「約束の時間は必ず守る」
「遅刻しそうなときは必ず連絡をする」

……こういった注意を一度も聞いたことがないという人はいないでしょう。

しかしこれを常に実践している人というのは意外に少ないです。

あなたの周囲にいる身近な人の中で

「あの人は特に時間に厳しい」

という評判を得ている人を思い浮かべてみてください。いるようで実際にはなか見つからないのではないでしょうか?

なぜでしょう。

……それは多くの人が、時間を守るということを

「そんなことは当然分かっている」

などと安易に考えているからではないでしょうか。

時間に厳しい人はむしろ敬遠されたりする

だれでも

「時間を守るべきだ」

と言いますが、多くの人はその理由についてあまり考えたことがないかもしれません。

たとえば、数分くらいの遅刻というのは実際問題ほとんどどんな状況でも見られます。

仕事関係でもプライベートでも、数分の遅刻を取り立てて攻める人はあまりいません。

そもそも上司やお偉いさんも含めてみんな守っていません。

会社だと、朝一、出勤時には朝礼などがあって比較的時間厳守の雰囲気がある場合もありますが……そういう会社であっても、たとえば休憩時間が終わって勤務に戻るときに周囲を見回しても、それほど厳密にきっちり行動している人はいないでしょう。

むしろ、あまりにパンクチュアルに行動する人は変な目で見られてしまうのではないでしょうか?

それに……どんな人でも遅刻をすることがある。人間なんだからだれでも遅刻する可能性はある、という言い方をする人がしばしばいます。

特殊な状況でやむにやまれずということもあれば、単なる怠慢にしか見えないという状況もありますが、でもどっちにしろ、おそらく

「生まれてこのかた一度も遅刻したことがない」

なんて言い切れる人はいません。

でも……それならば

「時間を守るなんて、当たり前のことだ」

となぜ言えるのでしょうか?

いったい何をもって時間を守るべきだと言うのでしょう。

「時間を守る」一般的な理由

もちろん、だれでも次のようなことは考えます。

「時間を守らないと相手を待たせることになる」
「人の迷惑になる」

職場であれば

「他の人の業務に影響が出る」
「職場の士気が下がる」
「風紀が乱れる」

……多くの人が時間を守るべき理由としてこのような点を挙げます。

要するに

「周りの迷惑にならないために」

という意味ですよね。

その根底には「迷惑」という観念があるから、現実には 周囲から逸脱しない程度に時間を守ればよいと考えることになります。

1分1秒の遅刻は特に迷惑にならないから大丈夫……と思っているわけです。

また多くの人は

「あの人は時間にルーズだ」

というレッテルを貼られることが社会的に非常に不利であるということも自覚しています。

ですから、周囲に目立つような場面では

「私はいつも約束の時間を守る」

という顔をして振舞います。

でも、それほど問題にならない場面だったり、周囲の人たちがみんな時間を守らないと分かっている場面だったら、それに合わせて自分も時間を守らないでも平気なのです。

「時間を守る」最大の理由

私が考えるには、そもそも「時間を守るべき理由」というのは別にあるのです。

それは時間というものがあなたや私にとって

「最重要な資源的価値」

だという認識です。

もし

「なぜ時間を守る必要があるか」

と聞かれたら私は

「周りの迷惑になるから」

とかではなく、こう答えます。

「時間という資源の重要性と、それに対する敬意を表明するため」

と。

これが時間を守る本当の理由です。

だから

「あまりにも周囲から逸脱しない程度に」
「周囲に迷惑をかけない程度に」

時間を守るのではありません。

たとえば、周りの人が時間にルーズに見えるとき、それに合わせて自分もルーズになるとしたら、それは自分が持っている時間の価値を自ら下げるバカげた行為と言えます。

時間にルーズな人と同調してもあなたにはまったく何のメリットもありません。

たとえば、何かが

「終わる時間」

が、始まる時間と同じくらい重要だと意識しているでしょうか?

会議やミーテングが、いったん始まったらいつまでもだらだらと続くようなことはありませんか?

「遅刻はヤバイ、でも残業は別にいい」

とか思っていないでしょうか?

あらかじめ終わる時間を意識していないということは、担当する業務をコントロールできていないと周囲に宣伝しているようなものです。

つまりそれはその人の生産性が期待されるより低いことを表しています。

時間について

「特にルーズでもない」

ということと、

「時間を大切にする」

というのでは次元が異なります。

時間という資源を最大限に尊重し敬意を払っているからこそ、自分自身の時間を空しく過ぎ去らせたことに対する反省や、相手の時間を奪うことの罪深さといったものにも思いを馳せることができるのです。