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「習慣化する」という行動パターンを習慣化する
「自分を変える」
「目標を達成する」
……そう考え始めたときに、たいていまずぶつかるのが
「習慣化」
です。
しかし私たちはたった一つのことすら習慣化できずに悩み続けています。
また、自分の人生にとってより重要な、決定的な事柄ほど習慣化が難しく感じます。
習慣の意味
習慣とは、何度も繰り返し行っているうちに、もはや自然にそうするのが決まりであるかのように定着、固定化している行動、または行動様式のことです。
それで、あらためて考えるとそもそも「習慣」というものには
① 行為レベルの習慣
② 行動様式レベルの習慣
というように、ある分類が想定できます。
多くの場合、人が何かを習慣化したいという場合には、
① 行為レベルの習慣
のことをイメージしています。
たとえば、
「自宅で勉強する習慣をつけたい」
「早寝早起きの習慣をつけたい」
「毎日適度な運動をする習慣を持ちたい」
……というように。
これらは、自分にとって何かの役に立つであろう特定の行為を、それを続けることによって得られるであろうメリットを期待して継続的に行いたいという考えから習慣化しようとすることです。
しかし、これとは別に
② 行動様式レベルの習慣
というものも存在しています。
たとえば、
「だれに対しても分け隔てなく明るく朗らかに接する」
という習慣がある人がいるとします。
これは特定の具体的な行為を習慣にしているのではなくて、
「特定の状況になったときには、常に特定の反応、行動を選択する」
という意味の習慣です。
一般に、これは習慣というよりもその人の性向とか性格、または個性などと呼ばれることになるわけですが、他人から見れば容易に区別が付きにくいとしても、実際にはその人は「もともとそういう人だった」のではなくて、それは自ら強く意識して努力した結果身につけた
「行動様式、行動パターンレベルの習慣付け」
による成果かもしれません。
もちろん、もしかするとこの人は、ただ、他人との接し方、他者に対する振る舞い全般において、そのような行動様式をいつの間にか習慣として持っていた……という場合もあり得ます。
自分ではいちいち意識することもなく当たり前のように、多くの場面でいつも同じ傾向の行動を選ぶのかもしれません。
しかし、いずれにしろこれは後天的に身につけたもので「習慣」の一種です。
あるいは、たとえば周囲の人から
「あの人はすぐに異常なほどに激昂する」
と思われている人がいるとします。
この人も、別にそうしようと努力してやっているのではありません。その人は特定の状況に触れるといつも同じ感情が引き起こされるのです。むしろ自分でも抑制できないでいるかもしれません。
大事なことは……私たちは、個別の具体的な作業や行為というレベルではなくて、そのような反応パターン、あるいは行動様式を習慣として持つこともできるということです。
というか、ほとんどの場合それはすでに自らの意識に依らずとも自然に形成されているのです。
「習慣化」そのものを習慣化する
最初になぜ、こんな回りくどい話をしたかと言いますと、
「習慣化」
ということを考える時、私たちはふつうは、何か特定の行為を習慣化することができれば、その行為の蓄積によって何らかの成果やメリットを享受できるという単独の「パッケージ」みたいなものを前提に考えています。
そして、ある時には習慣化に成功したり、失敗したりするわけですが……いずれにしろそこには単発の
「手段としての習慣化」→「その結果見込まれる成果」
という想定だけが強く意識されているのです。
でも、事は限らず何にせよ目的があった時に、その手段となる作業や行為をすみやかに「習慣化」できるスキル、あるいはそういう体質というか、クセがあるならば、何を求めるにしても非常に有利ですよね?
