親としては、我が子に

「将来の夢」

を早く持たせたいと願うのは自然な感情だと思います。

私も今中学生の息子がいます。

大人から見ると、できるだけ早く将来の夢とかなりたい職業などを決めて、それに役に立つような知識や経験を若いうちから積んでいったほうがいい、そのほうが圧倒的に有利だ……といった感覚がありますから

「早く将来の夢や目標を決めてほしい」

あるいは少なくとも

「将来のことを早く考え始めてほしい」

という思いがあります。

将来の夢はだれのもの?

まずここでの前提として、私は今

「子供の将来はあくまで子ども自身のもの」

という考えで話しています。

世の中には、今でも

「親の敷いたレールの上を歩んでいくのが、その子供にとって一番幸せだ」

というような観念を持っている人もいるかもしれません。

あるいは、事実上

「後継ぎ」
「二代目」
「後継者」

となることを強く期待されているという場合もあると思います。

……テレビドラマとかでもそういう設定の話は今でもけっこう多くありますよね?

しかし、そういう場合のことはここでは触れません。

……というか、おそらくそういう状況下である場合、そもそも、お子さんに

「将来の夢」

を尋ねる意味がないですよね?

あるいは、本音としては、親御さんが想定している以外の

「おかしな夢や目標」

なんかに興味を持ってほしくないって思っているはずです。

その是非論は置いといて、ここではあくまで

「子どもさん自身が自分で自由に将来を選ぶべきだ」

という考えのもとに話を進めますね?

親はどうして子供に「将来の夢」について聞きたがるのか?

さて、私自身も基本的に、たとえ自分の子供だとしても、その子の人生はその子自身が選んでいくものだと思っています。

……で、それはそうなんですけど、やっぱり

「その子がいったいどんな将来像を描いているのか?」
「何に興味や情熱を感じ、どんな人生を望んでいるのか?」

といったことに強い関心があります。

また、それ以前の問題として

「そもそも将来について少しは考えているのか?」
「いつになったら将来について意識し始めるんだろう?」

……と心配になるのです。

そこで、子供の気持ちを確認したいのです。

あるいは、それを後押ししたい。

あるいは、そういうことを考えるように誘導したい、と考えます。

その上、次の段階として、仮に子供が何らかの夢や目標らしきものを考え始めたときには、それが

「なるべく成功しやすい、妥当で合理的な選択」

であってほしい……と願うわけですね。

上で言った通り私も別に、子供を

「親の思い通りに生きさせたい」

と思っているわけではありませんけど、その前提でもやはり

「失敗させたくない」
「苦労させたくない」
「回り道をさせたくない」

といった

「大人な判断」

を反映させたい、みたいな気持ちはありました。

だからそういう意識的な前提を内心で持ちながら、子供と話してしまうわけです。

子供のためを思うだけでは、子供のためにはならない

私の息子は中学生で、高校入試のこととか視野に入ってくる時期なので少し浮足立っているようにも感じます。

父親の立場からすると

「目の前のことより、もっと長期的に将来のことを考えて高校選びなさい」

なんてことを言いたくなってくるわけです。

……ていうか、もう言っちゃいましたけど。

で、将来のことなどについても少しは親らしいことを言ってやろうとか思って、それでこんな記事を書いているわけです。

でもですね……。

そうやって考え始めると、具体的にどんな言葉をかけてやるのが一番良いのか、けっこう難しい問題だなとあらためて思いました。

で、振り返ると息子が小学生だった時期でも、いやもっと遡れば幼稚園の頃だって、私はすでに息子に将来のことや進路のことなどについて、自然にいろいろ聞いたり、意見を言ったり、すでにしていたなと気が付いたわけですが……

