「もしあなたが、勤勉さと正直だけが富を築くのだと信じ込んでいるとしたら、そのような考えは早く捨て去るべきである」
―「思考は現実化する」より
経済的成功だけが目的……ではないとしても
成功したい。
お金持ちになりたい。
経済的に豊かになりたい。
……と、もしあなたが願っているなら、少なくとも自分の活動内容や職業選択について、
「経済的成功を見込めるような仕事」
を探すか、あるいは自らそれを興す必要がある。
これは動かし難い決定的な条件と言えます。
もちろん、経済的成功だけを追い求めるような仕事観、労働観について、当然その是非を問う議論はあります。
この記事ではその点には触れません。
ただし、ひとつ言えるのは、人が何かを望む時、その時には必ずそれ以外のすべての望みを放棄しなければならない……なんてルールはないということです。
ですから、あなたがあらかじめ
「自分は、経済的には豊かにならなくても構わない」
「私は、初めから経済的な成功なんて無意味だと思うから、放棄する」
というふうに決意しているなら別ですが、そうでなければ
「経済的に豊かにもなれる」
仕事に就いたほうが良い……とは言えますよね?
仕事の選別が明暗を分ける時代かも
今の時代に限ったことではないのかもしれませんが、実感としては、今現在、そしてこれから先の流れを想像してみると、そもそも自分がどういう仕事を選び、どんな道に進むか?
その重要性がより高まっているように感じられます。
もちろん、単に一般的な職種の分類、どの業界がこれから伸びるとか、大企業や公務員のほうがいいとか……そういう一般的なカテゴリーだけで考えてもあまり意味はないと思います。
問題は、つまるところ
「自分自身が、どういうスキルを使って生きていくか?」
というようなイメージですね。
これを踏み間違えると、今後は厳しい。
……そんなイメージを私は持っています。
最近、自分の息子と話をしているうちに、特にそんな思いが強くなってきました。
息子が社会に出る頃、その時代の状況を想像してみるとですね……大変シビアな面が出てくるとも考えますが、当の息子はそんなこと知らねえ、って感じでのほほんとしていますけど(笑)
とにかく、そんなことを考えていたら、冒頭にご紹介した言葉を思い出したわけです。
「勤勉と正直」
確かに美しい言葉です。
美化しているところも多分にあるかと思いますが……私はそんな言葉を聞くと、いつも亡くなった自分の父親のことを思い出します。
……だけど、冒頭の言葉は、考えてみると別に勤勉さや正直さが不要だとか、意味ないとか言ってるわけではありませんよね?
「勤勉さや正直だけが富を築くのではない」
と言ってるわけで、言い換えれば、
「富を築くには、それ以外にも重要な要素があるということに気付かなければならない」
と言っているわけです。
経済的成功の条件となる「選択」を考えよう
先日、息子にも同じ話をしたんですけど、今あらためて考えると、経済的に成功する過程を考えてみたときに、その条件となるのは、やっぱり単純に業種業態、業界の動向などではなくて
「実際に自分が手掛ける仕事や活動が、次の条件に当てはまってるかどうか」
という点が一番大事かなと。
どんな業界であれ(おそらく今後は、「業界」とか「業種」という観念そのものが大きく変わるような気もします)。
① レバレッジ
まず、自分がやっているビジネス、または、仮にサラリーマンだったとしても、自分が担当する業務の内容そのものが、
「ひとつのコストが、倍数的に再利用されて大きなリターンを生むような形のもの」
かどうか……これって重要な要素だと思われます。
たとえば、今やっていることで身に付くスキルは、もっと規模の大きい事業などを動かすときにも再度使えるとか。
今必要に迫られて作った資料やコンテンツは、先々必ず他のビジネスでも使い回せるとか?
そういう、いわば「一石で二鳥も三鳥も狙える」ような仕事、あるいは業務を取っていくように心がけてみる。
② ストック
①の裏返しみたいなことかもしれませんが、自分のやった仕事が、ストックされて行くような内容のもののほうが有利ですよね?
