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聖杯探しについて
FXにおいて聖杯というのは、平たく言うと
「どんな場合でも必ず勝てる方法」
というような意味です。
ごく初心者のうちは、
「相場で大金を稼ぐ人やプロのトレーダーというのは、常に勝てる具体的な方法を知っているからこそ、勝ててるのに違いない」
と漠然と感じているものです。
これは言ってみればごく当たり前の考えです。
しかし、少し情報を当たると、多くの人が
「相場に聖杯は存在しない」
と指導していることに気が付きます。
FXの初心者向けのサイトや動画を見るとたいていは
「聖杯探しは無意味だ」
とか
「聖杯は存在しないと悟ることが第一歩だ」
といったことが解説されています。
それは聖杯じゃないのか?
でも、一方では巷ではいつも、たとえば
「常勝のトレード手法」
「勝率85%のトレード術」
……というようなちょっと怪しい(?)ノウハウが売られていたりもします。
または、放っておいても勝率の高いトレードを繰り返す自動売買ツールとか。
これって『聖杯』ではないのでしょうか?
これらがすべてそれなりに正しいとすれば、むしろ聖杯なんて無数にあるのだと言うしかありませんよね?
もちろん、
「そんなのは全部詐欺に決まってる!」
と一蹴することもできるかもしれません。
しかし、そうは言っても、現に長期間ずっと勝ち続けているトレーダーというのは確かに存在しているようです。
それも一人や二人ではありません。
全体の中で割合としては少ないかもしれませんが、おそらく実数としてはかなり大勢いるはずです。
そういう人たちは、別に必ずしも自分自身のノウハウを公開したり販売したりはしていないかもしれませんが、少なくともたぶんその人その人、それぞれに
「常勝パターン」
「必勝法」
「必殺技」
といったものを使いこなすことで勝っているはずです。
……これはつまり事実上多くの人が『聖杯』を持っていると言えるのではないでしょうか?
『聖杯』は無数にある
そう考えると、むしろ投資やトレードにおける聖杯、必勝法なんて無数に存在するのだという話になります。
実はそもそも聖杯という言い方があいまいであって、もう少し幅を広く考えるとすれば
「一定の勝率が見込めるトレードルール」
とか
「長期的に一定の利回りが確実に期待できる売買パターン」
とか
「確実に優位性の高いトレードが可能な一定の相場の形」
といったものまで含めて『聖杯』と呼ぶならば……それはむしろあるに決まってると考える人のほうが多いような気がします。
いわゆる聖杯というのが何を指しているのか……もし、それが
「100%相場が読める、予測が必ず当たる方法」
だと言うなら、そんなものはもちろん存在するはずがありません。
しかしそうではなくて、難易度も利回りもバラバラですが、長期的に見て優位性の高いトレード手法というのだったら、たぶん無数にあります。
だから多くの人が講座やセミナーを開催して教えているのですし、無数の自動売買ツールが公開されているのでしょう。
これらを単純にすべて嘘だとか、詐欺だとか言って全否定するのはあまりにも極端な考え方です。
つまり、初心者に対して
「聖杯などない」
とか
「聖杯探しをやめろ」
とか言うのは、実際には
「まず、誰でもできる簡単な手法を知るだけで勝てるなんていう安易な発想を捨てろ」
と教えているに等しいのです。
相場は変わる
ところで、私はまだFXの実践期間はぜんぜん短いですが、そんな少ない経験の中ででも、相場の状況によって同じ手法がハマるときもあれば、全く役に立たないように思われる場合もある、ということは理解できます。
なので、たとえばFX必勝法というのが
「いつどんな場合にでも当てはまる絶対的な単一のトレード手法」
という意味だとすれば、それを探し当てるのは非常に難しいというか……そんなものが実際存在する可能性すらほとんどないと言って良いと思います。
喩えるなら、そんなのは相手がどんな指し方をした場合でも必ず勝つことができる将棋の必勝手順を発見するのと同程度にあり得ない話でしょう。
結局、本筋を言えば固定された聖杯と言える絶対普遍的な手法というのが存在するという観念自体が間違いなのであって、そんなものがもし存在するならそもそもFX自体に市場としての正当性、妥当性がないことになってしまいます。
だからそうではなくて実際に勝っている多くのトレーダーがやっていることは、あくまで
「常に自分自身で現時点での『最善手』を考え続けること」
なのだと思います。
そのために知識や技術の習得があり、情報の収集があるわけです。
