設問化とは

気付きもそうですが思考に落とし込むには知識や情報を

「問い」

という形に加工しなければなりません。

頭に浮かんでくる思いを整理した上で具体的な問いとして成立させる必要があります。

問いの形に加工できないもの、すなわち設問化できない知識や情報は意識の表層に浮かんできたとしても処理的思考手順によって扱う対象にはなり得ないでしょう。

ただし、自然に思い浮かんでくる事柄というのはそれだけで完結してしまうようなものも多いです。

「東京は人口が多いなあ」‌
「まだまだ不景気は続きそうだなあ」

これらはいわゆる感想であり提示的な表現です

このままではひとつの命題として蓄積されるに過ぎず、そこから思考には直接結び付かないのです。

けれども同じ内容を扱っていてもそれを問いの形に直せばそれはとたんに思考の対象として浮かび上がります

つまり思考を始めるには最初の段階で

「設問化」

が欠かせません。

たとえば最も単純に疑問文に直しただけでもそれは当然に回答を期待する文になるが

「東京は人口が多いか?」「多いなあ」‌「不景気はまだまだ続くか?」「続きそうだなあ」

と機械的に行うだけでは最初に戻ってしまうだけで実質的に意味はありません。

設問化は第一に自然に想起された命題の蓋然性を疑う効果があります。

つまり

「東京は人口が『本当に』多いか?」‌
「不景気は『本当に』まだまだ続くか?」

という疑問を自分自身に提示し得るのです。

耽りと設問化

もちろん設問化というのは単に思い浮かんだことを疑問文に直すという作業だけを指すわけではありません。

たとえば今あなたが前から転職について悩んでいるとします。

転職したい気持ちを引きずったままずるずると現状維持していたとします。

そういうときたいてい

「転職したいなあ」‌
「転職する人が増えているらしいし」‌
「そういえばあいつ仕事変えたんだよな」‌
「自分にもできるかなあ」‌
「どういうタイミングで転職すれば一番いいんだろう」

という具合に様々な思いが一挙に思い浮かんでくるでしょう。

けれどもこの状態のままではその問題に対するアプローチが不明確なままです。

思考しようとしても何から手を付ければよいのか見当もつきませんね。

ただ転職した後の環境などに思いを巡らせて不安を感じたり楽しいイメージに浸ったりしているだけです。

これは典型的な「耽り」の状態です

その限りでは思考は進まないけれども、だからといって特に弊害もありません。

そしてこの状態だとあなたは現実には転職しません

ただ「これは耽りだ」と自覚すれば転職できない自分を否定的に感じる必要もなくなります。

けれどももし耽りと言える心理状態を超えて苦痛を感じずにはいられないとしたらそれはもはや

「悩み」

となっています。

現状に強い危機感を持ち不安で仕方がないとか、現実に行動に踏み出せない自分を責める気持ちが強くなるとか。

その場合それは早急に思考すべき対象だと認める必要があります。

そこで

「よし具体的に転職について考えてみよう」

と決めたとします。

ここで初めて意識的に

「悩み」

「気付き」

というルートを選択したことになります。

ただしこの段階ではまだあなたの思考手順はこの気付きを受け付けてはくれないのです

たとえば前の例で

「転職したい」‌
「そういえばあいつ仕事変えたんだよな」

というのは先述した

「提示的な表現」

にあたります。

ただ対象を意識の上に載せたというだけだからです。

これでは思考手順は起動しません。

そこで

「設問化」

する必要があります。

たとえば

「『本当に』転職したいのか?」

というふうに。

また次の文は単に疑問文にしても

「あいつ仕事変えたのか?」

となって意味がありません。

これを設問化するとすれば、自然に想起されるのはたとえば

「あいつ仕事変えてうまく行ってんのかな?」

といったものでしょう。

WHY思考

たいていそのことについて考えようとすると様々な思いが自分の意図しないものも含めていわば勝手に湧き起こってきてしまいます。

それらは互いに密接な関連性を臭わせながら私たちを混乱へと誘導します。

「自分は本当に転職すべきなんだろうか」‌
「なぜ今転職する人が増えているんだろう」
「いつ転職しようかなあ」
「できるかなあ」
「あいつ仕事変えてうまくやってんだろうか」
「自分も転職したいなあ」‌
「どういうタイミングで転職すれば一番いいのか」‌
「できるかなあ」‌
「どういう条件で判断すればいいんだろう」‌
「でもやっぱりとにかく転職したいなあ」