「どう考えても有効な話し方ではなかったなあ」

と反省せざるを得ませんでした。

……ふだんはけっこう仲が良いし、何でも気軽に話してくれる子だと思うんですけど、思い出してみると、私がそういう話題について話そうとしたときに限って息子は急に

「聞き流しモード」

に入るのです。そっけなく相槌を打つだけになり、こっちの話が終わるのをひたすら耐えて待っているかのような……極端に言うとそんな感じです。

考えてみれば私自身、自分の父親に対してはいつもそんな対応してたなあと思うので、息子がどうしてそんな態度をとるのかは何となくわかりますけどね。

ただし……私はやはり、だからと言って

「じゃあもう何も言わず、子供の思う通りにさせよう」

なんてことも完全には思えないわけです。

それで

「子供と将来の夢や目標について話すとき何をどう話すのが最も有効か?」

ということを考え始めたんですね。

「有効か?」

……というのは、もちろん

「子供本人にとって役に立つ」

という意味です。

親の期待や願望はさておき、子供と話してそれが役に立たないなら意味ないですし、むしろ害になるなら何も言わないほうがよっぽどマシなわけですから。

将来の夢について話すとき選ぶべき言葉

① 「将来は〇〇になれば?」

あらためて考えたところ、こういう言い方は子供の夢や目標を後押しすることになるどころか、逆にその子供から夢や目標を一つずつ奪っているようなものです

言う側は思い付きで気軽に言ってしまうことがほとんどかもしれませんが、言われた子供の側の感情を考えてみると、その一言によってそこで挙げられたものは

「自分で見つけた夢や目標」

ではなくなってしまうからです。

これは子供の適性や興味をもとに言っているとしても、社会情勢とかその業界の将来性などから見たアドバイスだったとしても同じだと思います。

あくまで例ですが、たとえばお子さんに

「君は周りの友達の面倒を見るのが得意だから、将来は学校の先生になったら?」

と言ったとします。

すると、言われた子供のほうは、少なくとも

「学校の先生」

という職業については自分自身が自然にたどり着いた目標ではなくて

「他人に与えられた目標」

になってしまいます。

要するに、もしそれを選んだ場合に、経緯はどうあれ結果的に

「他人が敷いたレールに乗って歩んでいる」

ということになってしまうからです。形として。

もちろん思春期くらいになると親に対する反抗心、言い換えれば自立心とも言えますが……そういう感情から

「学校の先生にだけはぜったいにならない、なってあげない!」

という考えに傾く可能性もあります。

そうなると、余計な判断材料を与えているだけで本来自分で素直に決めるべきものをじゃましているような結果になります。

そうじゃなくても……自分自身のことを考えてみれば分かりますけど、人間はだれだって、こっちから相談したわけでもないのに勝手に

「自分自身について見透かされたようなことを言われる」

のは気分が良くないです。

仮に、結果として学校の先生になったとして……その時に

「ほらね、やっぱり言った通りだったでしょう?」

とか言われるのが鼻持ちならないわけですよ。

② 「〇〇みたいだね」

子供のふだんの行動や、学校での成果などを見ていて

「この子はこんな才能や適性があるんじゃないか?」

と感じることはあると思います。

まあほとんどの場合は単なる親バカってやつかもしれませんけど……。

私も、息子が幼稚園くらいの頃は

「こいつは、もしかして天才なんじゃないだろうか」

と感じた場面はたくさんあります(笑)

