その道ですでに成功したり活躍している方は、どのくらいのインプット量をどんな方法で確保してきたのか?
意識したほうが良いです。
よくある話ですが、自分では
「私はこんなに頑張っているのに……どうしてこの程度のレベルにしか到達できないんだろう」
というように思わず嘆きたくなる瞬間があったりします。
「やっぱり才能がないんだ」
「素質が違うんだ」
「私の環境じゃ、いくら頑張っても無理に決まってる」
……とつい考えたくなることもあります。
でも、そういう場合に真っ先に疑ってみるべきなのは
「私はこんなに頑張っているのに」
この「こんなに」とは、客観的に見て「どんなに」なのかということです。
「謎のクオリティ」を目指す
余談ぽいですが……YouTubeやニコニコ動画界隈で時々見かける、私が妙に気に入っているネットスラングのひとつで
「謎のクオリティ」
というのがあります。
謎のクオリティとは、なんだか理解出来ないがクオリティが高い事のみわかる動画に付けられるタグである。
― ニコニコ大百科
つまり、その意味とか価値とか……それに、役に立つかどうか、売れるかどうか、評されるかどうか、といった観点から見ると疑問ではあるけれども、でもとにかくクオリティだけがやたらに高いというある意味では皮肉を込めた言い方なのですが。
しかしこの「謎のクオリティ」というのは私から見るとはっきり言って
「大きな称賛の言葉」
に見えます。
最終的には評価や成果を得たいと思っているとしても、その過程ではある意味でムダと思えるほどに自分の作品や、提供する商品、サービスのクオリティを真剣に追及することは必須です。
ずっとそれだけをやっていれば良いというわけではありませんが、おそらくそれは少なくとも一定期間、前提として必要です。