失敗した瞬間は、だれでも絶望的な気持ちになります。

ふつうに考えて、失敗というのは「成功」の反対語です。
しかし、多くの成功者は
「むしろ失敗から学んだ」
「あの失敗があったから、今の成功がある」
というように言います。
失敗から学ぶ
だれもが失敗を避けようとします。
ふつうは失敗を怖れます。
しかし、振り返ってみると、失敗体験にはプラスの面も多く含まれていることが分かります。
……というか、過去の失敗を自分がどれだけプラスにできたのか、自分でも後で振り返ると分かります。
過去多くの人が、その裏面にあるプラス面も見るべきだと言いました。
さらには、失敗そのものをむしろプラスの出来事として受け止めるべきだという考え方を勧めていますよね?
その原因を正しく把握することができれば次回の成功確率が若干なりとも必ず上昇するはずだからです。
ただ、実はこれは失敗を有効に活かす方法のすべてではありません。
たとえば、失敗した場合でも被害を最小限に留めるためにはどう行動すべきか?
失敗したと感じた瞬間から自然に湧き起こる感情をどうコントロールしたらよいか。
物事を多面的に見て、自分にとって有用な面を活かす技術であるとか。
あるいは、一つひとつの成功や失敗に一喜一憂せず、長いスパンで戦略的に見られる思考力とか。
……このような意味での成長、向上というのは、おそらく実際には失敗体験からしか学ぶことはできないでしょう。
つまり、失敗から学べることというのは、その失敗したことの内容に関してだけではなく、そもそも
「失敗というもの」
そのものに関する学びのほうがむしろ多いと言うことができます。
そもそも失敗を活かす思考や態度が身に付いている人ならば、その人はもちろん「成功体験」も活かせるはずですが、同時に「失敗体験」も十分に活かせるはずなのです。
しかし、その「そもそも失敗を活かす思考や態度」というもの自体が、失敗を経験することによって出なければほとんど身に付けることが不可能なものと言えます。
……ということから考えると、結局、成功する人は、成功しても失敗しても、どちらの場合であってもそれから学び、それらを活かして結局成功する……ということになっているようです。
そして、その逆もまたあり得るということです。
物事をマイナスに捉え、常に悲観的な思考や態度を取り続ける限り、その人は一つひとつの行動について結局、成功しようが失敗しようが、その経験というのはその人にとってまったくプラスに働かなくなってしまいます。
失敗は成功の母
「失敗は成功の母」
と言います。一見分かりやすい表現にも思えますが、よく考えるといろいろな意味に解釈できます。
すべての諺や名言がそうであるように……これは現実にはどの程度当てはまるのだろうと考えてしまいますよね?
成功は失敗の母
という言い方はいろいろな意味に解釈できます。世の中にはこれと類似した表現や言い回しもたくさんあって、もちろん意味付け方や捉え方もさまざまに考えられます。
この言葉の意図や趣旨をどう理解するかによって、実際にどの程度それが確かなことなのか、またどういう場合に、どういう条件下なら当てはまるのかということもまったく変わってくるでしょう。
① 失敗してもあきらめるな
「失敗は成功の母」という言葉は、一般的には「失敗」が実際に起こってしまったとき、その失敗に対する向き合い方を示す言葉として用いられることが多いと思います。
まず、こういう言い方をする場合がよくあります。
「失敗は成功のもとなんだから、一度や二度失敗したからって諦めちゃダメだよ」
という感じの表現です。要するに、何か成功したいことがあるとして
「失敗したということを理由に」
それを途中でやめたり、達成をあきらめたりするのは間違っているという意味ですね。
もっとはっきり言えば、
「ある特定の目的において、それに失敗したという事実は(たとえどれだけ多く重なったとしても)その目的の達成が不可能であることを証明しない」
という意味です。
これって、少なくとも論理の上では正しいですよね?
ごく単純な例で考えましょう。たとえば
「2つのサイコロを振ったとき、その目の合計を7にしたい」
と思っているとします。7を出すことこそ、あなたの成功です。
この場合、2~3度振ってみて、7が出なかったからといって、
「この2つのサイコロを振って、7を出すというのは、きっと不可能なことなんだ」
と考えてやめてしまったらどうでしょう。
……これはどう考えても変ですよね?
ではなぜ、実際には7の目を出すことにあなたは失敗したのでしょう?