これは将棋に必勝法はないけど、でも私たちが将棋の名人に勝てる見込みはほとんどないのと同じで、より広く深く最善手を読みつくしている側が「常勝」するということ。
……もしそれを必勝法と呼ぶなら、まさにそれこそが唯一の必勝法なのだということです。
おそらくこれが最も普遍的な意味での『聖杯』なのであり、相場で勝つ王道です。
多くの先輩トレーダーさんたちが言っているのは、つまりこういう意味だと思うのです。
要するに、
「常に自分自身で現時点での『最善手』を考え続けること」
そもそもそれを前提にさまざまな手法や知識を主体的に学び続けること。
……たぶん、そうすればだれだって時とともにFXは上達していき、それに伴って資金も少しずつ増えていくだろうということ。
これこそ聖杯探しをやめるべき理由であり、一般に唯一認められる正当なトレード上達法なのだと言っていいでしょう。
たぶん多くの指導者や情報提供者はこのことを
「聖杯はない」
という言葉で表しているのですね。

ただ……邪道でも勝てる
さて、ただし……ここから今度は少し違った見方を話したいのですが。
一方で、たとえば具体的に現時点で高い勝率を叩き出している手法をセミナーや商材で直接教えてもらって、それをその通り実践することでも、たぶん短期的にはある程度稼ぐことはできるだろうというのも想像に難くないです。
上で言ったように、それは本当は普遍的な意味で『聖杯』とは呼べないものかもしれませんが、しかし、現時点ではまるで聖杯であるかのように今の相場にフィットした手法かもしれません。
あるいは、今の時点で人々が持っている相場に関する感覚や観念を前提にしたら優位性が高い方法なのかもしれません。
本来的に言えば相場というのは常に相手方がいるものですから、ある意味で心理戦のようなところがあります。
相場もまた麻雀やカードゲームなどと同じで、たとえば大多数の人がそのように考えているから、その前提ではこう動けば勝ちやすい、というような方法論が常に成り立ちます。
つまり、私が言いたいのは、一般的に今「必勝法」とか「聖杯」だと言って売られているような手法を手に入れて、それをそのまま実践する……というのは、おそらくごく長期的に見ればいずれ通用しなくなってしまうという意味で邪道なのですが、しかしむしろそれでも勝てないということはないということです。
一見すると
「安易な考えで勝てるわけがない」
とか
「依存的で応用が利かない」
とか考えがちで、まじめな人ほど避けがちだと思います。
が、その考え方は逆の意味で固定観念かもしれない、と私は思うわけです。
つまり、特定の必勝法とか聖杯とかは、ある意味ではあってしかるべきもので、その多くがそれなりに正当な根拠と、今の時点でそれが成り立つ道理的な理由を伴って存在しているという事実です。
だから単純に斬って捨てるべきものでもない、と言いたいわけです。
ただし、おそらくそのようにして手に入れた「必勝法」や「優位性の高い手法」というのは、ほとんどの場合、ある特定の相場環境が続いている間は常に良い結果をもたらすかのように見えるけれども、相場の基本的な状況が変わったり、人々の心理が推移したり、あるいは時代が進んだり……した場合には早晩その力を失う可能性も高いものだという点を忘れてはいけないでしょう。
王道すなわち狭き道なり
安易な聖杯探しを捨てて、たとえば基礎から本格的に正しい知識を学んでいこうと考えたとして、しかし、じゃあ
「そうすればだれでも必ず勝てるようになるのか?」
と聞かれれば、これはこれで決してYesとは言えないのです。
むしろ、安易に聖杯や必勝法に頼らず、きちんと基礎から知識や経験を積み上げていこうとする姿勢は美しいかもしれませんが一方ではきわめて険しく狭い道であるとも言えます。
なぜなら、そのようにして相場で有意な立場を得ようとするのは、いわば受験で他人より上の難関大学に入ろうと必死に勉強しているのと同じで、そのような捉え方をしている限り俯瞰してみると結局勝ち負けは相対的なものだという結論に至らざるを得ないからです。
つまり、いわゆる王道の立場というのは逆に言うと、相場というのはシビアな競争の結果として所詮は一部のものしか勝てないということを認めたことになります。
もし、これをもって
「FXには聖杯も必勝法もない」
と言うのなら、それもまさに文字通りです。
しかし、より難関大学に入り、よりステータスの高い上場企業に就職する……ということが人生で唯一の聖杯ではないのと同じで、単に生真面目に王道の知識を学び続けることだけが常勝に至る唯一の道だと頑なに信じすぎるのもどうかしら……と私は感じるわけです。