完璧主義とは、自分や他人に完璧であることを課し、妥協や不完全を一切認めようとしない心理傾向のこと。

一般には、完璧主義に陥ることはデメリットのほうが多いと考えられています。

あなたが他人のことを

「彼は本当に完璧主義者なんだから」

というふうにいう場合も、たいてい否定的な意味を込めて言っていることが多いと思います。

完璧主義者が嫌われる理由

完璧主義者がどちらかというと批判の対象になりやすいのは、まず

① 他人にも同じ基準を求めるから

です。周囲の他の人から見るとその基準はあまりにも厳しいと感じられます。

ただし、単に基準が高いというだけならばまだしも、完璧主義者と揶揄される人の基準というのは、多くの人から見て

「そんな部分はほとんど何の影響もないだろう」

と思えるほどに細かかったり、時にはまったく的外れな部分にまでこだわりすぎているように感じられます。

② 他人の意見や考えを取り入れようとしないから

それともう一つ。

完璧主義の人というのは、他人の意見や指摘に目を向けようとせず、唯我独尊と見られる傾向があります。

完璧主義者が頭の中で想定している「完璧な状態」というのは、あくまで本人が思っているものであって、必ずしも客観的なものでもないし、他人と共有できるものとも限りません。

ただし、その主観的な想定自体が本人にとっては絶対的で完璧であるはずですから、それに異論を差しはさむ人の言ってることなど聞く耳を持ちません。

このような傾向があるため、完璧主義者は周囲の人から疎まれやすくなります。

ところで、おそらく完璧主義者である当の本人は、完璧主義であるがゆえに、自分がそういう目で見られていると分かっても、仮に嫌われているとしても対して気にしないものです

そもそも、完璧主義者は自分がそのように周囲の人と違う感覚を持っていることが、むしろ

「自分が完璧主義であることの証明だ」

というくらいに感じている場合があります。そして、もちろん自分のほうが本来正しいのだという意識を強く持っています。

確かに、理念、観念として言えば完璧であることは理想であり本来的であり善なのです

その意味では、完璧主義者というのは正しい。ある面では正論なのです。

そして、完璧主義者というのは、 ある意味では自分をそのような他者と区別するために自分自身を厳しく律しようとしているのですね。

だから、他人にいくら否定されても揶揄されても平気なのです。

「完璧」とは何を指すのか

よく、

「完璧な人間などいない」
「人間というのは不完全なものなのだ」
「神様じゃないんだから」

などと言います。

これも確かに揺るがし難い正論のように聞こえます。

しかし、完璧主義者というのは別に神様のように完全になろうとか考えているわけではありません。

つまり、周囲から見て「完璧主義」だと映るその本人は、決してこのような意味での完璧さを求めているわけではないのです。多くの場合。

たいていは、その人はただ、安易に妥協したり、不完全だと分かっているのに放置したり、手を抜いたり中途半端なところで投げ出したりする精神的な態度を憎んでいるのです。

さらに、そのくせ物事に完璧を期そうと努力している自分を批判したり揶揄したりする側の人たちを、完璧主義者は心の中で強く嫌悪しているはずです。

あるいは、現実にはそんな人々が多い(少なくとも本人にはそう見える)という他人に対する評価が固定してしまえば、嫌悪や怒りを通り越して深い絶望のような、諦めのような気持ちを抱き、もはや他人に期待することをやめてしまっている場合もあります。

つまり、このような意味での完璧主義というのは、

① 対象を限定しない単なる心理的な構え

です。

実は本人にとっては

「イメージしている自己基準が(周囲から見ると)異常に高い」

というだけであって、その場合おそらく、本人自身は自分のことを完璧主義者だなどとは思っていません

あるいは、その高い自己基準を課している対象、内容、その範囲もあくまで主観によるもので、ある時には特定の目的や意味すら念頭にない場合もあります

もっと言えば、完璧主義者が考えたり感じたりしている「完璧」という概念が、単なるイメージ以上の何物でもなく、具体的には何にも指していないという場合すらあります。つまり、その人はただただ頭の中で

