「仕事の場において起こったこと全て自分の責任である」
そういう気持ちでいる人は、責任感があります。
たとえば、自分ではなくても、だれかがもし取引先やお客様に下手な対応をしたら、会社全体、組織全体が悪い印象を持たれてしまいます。
あなたがその組織に属している限り、そもそも論で言えば
「だれがやった」
「俺がやったんじゃない」
という議論にはまったく意味がありません。

実際にその業務を担当した人ももちろん悪いけれども、そんな人に仕事を任せていること自体が問題だし、その場にいるのにそれを見過ごした人、前から気が付いていたのに何も言わなかった人も、それに気が付くことができなかった人も……みんな同罪と言えます。
その変な対応を許してしまった全員が悪いのです。
ただ、実際にはそんな考え方をしている人はほとんどいませんよね?
あなた自身も。あなたの周囲の人も。
要するに、
「自分じゃないから」
と思っている人は、みな責任感がないのです。
責任者はだれなのか。
「社長です」
「上司です」
とか言っている人は甘えた人です。
傍観者です。
あなたはそこに、お客様に価値を提供するために存在しているはずです。
「俺の担当じゃない」
「私の仕事じゃない」
などとうそぶいていられる神経の持ち主はおおよそ、責任感がないのです。
それだと、あなたは本当は完全に責任を果たしているとは言えない。
もっとはっきり言うと、
「保護されなければ働けない人」
「現実の諸事情によって間に合わせで雇われている人」
に過ぎません。
逆に、自分が働いている場で起きることは、すべて自分が把握し、適切に処理してやろうといつも気を張っている人、目を配っている人は、責任感のある人なのです。
職場も、お客様も、本来そのような真摯な態度と意識を持った人材を望んでいる。
そのような人こそ貴重であり、
「仕事を自立的に完結させることができる」
「信頼し、安心して任せられる」
「満足な価値の提供を期待できる」
のです。
「責任感」とは、理念であり理想です
おそらく、私たちの中で、上のような意味で本当に「責任感」のある人……それはほとんどいません。
私自身もですし、周囲にいる人の中にも、そんな人はほとんどいません。
一方で、
「私は、私のすべきことはちゃんと責任感をもってやっている」
と思い込んでいる人はたくさんいます。
当事者になると見えにくいのですが、その場を一歩引いて客観的に見ると、よく分かります。
確かに、上で言ったような意味での「責任感」というのは、ある意味では非常に困難な要求であり、理想的であり、非現実的に見えるかも知れません。
しかし、前提として
「私は、私のすべきことはちゃんと責任感をもってやっている」
と信じ込んでいる人は、それによって自ら限界を作っています。
非現実的であろうと理念的であろうと、本来そうあらねばならないはずだと、本当の責任感を心の片隅にいつも置いておける人だけが、自分の価値をさらに高めてゆくことができるのだと思います。