スランプに陥るのは嫌なものです。
だれだって、スランプを望む人はいません。
しかし、実はそれはまったく無駄とも言えないように思うのです。
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スランプとは?
スランプとは、単純に言えば
「一時的な不調状態」
のことですが、特にはっきりした理由が見当たらないのになぜか陥ってしまうというところに特徴があります。
自覚的な状態としては、たとえば
「今まで普通にできていたことがなぜか続けられなくなる」
とか
「順調に出ていた成果が伸びなくなる、頭打ちになる」
というふうに感じられます。
そこで多くの人はとりあえず、その原因、理由は何なのかと考えるはずですが……それがはっきり分からないのです。
原因が分かっているなら対応はある意味かんたんです。
しかし
「体調が悪いのかな?」
「気分が乗らない時もあるさ」
「バイオリズムみたいなもの?」
「たまたまだろ……」
というふうに、何やらごくあいまいな理由らしきものをあてがってみても……こういう言い方はもちろん明確に原因を特定していることにはなりませんね。
これといった理由がはっきり特定できないので、直接的な原因の除去とか対応策も見つかりません。
というか、要するにこういう状態のことをまさに
「スランプ」
と呼ぶわけですから。
一般的なスランプ対処法
このため、スランプに対処する方法論の多くは
「一回休んでみる」
「リフレッシュする」
あるいは
「より基礎的な練習、作業に集中してみる」
「初心に帰ってみる」
……というように言われることが多いでしょう。
で、これは要するに方法として何を言っているかというと
「そのことをいったん忘れろ」
と言っているのに等しいですよね?
何とも心もとない気もしますが、でも実はこれは、ある意味では正しいやり方と言えます。
実際、スランプを感じた人の多くがこのような考えでスランプを脱出できたと感じていると思います。
……ただし、私の考えでは、このやり方は一般的に言えば妥当とも言えますが
「再現性が低い」
ように思えます。つまり、ある種の確率論なので、うまくいく場合もあるし、なかなか効果が出ない場合もあるわけです。
それと、先に言っておきますが、このようなやり方でスランプを回避するというのは、長い目で見ると実は
「非常にもったいない」
やり方にも見えます。なぜなら、せっかくスランプに陥ったのなら、それをいわば
「災い転じて福となす」
と行きたい。
つまりスランプというもの自体をできればよりプラスの方向に利用したいわけです。
意識的なスランプ脱出法
そこで私が信じている「スランプ脱出法」なのですが、以下のような考え方をします。
①「なぞる」のをやめる
「今まではこうやれば、できていたはずだ」
といった観念を一回全部捨てるつもり(これは実際は本当に捨てることになるわけではありません)で、自分の意識から排除してください。
「おっかしいな、これで絶対合ってるはずなのに……」
「今までこれで成功していたのに、どうしてうまくいかないんだろう……」
というように考えて、過去の習慣的な動作を再現しようと必死になっているときの意識……私はこのことを
「なぞる」
と表現しています。
要するに、これこそスランプに陥っている人がやってしまいがちな、最も良くない方法なのです。
だから、その意味では
「そのことをいったん忘れろ」
というアドバイスも正しいのです。
ただ、それだけだと、いったん忘れたはいいけどそのことをもう一度やるときに「なぞる」意識に戻ってしまえば意味ないわけで、実はそこがスランプ脱出がうまくいくかどうかの重要なポイントだと私は考えているわけです。
これは一般には表現としては
「初心に帰る」
というのと同じだと感じるかもしれませんが、多くの人はそもそも「初心」というと、その成功体験が自覚された時点のことだと思っているので、そこまでしか戻れません。
言うなら、そもそも初心なんてものすら持っていないまったくの未経験者みたいな気持ちになってください。
そして意識的に今までのやり方を「なぞる」のをやめてください。
……と言っても、実はこのことは別に
「今までのやり方が間違っていた」
とかいう話ではありません。
やり方や考え方というのが誤っているというのではなくて、とにかくそれを「なぞれば」また同じ結果が出るはずだという認識こそがスランプから抜けにくくなる主な原因なのです。
以下にも述べますが、なぞる気持ちを捨てて、まったく一から考え直してそれをやった時に
「結果的に前と同じやり方になる」
としても、それはぜんぜん問題ではありません。
ただ、それは「なぞった」結果ではない、という点だけが大事なのですから。
② 一度「目的」から考え直す
さて、その行為自体の直接的な「目的」をもう一度はっきりさせましょう。
これはたとえばスポーツなら
「シュートが入る」
ことだとか
「ヒットを打つ」
といったような、ごく直接的な行為の目的のことです。
目的というとたとえば
「試合に勝つ」
「大会で優勝する」
といったことも想起されますが、そういう結果的な影響とか成果というのではなくて、今したいのはスランプから脱出することですから、あなたがスランプだと言っているその行為そのものが、直接には何を目的としているのかを直視することです。
言い換えれば
「それができたらそもそもスランプじゃねえっ!」
と言えるのはどういう時なのか、というような意味ですね。
③ この1回を成功させる
次に、今までできたことだとか、過去成功していたことだとか、そういうのも全部頭から排除して
「次の一回を、絶対成功させるにはどうしたらいいのか?」
という観点で、今からやろうとしていることを捉えなおしてみてください。
繰り返しますが、そこで今までできたという前提で
「なぞる」
のはいけません。
たしかに、具体的な手順とかコツみたいなものって内容的には過去積み上げたものがそのまま頭に浮かんでくると思いますけど、それはそれでいいのです。
でも、同じことだとしても「なぞる」のではなくて、むしろ気分としては、その事柄を
「今回初めてやる」
というような気持ち。
「こうやれば、いつも、何度でも同じ結果が出るはずなんだ!」
という意識ではなくて、今
「初めてだけど、一発で成功させてやる」
というような(おそらく、あなたがそのことを初めてやったときにそうだったような、その)気持ちです。
それが
「なぞる」
のではなくて
「一回性にこだわる」
ということです。
「一回性」とは?