「すべては完全であるべきだ」
「私は(あるいは世界は)、常に完璧でなければならないものだ」

というふうなごく抽象的な観念だけを強固に保とうとしているだけなのかもしれません。

次に、これとは違って

② 対象が非常に明確かつ重要な場合

もあります。

仮に特定の限定された範囲において完璧な状態というのが決して無理なことではなく、また何をもって完璧と言えるのかが明らかにはっきりしているならば、その範囲で完璧主義であるということは特に問題にはならないはずです。

いわゆる「職人気質」「職人かたぎ」と呼ばれるようなものです。

職人肌の人に言わせれば、むしろ完璧であることが求められているのに、それを不完全なままにしている態度のほうが責められるべきだと感じることでしょう。

また、たとえば業務上の失敗やミスが絶対に許されないような仕事の場合などには、受け手はその職に携わっている人にある種の「完璧さ」を求めるものです。

たとえば、医者や薬剤師のような人命にかかわる仕事に就いている人。

飛行機や、電車の運転や管制といった種類の職に携わる人。

あるいは、高層ビルや橋など大規模な建造物を建てる仕事などもそうです。

……こういった仕事において、それに携わる人が

「別に完璧にできなくたっていいじゃん!」

とか言われたらどうでしょう。

恐ろしくて仕事を任せておけませんよね?

そのような重要なサービスを受ける立場になれば、だれもが(少なくとも、こういった業務の「キモ」となる根幹の部分については)当然に万全を期すことを求めます。

「人間なんて不完全なものだから」

とか言って許しはしません。

たとえばこのような職種における、当然に求められる完璧さというのは、結局は

「絶対に外してはならない部分を、絶対に外さないでほしい」

という意味です。

もし、この意味のことを「完璧」と呼ぶとすれば、完璧とは「主義」であるどころか必須の条件ということになりますよね?

実際、完璧主義的な傾向というのは特定の職業においては適性とみなされることもあります。

さて、最初に述べたように、私たちが一般に

「完璧主義だね」

と揶揄するような場合、その人が持っているいわゆる「完璧」という概念は、たいていの場合業務上明確に要請されたものでもないし、それどころか別にだれにも期待されてもいないのに本人だけがこだわっている……というように見える点が多く含まれていたりもします。

つまり、

③ 部分に対する主観的な執着、こだわり

ということです。それが他人から見ると完璧主義的に映るのです。

しかしこのとき、本人がイメージしている完璧さというのは、あくまで主観的なもの、単にその本人が勝手にこだわっている些細なディテールに対する「執着」です。

目的に照らして重要性が高い点かどうか、必須の条件になっているか……といったことはあまり考慮されていません。ただ、こだわっている本人が

「これは、絶対こうするのが正しい」
「これは、こうやるもんだ」

と自分の中で固定しているから、外すことができないだけなのかもしれません。

イメージだけの「完璧さ」に価値はない

つまり、完璧主義的な志向というのがメリットとして現れるためには、完璧にしようとする、その対象の範囲や具体的な内容、要素が明らかである必要があります

それが明確でなければ、その完璧主義は単なるイメージ、心理的な傾向、特にその多くは個人的な偏向、執着のようなものにしかなり得ないわけです。

おおよそ身の回りに起こるすべての事柄、心に浮かんだすべての認識や思考について、そのすべてに対して完璧さを要求するというような意味での、ごく理念的な完璧主義というのは、