……断続的に頭に浮かんでくる思いが同じところを行ったり来たりしている感じがします。

そしていったんは意識しても思考手順に落とし込まない限り結局それは耽りや悩みとして留め置かれることになります。

そこで設問化の必要があるわけですが、特に認知の段階での設問化には条件があります

この場合必要なのは

「なぜ?」

という問いです。

理由と問うことは単なる付帯情報ではない何らかの更なる命題を要求します

つまり「WHY?」という設問だけが直接問題を掘り下げてゆく働きをします。

もちろん対象を分析する段階では

「いつ」
「どこで」
「だれが」
「なにを」
「どういうふうに」

というのがそれぞれ問われることになります。

しかし、それらは不明点を明らかにしたり具体的にしたり選択したりするために用いるのであって問題を掘り下げる直接的な効果はありません

たとえば

「どういうタイミングで転職すれば一番いいのか」

というのは転職に最適なのはいつどういう条件が揃ったときかとを問うていることになります。

もちろん本人にとって重要な関心事のひとつではあるでしょう。

けれども認知の段階ではこういった問いは往々にしてミスリードを招く働きをします。

そこで、もし思考が混乱していると感じられた時には、想起されるものすべての理由を問うことが有効です

ここではいったん

「どういうタイミングで……」

というような問いは避けます。

もしこれを「WHY」型に置き換えるとすれば

「なぜ今すぐには転職できないのか」‌
「なぜ転職にタイミングが関係あるのか」

というような文が想起されます。

これらの文は内容的には似たように見えても、すでに

「どういうタイミングで」

という問題から離れていると言えます。

つまり厳密に言えば

「タイミングを問うこと」

「タイミングを選ぶ必要性を問うこと」

とは同じではないからです。

ここで、必ずではないけれども「WHY」型の設問はメタ認知に移るきっかけとして機能する場合が多いことに注目しましょう。

メタ認知による問題の特定

ところで、実は今この例では

「転職について考える」

ということ自体も

「転職というテーマにおいて何を問題と考えるのが一番よいか」

を考えることにすり替わっています

このように問題そのものに入る前に一度思考の対象や想定されているものをメタ的に捉えてみると、実際に思考すべき「問い」を特定する有効な手段となる場合があります。

認知と分析

思考における「分析」の段階において行うべきことを端的に表せば

「可能な選択肢を挙げる」

ことです。

もちろん対象となる事柄の詳細や実態といったものを調べて明らかにしたり、不足の情報や知識を補ったりする必要がありますが、それは

「可能な選択肢を挙げる」

ための手段として行うわけです。

分析というと、分析する対象が先に決まっているかのようなイメージを持つかもしれません

ところが、現実の多くの問題はまさに

「何が問題なのかよく分からないのが問題」

であることが多いです。

私たちはしばしば問題そのものを明確にすることなくあやふやに思考を始めてしまうのです。

たとえば何らかの「気付き」によって何となく頭に引っかかってきた問題意識があるとします。

けれどもそれはいわば問題の原石でしかないのです。

ここで注意すべきなのはあなたが何となく問題だと感じているその問題自体をもっとはっきりと認知する必要があるということです。

つまり十分に認知した後でないと正しい分析はできません。

さらに前に述べたように言葉の意味、概念というものはそもそも領域すなわち広がりを持っています。

けれども集中力を維持し問題を絞り込む場合に限っては領域とか幅が許されるというようなイメージは逆効果です。

焦点を絞る

意識としては、削れるものは削り、絞りに絞るというスタンスのほうが必要かもしれません。

虫メガネで紙を焼くように限りなく「焦点」を狭めて行く。

十分な認知とは、今考えようとしている対象について何が問われているのかまたは何を問うべきなのかを明確に顕在化することです。

自分の問題意識が表出することで気付きが生じます。

けれどもそれが思考という行為に相応しい「問い」として設定できているかどうかはまだ分かりません。

だから自分が今直面している問題意識そのものについて検討することなくそのまま分析に着手してはなりません。

私たちは設問化に慣れていない