で、そんなとき私はいつも

「おまえは、〇〇になればいいんじゃないか?」

と言ってしまったわけですが……上で述べたようにこれは良くない言い方だったと思います。

そうじゃなくて、私はただ

「〇〇みたいだね」

を言えばよかった。

たとえば、子供が夏休みの宿題でわけの分からないオブジェみたいなものを作り上げたとしたら

「お前は天才だ! 将来は芸術家になったらいいんじゃない?」

と言わないで

「お、芸術家みたいだね」

と言えばよかった……あらためて考えたら後悔を感じます。

これでも、意味としては

「世の中には芸術家という道もある」

ということは子供にも伝わります。

もしその後子供が、自ら芸術家になりたいという夢を持つに至ったとして、その場合でも

「芸術家みたいだね」

と言われたその記憶は、単に才能や適性があると言われたというだけであって

「そうしなさい」

という親の意向をまったく含んでいないから、そっちを考慮する必要が子供にはないわけです。

だからこそ、それは

「子供自身が自分で選び取る将来」

になるのです。

そう言ってあげられたら良かったと思います。

③ 「将来何になるの?」「将来の夢は?」

この言い方も実は良くないように感じます。

ある意味、単刀直入に聞いているわけですが……このような質問の前提には

「あなたは将来の予定を決めなければならない」
「人はみんな将来の夢を明確に持たなければならない」

という一種の「主義」が隠れています。

言っている本人がそういうつもりではなくても、そういう構造になってしまいます。

年齢にもよりますが、私は基本的に子供にその手のプレッシャーを与えるような行為はなるべく避けるべきだと思っているのです。

大人が主に考えてあげるべきことは、子供さん本人が自分自身の気持ちから将来のことや、夢のようなことを考えたいと思った時に、その判断材料となるべき知識や情報をたくさん与えてあげることではないでしょうか

夢を持て、将来のことを考えろという、そのこと自体を無理に促すのはたいてい良い結果をもたらさないように感じます。

もちろん、完全に子供任せにして放っておくのがよい……というのとも違います。

私が今、親の立場になったときに思うのは

「子供本人が、自ら夢や目標を見つけられるような環境や情報を作ること」

です。

あるいは、夢とか目標、将来に関する選択といったものを、

「子供自身が、自分で決めたとはっきり感じられるようにすること」

です。

この観点から言うと、子供さん自身の気持ちの推移と無関係に親などが先に回って

「将来何になるの?」
「将来の夢は?」

と問いかけるのは、どちらかというと失策になる場合が多いと考えるわけです。

④ 「〇〇って、どんなところが面白いの?」

そこで、結果的に私が最も有効だと感じるのは、やはり将来のこと自体に言及するのではなくて、原則あくまで

「その子が今すでにやっていること」

にフォーカスするという考え方です。

学校なら、得意な科目とかクラブ活動で、今その子が熱中していることについて話すということです。

たとえば、私の息子は国語に苦手意識を持っている代わりに、数学は得意だし面白い教科だといつも言っていますので、そういう場合に

「数学って、どこがおもしろいところなの?」

というふうに聞いてみるわけです。

もしかすると子供自身はあらためて言われてもその面白さをうまく説明できないかもしれません。

……が、それについて考える機会が大切です。

つまり、自分が源に興味を持ってやっていること、自分が熱中していることに関して、何が楽しくて、面白いと自分が感じているのかということを

「言語化して記憶しておく」

ことが重要だと思うのです。

直接的に言えば、そのことがすなわち実質的には

「将来のことを考える」

前提になります。

少なくともこのアプローチなら変に反発心を煽ったり、将来、将来……というおかしなプレッシャーを感じさせたりするという「弊害」がありません。

むしろ、こちらが

「あなたのしていることに関心を持っている」

ことを示すことにもなります。

事実子供が今していることを知っているというのは、時が満ちたとき子供自身がそれこそ将来の夢について

「気軽に親に話しやすい」
「相談しやすい」

状況を作る前提にもなります。

……いつも

「そろそろ将来のことを考えなさい」
「夢や目標を持ちなさい」

とだけ言われている場合とは全然違った結果になるでしょう。

⑤ 「もっとよく考えなさい」

基本的には、それ相応の時期になると別にこっちから催促しなくても子供は自分で将来のことを少しずつ考え始めるようになります

仮に、子供がたとえば

「将来○○になりたい」

とか

「〇〇がやりたいから、〇〇という学校に行きたい」

とか、自分から言ってきたとします。

で、その瞬間にたいていの親が考えることは

「仮にその職業を選んだ場合どんな結果になるか?」

ということですよね?

