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パーキンソンの法則とは、端的に言うと
「ムダは起こるべくして起こる」
ということです。
パーキンソンの法則とは
「パーキンソンの法則:進歩の追求(シリルノースコートパーキンソン著)」によって提唱されたパーキンソンの法則の原型は
第一法則
「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」
第二法則
「支出の額は、収入の額に達するまで膨張する」
の2つの法則で、パーキンソン博士は1950年代当時のイギリスにおける官僚制に対する批判的考察としてこれを提唱しました。
官僚制……今で言えば
「公務員の数」
の問題ですね。当時のイギリスは戦後の軍備縮小や植民地政策の転換などが目下の課題でした。
つまりパーキンソンの法則は、不必要に拡大を続ける官僚機構とその人員、予算の膨張に警鐘を鳴らすものだったわけです。
パーキンソンの第一法則
第一法則は
「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」
というものですが、おそらくだれもが感覚的にも理解できるものと思います。
典型的な例として、ひとつには
「夏休みの宿題」
のような場合が考えられます。
振り返ってみればあなたもそうだったかもしれません……多くの子供たちは、夏休みの宿題を 「最後の一週間」 くらいでやっつけて間に合わせるのです。
中には、たいていクラスに一人くらい……最終日、一日だけで全部やったという強者もいたでしょう。
原因 ① モラトリアム(猶予)
このようなことが起こってしまう原因のひとつは……それは当然
「夏休みの間にやればいい」
という(実際にはずいぶん余裕のある)締め切りが決まっているからです。
学校の先生からするとそれは決してほめられたことではないでしょうが、子供たちはたいてい
「これ以上着手を遅延させると、締め切りに間に合わなくなる」
と感じるギリギリのところまでモラトリアムします。
しかし、このことは、逆に考えると夏休みの宿題を終わらせるのに夏休み期間の全部が必要なわけではない……ということを表しているとも言えますよね。
「締め切り」効果
一般に、締め切りを明確に設けることで、それに間に合わせようとする心理が働くので効率的になり、作業時間が短縮できると言われます。
いわゆる「締め切り効果」です。
パーキンソンの第一法則は、いわばこれを逆の面から言っているものと考えることができます。
締め切りが(必要以上に十分な長さで)設定されているとき、人はその締め切りに合わせて着手を遅らせるのです。
同じ内容と量の作業でも、期限が3日後と指示されたら3日で終わらせます。しかし、
「来週まででいいよ」
と言われれば丸々一週間かかってしまうことになるわけです。
原因 ② クオリティの追求(善意の)
しかし、パーキンソンの第一法則はなにも、モラトリアムだけが原因ではありません。
本人はまったく怠けているわけではなく、むしろ精いっぱい真剣に取り組もうとしているときでさえ、第一法則が働いてしまうのです。
それは基本的な方針として、今しなければならない作業について、本人が
「自分にでき得る限りの最高のクオリティ(品質)を提供しよう」
という意思、つまりむしろ善意から起こるのです。
要するに、むしろある程度「ちゃっちゃと」やっつけで作業してしまうなら時間はかからないのです。
しかし、自分なりにその作業の細かい点まで配慮して、たとえば資料作成などの書類を提出するにしても
「より分かりやすく明確な構成にできないか?」
「テキストの表現は最良か?」
「図表をさらに加える必要はないか?」
「データのミス、誤字脱字はもうないか?」
「だれかに、他人の目からチェックしてもらう必要はないか?」
……というふうに、こだわり始めればより多くの改善点や、より良いアイディアがいくらでも出てくる可能性があります。
つまり
「より時間をかければ、より良い、より完成度の高いものができ得る」
という単純な公式が成り立ちます。
この側面から言えば……必然的に
「完成のために与えられた時間をすべて満たすまで、その仕事に費やしたほうが良い」
ことになります。これはむしろ、この側面から言えば正しい判断ということにもなるわけです。
「自転車置き場の議論」
ただし、上記のことはたとえば業務の効率化や生産性の向上、あるいは全体最適化や目標達成といった側面から見るとデメリットに見えます。
これに関連して
「自転車置き場の議論」
という示唆的なエピソードがあります。
たとえば、あなたが住んでいるマンションかアパートかの、自転車置き場が雨ざらしなので屋根を建てようという話になったとします。それに関して、住人たちの管理理事会が開かれました。
すると、理事会に出席した住人たちは口々に
屋根の素材はどんなものがいいか?
どのメーカーのものが最適か?
屋根の色はどうするか?
形は?
鍵は必要か?
費用は利用者のみが負担するべきか?
とりまとめはだれが行うか?
工事業者の手配と進捗管理はだれがするのか?
……などなど、延々と議論が出てくることになるでしょう。
「今回はまとまらなかったので、また次回……」
となる可能性もけっこうあります。
ところが……ここで、もちろん上の議題についてはそれなりに重要だと思う意見も出るかもしれませんが、たとえば
「屋根の色を何色にするのがいい?」
という点について多くの時間をかけて議論する意味はあるでしょうか?
一方で、そもそも
「本当に屋根を付けたほうがいいのか?」
については話し合われたでしょうか?
……このように、本題から考えるとあまり重要性が高くない点のほうにむしろ議論が集中してしまい、そちらに多くの時間やコストがとられてしまう現象のことを
「自転車置き場の議論」
「自転車置き場の色問題」
などと呼びます。
この例は、実はシリルノースコートパーキンソン自身によって(上記の本とは別のよりカジュアルな風刺本の中で)語られた、いわばパーキンソンの法則の派生形で、
「パーキンソンの凡俗法則」
と呼ばれることもあります。
パーキンソンはこの例との比較として
「原子炉の建設計画」
の場合について述べています。
これだけ問題が表面化している現代ではこの例は適切とは言えなくなっている面もあるのですが、基本的な考え方としては、こういう、費用が莫大で判断責任の大きい問題については、多くの人は自分の意見を言いたがらないという点では的を射ています。
だってよく分からないし、自分の意見や判断がもし間違っていたら、重大な責任を問われるかもしれないから。
その結果、一部の権威者や専門家の意見がそのまま通りやすくなり、結果としてその審議に必要な時間は短縮されます。誰も大した意見を言わない、いや、言えないのですから。
パーキンソンの凡俗法則
「会議の長さは、議題となる計画の予算規模に反比例する」
あるいは
「組織は些細な物事に対して、不釣り合いなほど重点を置く」
そして、この凡俗法則から当然の帰結として、もともとの
第一法則
「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」
ことの意味も問われることになります。
パーキンソンの第二法則
さて、第二法則は
「支出の額は、収入の額に達するまで膨張する」
ですが、たとえば官僚制における公務員の数で言えば、パーキンソンの第一法則が働くことによって現場の人員、そしてその管理に要する人員についても、それはいつも
「手いっぱい」
の状態になります。第一法則によって、各自が使える時間がすべて使われてしまうのですから当然ですよね。
すると、公務員の数というのは、その内部からの声に従えば結局、国家予算が許す限り膨れ上がるのが自然ということになるわけです。
仕事はいくらでも出てくるものです。
時間はいくらあっても足りないのです。
そしてこれは……本当は民間企業でも、また、あなたという個人の範囲だけで考えても同様に働く法則と言えます。
一方で生産性とかコスト削減という要請が強制力を発揮しなければ、人間は常に時間も費用もすべて
「必要なものとして」
ある意味適切に(?)使い切ってしまうのです。