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良い質問とは何だろうか?
……と考えると、まずあり得るのは
「的確な質問」
「順当な質問」
です。
ある意味では、これは相手にとっては
「期待通り、想定通りの質問」
である場合が多いでしょう。つまり相手の意を得たり、という感じです。的外れでないということですね。
しかし、もう一つは
「鋭い質問」
「斬新な質問」
というのもあり得ます。
本質を突くようなものや、相手も思い至らなかった面に言及するきっかけを作るような、啓発的な質問です。
こちらは、日常的に職場などではむしろ疎まれる可能性も否めませんが……しかし、新奇なアイディアやブレイクスルーを期待されている場面では必要な
「質問力」
と言えます。
一を聞いて十を知る質問力
このように考えると……実は質問力というものには大きく言って2つの方向性があることが分かります。
① 予定調和的質問力
何かしらある全体というのを想定したときに、今それに
「足りていない部分」
を発見して、その部分を的確に補ってその全体を完成に導くことに貢献するような質問をする力のことです。
イメージとしては、ジグゾーパズルの足りないピースを探し当てる力という感じです。
あらかじめ
「全体」
とか
「完成形」
を想定できているということが条件であり、特徴と言えると思います。
たとえば、腕の良いインタビュアーの人とか、ラジオでゲストを迎えて「聞き手」になるプロの人とか……こういった方々はそれこそある意味で
「質問のプロ」
なわけですが、おそらくこういう人がする質問は、ただ自分の興味に沿って聞きたいことを聞いているというのではもちろんなくて
「相手の持っている知識や情報をくまなく引き出そう」
とか
「相手の人となりをもれなく視聴者に伝えよう」
という意図をあらかじめ持って、それが不足なく実現するように適切な質問を投げかけているはずですね。
要するに、終わってから
「あ、あのことに触れるの忘れた!」
じゃ許されないわけです。
また、たとえば職場での仕事のシーンでも、質問力が高いと評されるような人がもしいるとすれば、その人はたいてい
「まず自力で解決できる部分」
「他人に頼ったほうが効率的な部分」
の仕分けを素早く行っていると考えられます。
自分で資料を漁ったり、ネットで検索すればすぐに解決する部分については、当然自分で行うでしょう。
「他人に頼ったほうが効率的な部分」
も仕分けします。
だれに何を聞けば最も早く効果的であるかを考え、適切なタイミングで適切な人から知識や技術、情報などを得ることができます。
そして……その仕事を完成する上で、上のような行動だけでは足りない部分がどこかを先に割り出します。
つまり、最終的にどのピースが不足することになるかを見きわめるということです。
そして、たとえばその残った部分だけを上司とか、決裁権者に対して直接質問するわけです。
このような手順を踏んでいるから、そこでの質問というのは
「相手の意を得た的確な質問」
になるのです。それだけを残しているわけですからある意味当然ですが、だからこそ
「察しがいいヤツだ」
「君は仕事というものを分かっている」
……といった高い評価を得られます。
このような例では
「質問力」
の決定的な要素、良い質問の共通点というのは
「あらかじめ全体像や完成形をイメージしている」
という点です。
「一を聞いて十を知る」
という慣用句がありますが……このような例の場合、本当は一を聞いてから十を知ったのではなくて
「すでに九まで準備が調っているので、残りの決定的な一だけを質問することができる」
のであって、それを他人が見たら「一を聞いて十を知る」人のように見えるということです。
② 脱構造的質問力
上記の「予定調和的質問力」とある種対照的な質問力として、あえて名付けるならば
「脱構造的」
というような意味での質問力というのが想定できます。
つまり、今度の場合はあえて
「相手や、多くの人が持っている全体構造を逸脱する、あるいは破壊するような質問」
とても言うべきでしょうか……そういう力を求められる場面もありますよね?
例としては、よくブレーンストーミングのときなどに求められるような、無条件、無制限な
「拡散的思考」
あるいは
「創造性」
と呼ばれるような知的活動があります。
また、いわゆる
「コーチング」
というのもそうですよね?
適切な質問を重ねていくことで、相手が無意識に持っている思考や観念の「枠組み」を外していくところが特徴ではないでしょうか?
または、有名なものではいわゆるソクラテス的問答法と言われる議論手法もそうです。
日常的にも、あなたの周囲にも、いつも奇抜な意見を出して周囲の人を驚かせるアイディアマンがいるかもしれません。
または、とっぴな発想で人を笑わせる人気者とか。
彼らは一般に人が持っている常識的な概念や考え方の型をちょっとずらしたり、歪めたりすることで斬新な発想を得ています。
「一を聞いて十を知る」
と言いますが、ここで行われるのはつまり
「既存のひとつの考え方、枠組みを否定、破壊することによって」
より新しい多くの知見や視点を得るということです。
なぞらえて言うならば
「一を壊して十を作る」
といったところでしょうか。
質問力を使い分ける
私が言いたいのは、単に質問力と言った場合、上記の2つの異なる方向性について同時に一緒くたに語ってしまうとおかしなことになるのではないか……ということです。
逆に言うと、特定の場面場面で今どちらの方向に質問力を発揮したらよいのかを混乱せずに選ばなければならないのではないかということです。
会社の会議でもそうじゃないですか?
初めから結論や意向が決まっていることも少なくないですよね?
世間でいわゆる「ムダな会議」と揶揄されているような。
……で、その時に求められている発言や質問というのは当然
① 予定調和的質問力
のほうになります。
そこで、議論の前提をひっくり返すような
② 脱構造的質問力
を発揮しちゃったら……たぶんその人は
「空気読めないヤツ」
「トチ狂った独りよがりなヤツ」
ってことになってしまうかもしれません。
……でも、もし本当に
「質問力」
がある人だったら、その場の空気を一掃して、参加している他の人たちの意識を変え、まさに
「啓発」
してしまうかもしれません。
そこはあなたの腕次第、質問力の高さ次第ということになるでしょうね。