私はこういう時にいわゆる
「一回性」
という言葉をイメージします。
いわば、観念としては何度も同じことを繰り返しているようでいても、今この時にやるそれは
「自分の人生においては一回しか出てこない、唯一の場面」
だというようなイメージです。
たとえば、毎日毎日同じことの繰り返しだとか、もう飽きるほどに熟達して目をつぶっててもできるとか……そういうのは人間がそれを「観念」としてそう感じているだけで、その各々の一回一回というのは、現実には
「まったく同じこと」
ではありませんよね?
考えてみると、川の流れとか森の風景とかもそうです。
それを私たちが見ていると
「ずっと変わらないんだなあ」
と感じますけど、でも現実をそのままいうなら、今その場所に流れている一滴一滴の水とか、今たまたまそこに生えて生い茂っているその木の一本というのは、本当は
「一回も同じじゃない」
です。
ある意味、スランプに陥っているときというのは、得てして観念として
「私は前のように、同じことを繰り返せるはずだ」
「私はすでにその能力やスキルがあるのだから……同じようにやれば同じ結果が出せるはずだ」
というふうに決めてかかっています。
たしかに、事実としてそれは間違っていないのかもしれません。
でも、おそらくその観念というか、そう感じながら過去の成功のイメージとか実際何度も繰り返している手順や動作などを「なぞろうとする」意識が逆にスランプを長引かせているのです。
だから、いったん、今までどうだったとかは置いといて、とにかく今その、目の前にある
「一回だけ」
をうまくやることだけを考えたほうが良いわけです。
永きに渡って変わらずに見えるその一つひとつは
「一回性」
がひしめき合って、駆逐され淘汰され、生き残った唯一のものが延々と生き延びてきた結果です。
だからここ一番、今現在、この一回に自分の持てるマインドもテクニックもすべて投入して、
「この一回を勝ち取る」
……その気持ちを忘れたからスランプが訪れた、というわけです。
スランプとは「筋肉強化」に近い現象
ところで、さっき、一般的なスランプ脱出の方法、たとえば
「しばらく休む」
とか
「気分転換する」
「リフレッシュする」
といったやり方は長い目で見ると実は
「非常にもったいない」
と言いましたが、その意味はこうです。
「一回性」
という考え方を重視して、スランプに陥っている自分の状況を「意識して」把握し直したうえで、次の一回を成功させる……という流れを踏むと、単にスランプ前の状態に戻るというだけではなくて、むしろ前よりもその事柄に対応する力が強くなる気がするからです。
何かをうまく行う力の大きさというのは単純に言うと、あなたの行動とそれによる結果を結びつける「線」の強さという風にイメージできます。
この線というのはいわば筋肉繊維みたいなものに喩えることができるのではないでしょうか?
もちろん強い筋肉があればより大きな負荷でも耐えて持ち上げたり、動かしたりできる……その筋力を決定づける筋肉繊維の強さ、太さや数が大切です。
比喩的に、ひとつのスランプに陥る以前の自分のスキルとか能力とかいうものは、いわば
「より細い、少ない線でつながった力」
に過ぎなかったのです。
その、まだ細くて弱い線が何の理由かよくわからないけど微小に破損してしまった……それがいわゆるスランプの状態だと言えます。
スランプを克服するということは、ある意味でこの「線」をもっと太くし、もっと数を増やして強化する機会だとも言えるわけで、単に
「リフレッシュ」
したり
「休養を取ったり」
するのでも悪くはないですが、上に挙げた流れで自分の行為自体を意識的に把握し直すことによって
「筋力が超回復する」
かのように線が太くなる気がするのです。
要するに長期的に見ると、何度もスランプに陥って、それを克服して……というのが繰り返し起こって、そのたびに実はスキルや能力が強化されているのだと見たほうが正しいように私は思います。
この線のことを、ふつうに言うならいわゆる
「応用力」
とか
「再現性」
と呼ぶことになるのだと思います。
スランプを、単にやり過ごすのではなくて自分の筋力アップの良い機会だと考えれば、それは決して無駄なものではないわけです。