その世界の(よく知らないけどうわさに聞いている)内部事情とか、業界全体の傾向とか展望とか……いわゆる「一般常識」的な観点から

「結果」

を予測した上で、それを子供に語って聞かせるのです。

おそらく、実際にほとんどの親御さんはそういう話し方をしますよね?

「その仕事はこんな苦労があるんだよ」
「甘い世界じゃないぞ」
「これからその業界は衰退するよ」

とか

「成功するのは一握りなんだよ」
「収入が安定しないから危険だよ」
「そんなのいつまで続けられるか分からない」

とか。

ほとんどの親御さんは、こと将来のことになるとまるで自分の子供じゃなくて企業の入社試験でもしているかのような気分で「子供を試そう」とするのです

そうじゃないですか?

仮に親御さんの言ってることのほうが妥当だとしても……実は子供はそんなことを聞きたいのではありません。

だから余計に心を閉ざしてしまうのです。

……これは結果的に、子供が将来のことを考えるのを強烈にじゃましているだけです。

そしてさらに言えば、実際にはこの親御さんの言う「常識」「予測」というのが悪いことに

「多くの場合、まったく当てずっぽう」

だということです。

その最大の理由はもちろん、実際のところをよく知らないからですよね。

⑥ 「それってどうやったらなれるの?」

そこで、もし子供さんのほうから自分の将来の夢とか、進路の希望とかの話をしてきた時には

「それってどうやったらなれるの?」

と逆に質問します。

私はこれが最も正解に近い反応だと思っています。

つまり、先回りして結果を言い当てるんじゃなくて、そもそも将来的にその道に至るにはどういうプロセスを踏めばいいのか、ということにフォーカスしてあげると良いのです。

むしろそれをさらに子供さん本人に考えさせたり、調べるきっかけを与えたりすることのほうがよっぽど大切なのです。

というのは、まず多くの子供は、夢や将来像みたいなものを思い描き始めた段階では、実際のところそれに至る過程をほとんど知らないし、ごく少ない、あいまいな情報しか持っていないからです。

もしかすると、そういう情報提供や指導は学校できちんと行われているんじゃないかと思っている親御さんもいるかもしれませんが……それは大間違いです。

基本的には、それは子供さん本人が調べるしかありません。

もし、子供さん自身がまだその力がないなら、親御さんはむしろそっちを手助けしてあげるような行動をしてあげる必要があります。

……と言っても、

「なら、これを勉強しろ」

とか

「じゃあこの学校に行け」

というふうに上から目線で言ってはダメですよ?

それだと

「自分が敷いたレールの上を走らせる」

のと同じですからね。

焦ってはいけません。

「もし必要なものとか、知りたいことがあったら言ってね」
「私も調べてみるから」

……というふうに、助けを求めることができる場所というか、状況を作ってあげればいいだけです。

子供さん自身のことを考えても

「もし、それになれたらどんな人生になるのか?」

といったことを空想してみてもほとんど実効性はないと思います。

なれるかなれないかもまだ確定していないのに。

なったらなったで、本当に(多くの親御さんが言うような)そんな人生になるという確証もないのに。

……そんなことよりは、まず仮にそれを将来像とイメージしているのだったら、そのためには

「直近でまず何を決めて、何をやらないといけないのか?」

ということを知ることのほうがよほど重要でしょう。

多くの子供さんは、親への遠慮とか世間体とかを含めて結果を空想している間に、肝心の

「それってどうやったらなれるの?」

ということを明確にする時間を奪われてしまっていると思うんです。

……これは、仮に途中で夢や将来像自体が変わってしまった場合でも同じく有効です。

私は、そもそも先に「結果」を想定してしまうことがミスリードだと思うわけです。

いい歳した大の大人ならば

「 終わりから考え始める(Begin with the End in Mind)」

のも良いでしょう。

……でもそんなの、中学生の息子ができるわけないし、それを親が代わりにやってあげようなんて、もっと無理な話です。