たとえば会社で上司から与えられる仕事上の指示は、比較的明確な問題の設定がすでにできあがった状態で与えられることが多いです。

「何をやれ」‌
「こういう問題があるから処理しろ」

この場合認知に関してあまり配慮する必要がありません

ただ相手の指示の目的や意向を正しく聞いて読み取ることに集中すれば足ります。

極端に言えば仮にその指示が的を射ていようがいまいが、最悪その指示そのものに大きな瑕疵があったとしても、それは自分の責任ではなく、少なくとも自分にとっては問題ではないとさえ思っているかもしれませんね。

「……私は指示に従っただけです」

ってね。

そもそも私たちは学校などで教育を受けている段階では

「問題は常に正確に与えられるもの」

という前提に慣れているので、むしろそれが当たり前だと認識しています。

パッケージ・タスクである限り未知性や恣意性について検討する余地がないからです。

あらためて考えると、学校にしろ会社にしろ、私たちが最初のうち認識する問題の大多数は外部から与えられたパッケージ・タスクなのです。

言うなれば私たちはパッケージ・タスクを与えられることに慣れすぎているのです。

だから私たちは問題があらかじめ明確にあって、その問題についていきなり分析するという方法を自然に採ってしまうのです。

けれども私たちが直面する問題はそういった種類のものばかりではありません。

たとえば自分自身のふとした気付きを思考に反映するというのは私たちにとって案外難しいことなのです。

そういう時、いわば私たちは今の自分にとって最も有益なテスト問題を自分で作り、同時にそれを自分で解かなければならないような状態にあります。

これは私たちにとって最も不慣れな作業と言えます。

関係をリセットする

そこでより意図的に何かを思考しようとするときにはまずポイントを特定することから始めなければなりません。

物事にはいくつかのポイントがあります。

もちろん思考するには必要な情報を集めなければなりません。

けれども見落ちしがちなのはたいてい思考の対象はすでに何らか他の知識や情報と絡み合っているということです。

思考は意図的にそうしようと思ったときに初めてスイッチが入るようなものではなく、実際にはいわば電源を入れっぱなしのパソコンのように常にスタンバイしています。

私たちは意識しようとしまいとごく自然にたくさんの情報をそれぞれに結びつけたり位置付けたりしながら生きているわけです。

だから通常何について考えるときでも私たちはそれをゼロから始めるわけではありません

気付きや発想と言ったものは、ある時いきなりポンとひらめいたように表れたように思えることも少なくないけれど、その場合でもたいていすぐに他のさまざま事柄が関連性を持って思い浮かぶものです。

つまりそれはもともと単独で完結しているものではないということです。

ある事柄について思考を意識した瞬間、たいていその周辺にはすでにさまざまな重要度の情報や知識が関連して散在しているように感じられます。

対象にすでに無意識に関連付けられている知識や情報は、もちろん後で使うことになるかもしれないけれど……今その問題を問題として明確に設定する段階ではむしろじゃまになる可能性があります。

比喩的に……それは絡まりこんがらがった糸くずを精密機械の中に投げ込むようなものです。

これではスムーズな作動が望めないばかりか内部で引っかかって故障してしまうかもしれません。

ですから、思考のごく初期の段階ではいったん現れるデータをできるだけ細分化して

「絡みを断ち切る」

という手順が必要なのです。

「人の話をよく聞きなさい」

他者から与えられた問題や、指示されたタスクの場合でも、その内容を明確に理解しないで着手すると指示された意図と食い違うことがあるでしょう。

的外れな対応をして

「人の話をよく聞きなさい」

などと先生や上司から説教されるという場面はだれもが経験したことがあると思います。

ただし、実はこれは

「人の話」

だけに言えることではなくて本当は

「自分自身の思考」

についても同じく言えることなのではないでしょうか?

与えられた指示であれ、自分の気付きや問題意識であれ、いったん細分化して後に再構築するという手順に慣れておくことが助けになります。

自然に想起される関係性やパターンを断ち切って個々の内容を明確に捉えることで

「問い」

が特定されます。

それが思考が有効に機能する前提になります。