それは……単に試行回数が少なすぎたからです。
でも、私たちは現実には、何度かトライしてもうまく行かない事柄があったりすると、主観上
「これはもう、もともと無理だったのかもしれない……」
というふうに思えてくるので、やろうとしていたことを中断したり諦めてしまうことがよくあります。
そういう判断は、実は往々にして間違いであることが少なくないのです。
逆は真ではない
しかし、逆に言うと、このことは
「たとえ何度失敗しようが、それでもその目的の達成は必ず可能である」
ということを保証してくれるわけでもありません。
しばしば、成功法の話などでも
「成功する唯一の方法は成功するまであきらめないことである」
という言い方をすることがあります。
しかし、これは実は単純に論理的に言えば正しくありません。
少なくとも、そこで言う成功というのが具体的な特定の目的の実現という意味であるとすれば、
「途中で諦めたら成功できない」
というのが仮に真実であるとしても、そのことが
「成功するまであきらめずに続ければ100%成功できる」
ことの証明にはならないわけです。
また極端な例ですが、たとえば今度のあなたの目標が
「2つのサイコロを振って合計13を出すこと」
だったとします。そのとき、諦めずに何回サイコロを振り直そうが絶対13なんか出ませんよね?
たとえばそういう場合もあるということです。だから、
「成功するまであきらめずに続ければ、それは100%成功する」
というのは、この意味では事実とは言えません。
② 失敗は次に生かせる
①と関連しますが、次に、しばしば次のような意味で「失敗は成功のもと」という言葉を用いる場合もあります。
「失敗は成功のもとって言うじゃないか。この失敗を次に活かせばいいんだよ」
というような使い方です。
含意として、この場合には
「失敗した経験を活かしていけば、いつか成功する」
と考えていることになります。つまり、まず単純には、次にまた類似の状況に出会ったときに少なくともその同じ失敗が再度発生する可能性を排除できるのだから成功する確率は上がっているという理屈が成り立ちます。
これは、現実的に考えても一定の妥当性はあるように感じるかもしれません。
……ただし、そのためには、実際にはかなり的確に具体的に今起こった「失敗の内容や原因」を特定しておく必要があります。
たとえば、先ほどの例でいうと、サイコロの目が1~6だったら絶対無理なわけだから、7以上の目が出るサイコロを作っちゃうとかね。
そうでなければ、類似の状況下で同じような失敗が起こる可能性を排除できません。
一度起こった失敗の原因について、まったくトンチンカンな点を「これが原因だろう」と認識していると、当然また同じような失敗が起こり得ますよね?
ところが、実際には私たちはいつも、それほど正確に「ある失敗例の真の原因」をきちんと分析しているでしょうか?
現実には多くの場合、かなり直感的に、または感情的に判断して、ごく表面的なところしか見えなかったり単純化してしまったりするでしょう。
では、本当に正確にその「失敗の原因」を知るにはどうしたら良いでしょうか?
それを証明する方法は唯一……その失敗した事柄をもう一度行って
「今度は成功する」
ことです。
今度は成功したという「結果」が実際に現れて初めて、成功する場合と、失敗する場合の「違い」がはっきり分かるのです。そうなって初めて失敗の原因はやっぱりこの部分にあったのだということが確実に言えるわけです。
逆に言えば、同じことをもう一度やったとして、主観的には失敗を次に活かしたにもかかわらず、それでもまた失敗に終わってしまっている場合……それは前回思っていた失敗の原因というのが間違っていたか、あるいはそれと同時に別の原因も存在するか、の両方の場合が考えられます。
それでは「失敗を活かせているかどうか」も分からないことになります。
「次に成功しない限り、それまでに経験した失敗は活かされているとは言えない」
のです。
日常私たちがよく行うように、失敗したことに一応の反省をして、それ以上あまりくよくよ考え過ぎないで忘れよう……というようなやり方では実際には
「失敗は成功のもと」
にはなり得ないということなのです。
「成功」という言葉が何を指すか
ところで、ここまでで述べたことは、そもそも条件としての「成功」というものを、ある特定の具体的な目的を達成することに限定した場合の話です。
ところが、私たちが生きている現実の中では、そもそも頭の中で理屈で考えている時のように
「たった一つの、唯一の特定の目的」
のことだけを考えていれば足りるという状況そのものが、ある意味で空想的ですよね?