つまり、日々繰り返し発生する「フロー的な作業」の比率が高い仕事だと、やってもやっても繰り返しになってしまう。残るものがない。
もちろん、自分のスキルを十分に高めるとか、必要な経験というのも一定の量あったりしますが……それだけに終始していると、いわゆる「積み重ね」が形として残らない。
ネットビジネスなどでも、最近はよく
「資産型」
という用語が見られます。金銭的な意味じゃなくても、何かしら形として蓄積されていくようなタイプの仕事が有利。あるいは、自分が担当する業務の中で、そういうものの比率が高まるように意識して選んでいく。
「自分の経験値」とか「スキル」「クオリティ」というような目に見えないものも重要ですが、昔のように
「一生かけてひとつの道を追求していく」
という価値観だけでは限界がある時代と言えるかもしれません。
ある程度、目的意識をもってスキルを習得し、でも特定のスキルを一定のレベルで習得できたと思ったら
「次のスキル」
へと目を向けていくという視点が重要。
言い換えれば自分が得たスキルに
「安住しない」
気構えが必要ということです。
同時に、有形のもの、あるいは、数値として実際に目に見えて積み重なっていくような
「形として残る実績」
を生み出すことを考えましょう。
焦ったり偏りすぎたりしてはいけませんが、おそらく長い目で見ると大きな差が生まれるんじゃないでしょうか?
③ キャリア
そして、①と②を踏まえて、自分の将来的なキャリアをイメージしておく。
するともちろん、そこには自分自身の希望や願望、適性とか志向とか、いろんな要素が入ってくることになります。
ただ、実際、自分の将来的な
「キャリアプラン」
を考えるっていうと、イメージしにくくてなかなか考えられないという人もいるかもしれません。
でも、ごく単純に、比較的リアルに想像する方法があります。
それは、
自分の将来の履歴書を書いてみる
……ということです。
逆に言うと、基本的な考え方としては、理想的なキャリアというのは
「自分が、自分の履歴書に自信を持って、書きたいようなキャリア」
ですよね?
逆にできれば書きたくないような、書くときにちょっと嫌な気分になるような……そんなのは良くないわけです。
実は、たとえば
「5年後の履歴書を書く」
というような取り組みを学校の授業で取り入れているところも最近あるようで、それ自体は、とてもいいアイディアだと思いました。
ただ、実は私の意見としては、あんまり小学校とか、小さい子供にやらせるのはどうかな、という懸念もありますけど。
ちなみに、子供自身が自然に持っている夢や憧れなら、あえて否定する必要はないのですが、大人のほうから恣意的に
「そういうことを考えさせるように誘導する」
のは私は基本的に反対なのです。
それも、親とか、少なくともその一人の子供の状況や性格、成長度合いとかを逐一観察して、よく知っている人が時期やタイミングを見計らって慎重に尋ねるならまだ許せますけど、それを学校の授業などで多くの子供に一律でやらせるってなると……メリットよりデメリットの方が大きいような気がするのです。
すいません、話がそれちゃいました。
少なくとも就職する頃、または実際に社会に出て以後だったら、
「未来日付の履歴書を書いてみる」
という試みは手軽な上かなり有効な「キャリアプラン策定法」になると私も思います。
ふつうに、ノートや紙にキャリアプラン……とか思って書くより、できればリアルな履歴書用紙を用意してやってみると、実感湧きますよ。
やっぱほら、ある程度大人になってくると、
「履歴書を書かなければならない」
というだけで、妙なリアリティが出てくるじゃないですか。
だから、ただ漠然と将来のことを想像するより、実際の履歴書だと思って、そこに未来の日付まで入れて書こうとすれば、いきおい真剣に現実的に考えざるを得なくなるので、イメージしやすいと思うのです。