思考にかかる負荷を減らし、スピードも求めるということになると、言葉については

「できるだけ明確さを担保する」

ことに主眼を置くことになるでしょう。

ここで、いわゆる「数字」と「言葉」はまったく別のもののように思っているかもしれないけれども……今実験的に、数字も言葉の一種と考えてみたらどうなるでしょうか?

もちろん高度な数学的な操作は難しいでしょうが、たとえば数字の

「1」

というのは

「ひとつである」

という概念を表す言葉、一種の抽象名詞のようなものとみなすこともできるかもしれません。

その上で、なぜ数字はいつも明確だと言えるのかというと、要するにそれは

「その表すところの概念がきわめて明確に限定されているから」

に他なりません。

なぜ

「3+5=8」

というのが疑問の余地なく絶対にそうだと言えるのかというと、それはもとを正せば

「1とか2とか3とか……」

の概念が完全に明確だとみなされているからです。

だから「3+5」というのは「8」であるという以外の何を当てはめる余地もないわけです。

なぜ「1+1=2」なのか?

けれども、ではあえて

「1+1=2」

であることを証明しろと言われたらどうしたら良いのでしょうか?

ある意味これは最大の難問と言えます。

子供の頃、そんな問いを大人に向かって、また友達どうして言い合ったりしたことはありませんか?

とても意地悪な質問ですが……たしかに

「そう決まっているからだ」

としか答えようがありません。

言葉は「約束事」である

数字とは最も明確に概念が取り決められている事例とみなすこともできます。

そして、実は言葉の本質も「取り決め」です。

言葉とは

「その事柄はそう表す」

と決めた、その取り決めを表す記号に他なりません。

ただ、言葉というのはその取り決め方が数字ほどには「かっちり」していないという違いだけです。

言い換えれば、数字のように純粋に論理的、抽象的な概念でなくて、現実の事象を扱うにはむしろ概念に広がりや曖昧さを含むほうが自然なのだとも言えます

言葉を「記号」のように捉える

他者との共有や伝達という面をいったん置いて、ただ自分自身が思考に用いることだけを前提に

「言葉を用いる」

場合、そこで使う言葉の意味や概念を、まるで数字のように記号として再認識してみましょう。

意味範囲を自分なりに明確に線引きするのです。

言葉の意味を線引きするとは、その表すところの概念を明確に区切るということです。

特に思考が混乱を引き起こしそうな状況に直面した場合、このような実験をしてみると物事が整理されて把握できる可能性があります。

要するにその言葉を意識的に

「定義しなおす」

ことです。

可能かどうか分かりませんが、理屈で言えばすべての語を完全にこのように定義付けしてしまえばそこから導き出される理論はかなり厳密で確実性の高いものになるはずです。

逆に言えば、そう考えると私たちは、実はそれぞれの言葉をある意味とんでもなくあいまいな定義のまま使っていることに気が付くでしょう。

法律用語はなぜ難しいのか

たとえば、このような厳密さをある程度実現しようとしているのが法律用語です。

もちろん、法律の解釈や当てはめ方がその都度異なっては困るからです。

しかし、法律はその定義を厳密にすることを優先しているために言葉としての分かりやすさを犠牲にしているとも言えます。だから条文は一般的に見てすごく難解にできあがっているわけです。

日常私たちが思考する場合には、そこまですべての言葉を厳密に定義し直そうとすれば、正確性が保たれる反面負荷なく用いるには逆効果になるでしょう。

ただ、実際には全部の語をそのように捉え直す必要はありません。

思考をなるべく明快にするためには、たいてい今述べたような意味で明確に記号化すべきなのはその個別の問題についてポイントとなる若干の単語に限られるでしょう。

言葉による思考を進める上では、最低限不可欠な語について再定義するだけで十分役立ちます。