潜在意識というものは、巨大なパワーと優秀な機能を有している。

ただ、私たちは上手くそれを活用して来なかった。

だから、正しい「思いかた」「考えかた」を知り、それを信じて素直に求めなければならないと……。

仮に(大ざっぱですが)こういう方向性を認めたとしましょう。

顕在意識が、むしろ常にじゃまをしていることになる

すると、前の記事でも書いたように、問題は私たちの顕在的な意識や思考のほうが、潜在意識に対して(場合によっては神様や宇宙の意志などに対しても)、間違った指示を出してしまうことが問題だということになります。

間違った指示の典型は、第一には

① 互いに矛盾しているような複数の指示を出してしまう

という場合が考えられます。

【前の記事】

第二として、潜在意識に関する話で、特にニューソート系のものやスピリチャリティ系のものだと、しばしば

「潜在意識は本来、正しい道(生き方)を知っている」

といったものや、あるいは

「潜在意識は(生命の原理、自然の法則、宇宙の意志、超自我などに従って)本来必然的に真実、理想に向かって進むように最初からプログラムされている」
「潜在意識は、そもそも愛なのである」

といった表現もたびたび見られます。

そういう話を聞いたり、本で読んだりすると、

「もっと、潜在意識が本当に望んでいる、受け入れられるような願望を抱くように、努力しなければならない」

……と考える人もいるかもしれません。

つまり、

② 「本来のあり方」にそぐわない指示を出しているから

だから、願いが叶わないんだ。引き寄せられないんだ……という感覚です。

たしかに、諸説あるとは思いますが、そういう考え方も成り立ち得るとは思います。

たとえば、単に

「お金持ちになりたい」

とか、

「自分だけが他人より優位に立ちたい」
「だれかを犠牲にしてでも、自分が得をしたい」

とか?

……こういう、いわば「利己的」な願望や目的ばっかり思考し続けたところで、潜在意識や宇宙の意志は振り向いてくれないのかもしれません。

「理想的な願望」を持たなければならない……という錯覚

「潜在意識は、あなたが本当に幸せになるように、あなたを導こうとしているのです」

でも、もしそうなら……そればらばなぜ、そもそも利己的であるはずの「願望実現」などに、それが力を貸すというのか?

……もっと広げて考えるとそうなりますよね?

そもそも論で言うと、どんな美しい理想であれ、きれいごとであれ、そもそも願望実現というのは、自分が自分の願望の実現を求めるということなのですから、それ自体が利己的じゃないかと感じる人もいるかもしれません。

こういう悩み(?)というか、自分の中に迷いがあると、結局は

「利己的な願いと、本来的な願いとの確執、葛藤」

が生まれます。たとえば表面の意識として、考えないようにしよう、とか思っても……そんなの、潜在意識はとっくにお見通しでしょう。

あなたが、

「いや、こっちの願いは本当じゃない! こっちです、こっちだけです」

とか一生懸命訴えても、そんなの絶対見逃さないでしょう?

結局、これだと最初の

① 互いに矛盾しているような複数の指示を出してしまう

という間違いに戻ってしまっただけ……です。

「利己的?」というメンタルブロック

私の考え方では自分が持っている願望や、目的を果たそうとすること、そのものが利己的だという考えのほうがたぶん間違っていると思います。

何というかですね……。

こういう望みは利己的だ、こっちの願望なら利己的じゃない、とかそういう話でもなくて。

実は、私たちが意識として

「それは利己的かどうか?」

を自分だけで判断できると思い込んでいることがすでに間違っているんです。たぶん。

少なくともひとつ言えるのは、潜在意識が(私はそういう考え方ではありませんが、仮に)、それ自身

「何が本来の目的なのか?」
「あなたが本来的な幸福を得るためには、何が必要か?」

といったことを知っていると、仮にそうだとしても、おそらく、その判断の基準とか、条件や内容って、

「私たちが常識的に思っている基準とはまったく違う」

可能性が高いと思います。

私たちが今持っている善悪の基準とか、利己的かどうかとか、あるいはどんな原因がどんな結果を招いているかとか、その他もろもろの判断材料って?

そんなの、たかだか自分が何十年か生きてきた中で知り得たこと、考えてきたことの範囲で決めたことですよね?

私たちが今生きている国の、社会の仕組みとか、共通認識とか常識とか?

それも、たかだか人間が考えて、試行錯誤して何とかこの形を保っている……というくらいのものですよね?

「たかだかその程度の考え」

しか持ってないわけです。私たちは。

もちろん、たかだかというのは潜在意識が知っているという「本来のあり方」と比べればですよ

「願望実現」が利己的だなんて、なぜ言えるのか?

たとえば……。


人間にとって、夢見る望みが叶うということは、一つの重要な目的であり、価値であり、それが愛を体現する過程です。

あなたという個人は、自分が望む通りの願いを持ち、それを待ち望み、その実現に向けて、あなたの持てる能力と資源を完全に発揮する義務があるのです。

神はそのような形に人間を創り給うたのであり、それがあなたの本来あるべき姿であり、この世界があなたに対して望み、要求していることです。

あなたが何を心から望む場合であれ、あなた自身がそれを自らの本当の願いだと信じるならば、それに恐れや躊躇を持つ必要はありません。

あなた個人の目標、願望、それはすべて調和へのプロセスなのです。

そのようなあなたの想い、そしてあなたがその実現に向けてやり遂げる仕事を通して、初めから存在する宇宙の意思もまた、それを通して達成に向かいます。

あなたの願望は世界の望みの一部です。

それらを通してこそ、世界は真実という結果に向かって調えられるのです。


……とも言えるわけです。

もちろん、私も潜在意識とかが持っている「真実の知識」を得たわけじゃないんで、これはたとえば、の話ですけどね。

まあ理屈というのは湿布と同じでどこにでも張り付く、とも言われるわけで、こういう考えだって十分成り立つわけです。