「人間はそもそも不完全な生き物である」
「神様じゃないんだから」

という批判に対して反論できません。

そして、たいていの場合、そのような意味での完璧主義者というのは、本人が頭の中で思い描いているのとは裏腹に、

「実際には完璧であるどころか、通常よりもさらに完璧から程遠い結果しか生まない」

ということにもなりかねません。

完璧主義のデメリットだけを排除することは可能か

他人の目や、他人との協調性などの問題はいったん置くとして、仮に自分自身のことだけを考えた場合でも、完璧主義的な傾向というのは確かにより良い方向に触れる可能性もありますが、 客観的に見ると完璧であるどころか著しくパフォーマンスが落ち、本末転倒と言わざるを得ない状態に陥る危険性もあります

まず、その範囲や対象がはっきりしない、単に理念的、空想的な「完璧であろうとする心理」に囚われている人というのは、

① 完璧にできると感じる場合しか行動しない

というパターンに陥っているかもしれません。

当然ですが、このようなパターンが身に付いてしまえば行動力が著しく低下するでしょう。

そもそも、

「何事も完璧にやりたい」

ということのほうが本人にとって目的化している場合があるのです

もともと何か自分の目的や欲求があり、それを実行する上で、できるだけ完璧にそれをやろうとするのであれば、まだ整合性がある判断と言えるかもしれません。

しかし、自分の目的や意欲よりも、完璧であるということ自体に囚われるから

「思った通りに(完璧に)できそうかどうか」

が自分にとっての行動の第一基準になってしまうわけです。

すると、当然の帰結として、自分がすでにできる範囲のこと、自分にとって分かり切った、すでに見えている事柄だけを何度も繰り返す。

つまり、自分の安全圏から出ない。

……という行動様式が固定してしまいます。

② チャンスを逃しやすい

仮に、何か新しいことに挑戦しようという気になった場合でも、あらかじめ完璧に(ということは極限までミスなくエラーなく、効率よく)それを実行したいと考えるので、いつまでたっても始めません。

完全な計画を立て、脳内でシュミレーションを繰り返し、不備を先に補おうといろいろ調べたり考え直したりしているうちに……タイミングを失うか、そのモチベーションを失うか、結局ほとんど何もしなうちに終わっています。

何か予期せぬチャンスに恵まれた場面でもそうです。

慎重に、万全を期する気持ちが強すぎて、大胆な決断や行動が難しくなります。

このような状況下では、万全な準備よりもむしろ拙速、とりあえず見切り発車でもいいから機を逃さないスピード感が要求されることも多いです。

限られた時間や条件の中で、自分ができる全力を尽くすということと、頭で考えている完璧な状態を再現しなければ価値がないなどと思い込んで機会を逃してしまうことと……ぜんぜん違う姿勢です。もちろん結果も違います。

③ 自分や他人を許すことができない

完璧主義の人は、自らが課した理想的な状態や想定に至らなかった時、通常の人のように

「それならそれでもいいや」
「まあ、これで良しとしよう」

というふうに割り切ることが難しいかもしれません。

それが大勢にあまり影響のない些細な失敗だったとしてもです。そもそも最初に思い描いていたイメージ通りでないと気が済まない、想定外の結果を認めることができないといった心理に傾きがちです。

特に、本人がこだわっているディテールの部分に少しでも瑕疵や不満があると、実際にはほとんど結果には関係ないのに、いつまでも納得することができず、それだけですべてを投げ出したいような衝動に駆られたりします。

理念だけで作り上げた美しい「完璧さ」を追い求めるあまり、現実的にはどうしようもないことだと認めることもできず、不満や悩みを鬱積させることも少なくありません。

そのために、せっかく手に入れたものを自ら投げ出してしまったり、同じ過程を無意味に何度も繰り返したりもします。

重度の場合、うつや強迫性障害(確認行為、加害恐怖、不完全恐怖などの精神障害)に発展する可能性もあります。

以上のような症状は、完璧主義的な心理傾向が悪い方向へ振れたときに起こりがちな大きなデメリットです。

「満点主義」で成功を勝ち取る

上でも書いたように、完璧主義的な傾向というのは、

「目的や対象が明確に限定されている場合」

には、優れた適性にもなり得ます。

逆に考えると、完璧主義のデメリットというのは対象や目的が「無限定」「不明確」であるときに発生しやすいということができます。

そこで私は思うのですが、最近教育分野などでしばしば話題になるように、ここで重要になるのは決められた、与えられた課題や問題に対応する「回答力」だけなのではなくて、そもそも有効で価値の高い課題や問題を自ら作成する能力、要するに

「問題作成能力」

なのではないでしょうか?

