だれでも、思考が整然と行われているとすれば同時に、精神的にも冷静な状態を保つことができていることでしょう。

逆に、感情が前面に出てきているときには思考は混乱しやすいものです。

また、思考が行き詰まると同時に感情的になりやすいものです。

たとえば、仲間内で議論していて、やり込められると自然に頭に血が上ったようにアツくなったり。

何とか自分の意見を通そうという気持ちばかり強くなってしまうと支離滅裂な理屈を口走ってしまう……というような経験はだれでもあるのではないでしょうか?

このように、整理された思考と、瞬間的な感情とはたいてい同時に満たすことはできない相容れないものと言えます。

思考を感情から切り離してみる

むしろ思考はじっくりと培った情熱、それに裏打ちされた継続的な集中力と相性がよいものです。

感情的な精神活動と「純粋な思考」という作業をいったんはっきりと切り離して、別のものとして考えましょう。

もちろん実際には、人間は理論だけによって物事を判断するわけではありません。

場面によっては理屈より大切なものを優先させるという判断もあり得ることでしょう。本質的にはその人の思考と感情が密接に関わっているのは疑いないことです。

けれども、思考を軽量化、高速化するためには内面で思考と感情がショートしないように、いわば「絶縁」する必要があります。

そこで、いったん感情と思考とがどんな関わりをもつのかを検討してみましょう。

分かりやすい感情と、分かりにくい感情

ところで、たとえば

「怒り」
「憎しみ」
「興奮」

というような明らかに感情的と呼べるようなものは、むしろ通常に考えても思考と混同する心配はほぼありません。

意識の上でうまくコントロールできるかどうかという問題はありますが……少なくとも自分でも感情的になっているということは分かります。

問題は、一見すると思考に似ているが思考と呼べないものです。

あるいは、一般に思考と同一視されているようなものです。

たとえば私たちはふつう

「思いを巡らせる」
「考えあぐねている」
「悩んでいる」

とか言うことがあるでしょう。

そして、それを

「考える」

というのとあまり区別していないのではないでしょうか?

思考していることと混同しやすいと思われる精神活動はいろいろに表現できますが、細かいニュアンスなどは置いて、ここではそれを3つに分類してみます。

その3つとは

① 気付き
② 耽り
③ 悩み

です。