思考というもの、そのものを定義しようとすれば、もちろんいろいろに解釈、表現することができると思います。

最も広い意味で言うなら、人間の内面で起こる精神的な働きのすべてを「思考」と呼ぶことももちろんできます。

ただ、ここではむしろ、できるだけ限定した狭義の

「思考とは?」

……を考えてみたいと思います。

「思考」の意味を限定する

たとえば数学の試験問題を解くときに、私たちはふつうはそれについて思い悩んだりはしません。

問題を解くというのは、数学なら数字や公式を操って、あらかじめ設定されている解答にたどり着くことであって、そこに

「自分自身の意向や欲求、感情」

といったものは不要ですよね。

この、問題を解くというのをもっと一般化するとどういう作業かというと

① 問題を読んで問われていることは何かを知り
② どういう定理や解法が当てはまるかを思い出し
③ それだと思うものを決めて答案用紙に記述する

……という手続きを踏む作業のことを意味します。

それだけであって、その中には手順としてそれ以外の精神的な活動や操作は原則出てきません。

もちろん、この手順のどれかの段階でうまく行かないために答えに到達しないことがあります。

「習ったことを忘れちゃった」
「思い付いた解法が見当違いだった」

とかですね……でも、それは

「思い悩んでいる」

とかいうのとは違いますよね?

つまり、私たちは初めからそう割り切って考えられると分かっている問題に対してはごく自然にこのような方法を採るのです

これはいわば、

「純粋な思考の型」

です。

思考が逸れていく時

けれども、たとえば数学のテスト中にこんなことが思い浮かぶ場合もないとは言えません。

「この問題が解けるから何だというのだろう?」
「数学なんて自分の将来に役に立つのかな?」

とか……実際こういう経験を持つ人も多いのではないでしょうか。

いつの間にかぜんぜん関係ないこと思い巡らせてしまったりすることもあります。

このようなとき、私たちはもうその数学の問題自体から気持ちが離れていますよね?

それはすでにその数学の問題を考えるという範囲を逸脱しているわけです。

こういうのをメタ認知とか、メタ思考と言いますが……しかしここでは、自分が意識してそのように思考しようと思っていたわけではなくて、むしろ勝手にそういう思いや考えが浮かんできてしまった状態ですね

メタ認知、メタ思考が入り込む余地

メタ認知とか、メタ思考というのは本人が意識してそうしようと思っていない時でも、むしろ意識とは無関係にある意味勝手に湧き起こってくるものなのです。

私たちは多くの場合あることについて

「ものを考える」

というときに、そのこと自体を考えるのと同時に、それについてあいまいに思い悩みんだり、それを考える際の考え方の手順そのものを考え直したりします。

もちろん言葉の意味を広く採れば、これらも

「考える」

という行為に含まれます。

けれども、それがあなたの周囲にある物事を複雑にしているとも言えます。

純粋な「思考の型」

ここではまず

「考える」

という言葉をもっと限定してみたいと思います。

思考という言葉を用いる際に、その意味の範囲から「思う」とか「悩む」といった要素をあえて排除してしまうのです。

すると、思考するという場合の流れはかなり簡略化されたものになるはずです。

つまり今、思考というのは

「認知」

「分析」

「選択」

という知的行為の手順のことを指すというふうに単純化します。

それに含まれない部分はいったん切り捨ててしまいます。

「認知」というのは、何が問われているのかをしること、または今自分は問うべきかを決めることです。

「分析」は、一定の根拠や推測から導かれる選択肢を挙げることを指します。

「選択」というのは、上がった選択肢の中からどれかを選ぶという作業です。

純粋な意味での「思考」とは、要するにこの3つの組み合わせに過ぎないのです。