学校になぞらえて言えば、たとえば100点満点のテスト問題があって、そのテストの結果が98点だったらふつうは十分よくやっていると言えるわけですが、ある人は、あくまで100点を取り続けることに執着して、あと2点取れなかった自分を責めたり、さらに過酷な(?)勉強を自分に課したりします。

勉強で言えば、これは「完璧主義」と言えると思います。

こういう執着心は、前で述べたようにふつうに考えればデメリットにつながる側面もあるわけですが……。

しかし、そのテストというのが、仮に自分にとって非常に重要な、価値の高いものだったらどうでしょう? (ふつう、学校のテストというのはそういう類のものではないですが)

成功哲学とか、自己啓発分野の話が好きな人だったら、こういう表現を聞いたことがあるかもしれません。

「成功というのは、成功に至るためのすべてのピースを組み合わせるパズルのようなものだ」

つまり、自分が思い描く「成功」や「自己実現」のためには、必要な要素をすべて満たさなければならないというような意味です。

これは言い方を変えると、成功とか、特定の目的達成を考えるなら、その必要条件をすべて満たさなければならない。どれか一つでも欠けたら、それには届かない。

言い方を変えると、成功するには、必要な要素においては

「完璧主義でなければならない」

ということになります。

もし「あなたが幸せな成功を収めるために必要な行動を網羅したテスト」というのがあったとします。

すると、あなたはこのテストで満点を取らない限り、成功できません。

この問題には、成功するための、まったく無駄のない、必要十分条件が網羅されているからです。

このテストの問題のうち、1個でも落としたら成功には至りません。

この場合、100点満点であることにだけ意味があります。

99点は、0点と同じです。結果的に。

ですから、満点主義でなければならないのです。

「問題作成能力」が明暗を分ける

このように考えると、成功者というのはある意味では

「そのテストを自分で作成することができた人」

のことです。

そして、自らが作ったそのテスト問題を、自分ですべて解いて満点を取った人です。

彼ら成功者は、その範疇に限っては必ず「完璧主義者」なのです。

そして、おそらくこの「成功者のテスト」というのを、もっと一般的な呼び方をすれば、それが成功本などでいつも出てくる「マインドセット」であり「ゴール設定」であり「具体的な計画」といったものになるわけです。

架空のテストを自作して、満点を取る

物は試し。

自分がどうしても達成したい目標や願望を実現するために必要なマインドや思考、発想、それに行為や行動のプロセスなどを、学校のテストのような形ですべて挙げてみてください。

するとまず多くの人は、そもそもこのテスト問題を作ることができません

それは、とりもなおさず自分がそのためにどんな行動をすれば良いのか、どんな行為や能力が必要なのか(逆に言えば、何は必要ないのか、何がそれに無関係なのか?)……というのが曖昧なままだということを表しています。

もちろん、一発でできる人はほとんどいないと思います。

しかし、むしろ試行錯誤すべきは、

「いかにしてこのテスト問題を(妥当な形で)作り上げることができるか」

ではないでしょうか?

そこにあなた自身の持てる資源や能力を集中的に注ぎ込まなければなりません。

そして、仮にそれができ上がったとしたら、次には、この自分専用のテストは、学校のテストと違って「すべて完全に」行わなければなりません。

つまり、満点である必要があります。

そこでは、あなたはある種の積極的完璧主義者、あえて呼び方を変えれば

「満点主義者」

でなければなりません。

すると必然的に成功します。