「目的」という言葉を使うならば、そもそも私たちにとっての目的というのは、常に複数存在していて、単純に優先順位を付けられるようなものでもないし、すべてを同時に意識し続けることもできません。
つまり、上で述べたことは
「成功=ある特定の具体的な事柄の達成」
という前提だと筋が通るのですが、もっと現実的にイメージすると、そもそも成功とか失敗とかいうのは、ある事柄が
「できたか、できなかったか」
「現実に起こったか、起こっていないか」
というだけの意味だけではない、もっと幅広い意味でもあり得ますよね。
その場合、たとえばある「失敗」が、未来のどこかの時点で、自分にとって何かしら(一見まったく関連性がないような事柄に対しても)役に立つ可能性がある……という意味ならば、
「成功は失敗の母」
というのは、かなりの確率で妥当性があると考えることもできるのです。これはつまり
③ 失敗の経験は人の能力を上げる
という意味になると思います。
もっと別の日常的な言い方で表すならば、たぶん
「失敗も良い経験になる」
「失敗に学ぶことで、人は成長する」
とか、そういう言い方になるでしょう。
成功という言葉の意味を広く取るならば、
「失敗は成功のもと」
というのは、
「失敗の経験を多く持つ人ほど、そこから学ぶことが多かったはずなので、その後成功する確率が高い」
という解釈が可能で、こう解釈するならこれはかなり正しい意見のように見えます。
受け止め方による違い
しかし、実は単に失敗した回数が多いことが成功につながるかというと、そうでもありません。
自分がした失敗を、自分自身がどう受け止めるかによって、自信とか自己認識などがどういう方向に変わるのかは一概に言えないからです。
仮に、失敗するたびに自分を卑下し、自信を失い、行動する意欲を衰えさせてしまう傾向が強くなっていくなら……もちろん、これはぜんぜん成功に近付いていないでしょう。
そうではなく、失敗の経験を常にプラスに転化できる傾向があるならば、確かにその人の人生全般において「成功」する確率は上がっているように思います。
つまり、失敗をどう受け取るか……ということが大きな問題になります。
だから実は
「失敗は成功の母」
なのではなくて
「失敗を成功のために活かさなければ、それはただの失敗」
と言うしかありません。
だから失敗を恐れるな
しばしば、
「失敗を怖れるな」
「失敗を気にせず、挑戦することが大事」
と言いますが、そうは言ってもふつう人はごく自然に、ごく感情的に反射的に、失敗をできるだけ回避しようとします。これは本能みたいなもので、ある意味当たり前の態度です。
しかし、意識的に理屈で考えてみれば、常に失敗を避けるように行動してばかりいると結果的に不利な状況に陥る可能性が高いということも……頭では理解できるでしょう。
「失敗を怖れて行動しないことが何よりも失敗」
というような言葉は、今ではむしろありきたりな表現ですし、考えとしてはだれもが理解できるものです。
でも、その考え通りに行動できる人は少ないです。
なぜでしょう?
もちろん理由はいろいろな面から説明できますが、ここでひとつ挙げるならば、それは、まず単純に「失敗」することに慣れていないからでしょう。
多くの人が失敗を怖れてしまう大きな理由のひとつは
「失敗というものに対する慣れ」
が不足していることです。
単純に。
失敗経験がないと脆い
これに関連して、よく
「失敗経験のない人は、弱い」
とか、
「逆境を経験したことのない人は精神的に脆い」
とか、そういう言い方をする場合もあります。
もし、成功というものを単純な一時的な状態ではなく、もっと長期間に渡る継続的なものとイメージするならば、過去に手痛い失敗をしたことがあるという経験そのものが、その後の「成功した状態」を長く継続させる上でも非常に有効に働く……という考え方があります。
テーマはちょっと違いますが、たとえば
「若い頃に苦労しておいたほうがいい」
「若い時に遊んでおかなかった人は、大人になってから変なことをする」
……といった台詞もよく聞きますよね?
その時点では、単純にはマイナスに見える行為や経験が、後にプラスに働くことがあるという意味で、ニュアンスが類似しているような気がしませんか?
単に一つの目的や目標を達成できるか、実現できるかどうかという意味での「成功」に限定するならば、これはあまり影響しないかもしれません。
しかし、実は失敗とか成功とかいった言葉を用いる場合、それはどの程度幅広い意味で言っているのか、あるいはどれくらいのスパンで物事の結果を判断するか……によって話が変わってきますよね。
「失敗」「成功」というのは実はきわめて主観的であるとともにかなり抽象的、階層的な概念です。
失敗という「母」から自立する
もちろん、単に失敗ばかりし続けているだけでは良いことはあまりありません。
その失敗をどう受け止め、何に活かすか、どうやってプラス要素を増やしてゆくか……とか、その都度の意味を持たせていく必要もあります。
ですが、それもある程度失敗というものを経験してみないことには知りようがないわけです。
「挫折や逆境を乗り越えた人でないと、大きな成功は掴めない」
と言われることがあります。
考えてみると、これは第一には大きな挫折や失敗の経験を通して、その人の考え方や行動パターンなどが大きく変化するきっかけになるから……という意味で話されることが多いです。
しかし、今述べた点を考えると、失敗をまったく経験したことがない人、あるいは、失敗に対応する意識や知識、技術などがまったく無い人は「成功状態」を長続きさせることが難しく、より抽象的な意味での「成功」が難しくなる、という意味でもあります。
通常、人がイメージする「成功」「成功者」というのは単発の目標達成や願望実現だけではなく、むしろ
「単発の成功とか失敗とかが継続的に積み重なっている、その全体が成功に見える」
ということを表していると思います。
その意味での「成功」を手に入れるには、その途中途中で断続的に起こる「失敗」に対するスタンスや、ケアといったものについてのスキルが必須なのです。
つまり、成功するためには前段階として
「失敗というものに依存する」
期間と経験が必要なのではないでしょうか?
しかる後、成功者はいずれ失敗という母から自立していくのです。