つまり、本質的には私たちは実は今頭に浮かんでいるそのことをやるために、というよりもむしろ、何をやるにつけても、必要なことを常に
「偶然ではなく自ら意識的に習慣化できる」
という力が欲しいわけです。
言い換えれば、習慣化するという行為自体の再現性を高めたいわけです。
とすると……今思い浮かんでいるそのことだけではなくて、意識しなければならないのは
「必要な事柄を意図的に習慣化するという行動様式」
です。それを習慣化したいわけです。
一般的な「習慣化の方法」について
それを踏まえて、ではまず習慣化の話題について、本や雑誌などでよく見る方法論を確認しましょう。するとたとえば次のようなものがあるでしょう。
① できるだけ小さなことから始める
習慣化するために、あまり高望みせずに行動や行為の設定をできるだけ下げるということです。
たとえば、今までは家で勉強なんかほとんどしたことがない人が、いきなり毎日2時間の自己学習時間を取るという目標を立てて、それを習慣化しようとすればかなりの確率で失敗します。
だから、たとえば最初はとにかく1日15分だけ勉強するということを継続するのです。
これは、際立った具体的な成果を求めるよりもまず、習慣化するということ自体に慣れるために、そして、あわよくば習慣化できたというある種の「成功体験」を獲得するために非常に有効なやり方と言われています。
また、性急に成果を求めるあまり同時にいくつもの作業を習慣化しようとせず、まずは何か一つだけに絞ること。
そして、それができてから次のこと、あるいはもう少し設定を上げる……というように段階的に進めていくという方法です。
この考え方は、先ほど言ったように
「習慣化という行動様式を身につける」
という観点から見ても非常に有効です。
② 先に環境を整える
習慣化しやすい環境を作ることです。
逆に言うと、習慣化を妨げる要因になると予測される因子をあらかじめ取り除いておくという点が重要です。プリコミットメントと言いますが、基本的に、
「人はその時その時の欲求や衝動によって、自分に対する約束をかんたんに破る」
というふうに考えます。つまり自分の未来の行動を予測して制限をかけるという手法を指します。
たとえば、手近なところについ手を伸ばしたくなるような誘惑となるものを置いておかない。漫画や雑誌、スマホなどですね。
友達などからの電話が鳴らないようにスマホを切っておいたり、テレビのリモコンを片付けたり、YouTubeを見ないようにしたり……です。
その行為をする時には、場所を変えるという方法もあります。もし自宅に集中できる環境を作れない場合、カフェやファミリーレストランなどに出向いて作業する人も多いと思いますが、これもある種の制限をかけるためにわざわざそうしているのです。
場所の問題だけでなく、たとえば先にまとまった金額を投資することで「もったいない」という心理を起こすことで途中で投げ出すという選択肢を断つという方法。
よく「形から入る」と言われるように、必要な道具や教材などを全部揃えてしまう。
あるいは、塾や教室、ジムなどに入会するといったものです。
これらも環境を整えるための準備として挙げられます。
……とは言え、環境というのは「完全に自分の望む通りに」整備できるというものでもありませんよね?
環境が悪いからと言って、それを責めても何の意味もありません。
自分にとって理想的な環境でなければ習慣化できない……。
理想的な条件が整わないからモチベーションが上がらない……。
もしあなたの心の中に、そんなふうに感じてしまう部分が残っているのであれば、それは習慣化を始める以前に整理しておかなければならない問題です。
③ 仕組み化する
手順やスケジュールを確定してしまう。
ある状況になったらある意味機械的にそのことをせざるを得ないような状態を作っておくこと。
たとえば、多くの人が有効だと言っているかんたんなやり方として、キッチンタイマーのようなものを使って、あえて時間を明確に区切ることによって行動を起こすトリガー(引き金)にする、あるいは集中力を引き出すといったことも紹介されています。
いわゆる「アメとムチ」を組み込んでおくことも有効とされます。「報酬(ごほうび)効果」と呼ばれますが、一定量こなしたら何か自分の好きなものを買うとか、自分に対するごほうびをあげる。
その逆で、実行しなかった場合に何か「罰ゲーム」的なものを用意することもあります。特に、後から回避できないように友人や家族などに、もし言った通りにしなかったら〇〇をごちそうする……というように約束してしまうという方法もあります。
そうでなくても、自分の決定を他人に公表することで、それを守らなければ嘘を吐いたことになってしまいます。それを避けるために途中でやめにくくなる効果があります(パブリックコミットメント効果)。
④ モチベーションに頼らない
上記すべてに共通して当てはまりますが、習慣化の話題で必ずと言っていいほど指摘されるのは、
「人間の意志力というのは非常に弱いので、意志の力やモチベーションに頼って習慣化しようとしてもムダだ」
……ということです。
ですから、精神論や根性論、いわゆる体育会系、スポコン系の方法論というのは昨今ほとんど採用されなくなってきています。
また、もうひとつ大きなポイントとして挙げられることは、意志とか感情、モチベーションというのは他人のちょっとした発言や態度に触れただけで大きく変化します。
つまり、あなたを取り巻いている
⑤ 人的環境を整える
ということが、習慣化の問題に大きく影響します。
周りの人があなたの決定や努力を積極的に肯定し、応援してくれるのか?
それとも、
「そんなことしたってしょうがない」
「それくらいやっても、ぜんぜん変わらない」
というようにその価値を認めようとせず否定したり、
「あなたにはどうせ無理」
「また途中で投げ出すに決まってる」
というように、あなたの自己イメージを低下させるように働いたり、習慣化の困難さをことさらに強調したりするのか?
これは習慣化できるかどうかを左右するかなり大きな条件と言えます。
少なくとも、習慣化にトライする時にはあなたがやろうとしていることについて否定的なことを言ってくる人と話すのをやめましょう。


いったんまとめますと、
① できるだけ小さなことから始める
② 先に環境を整える
③ 仕組み化する
④ モチベーションに頼らない
⑤ 人的環境を整える
以上にご紹介したものは、確かに一定の効果が見込めるものばかりだと思いますし、習慣化に関する基本的な考え方として知っておくべきことです。
習慣化がうまくいかない人へ
一般的な方法論で上手に習慣化というスキルを獲得することができた人は良いのですが……中には、それなりに頑張ってはみるものの、どうしてもうまく続けることができないので自信がなくなっている人や、習慣化に強い苦手意識を持ってしまったという人もいるでしょう。
大丈夫です。おそらく現実にはかなり多くの人が苦手意識を持っています。
たとえば、上記のような基本的な方法論を知ったとしても、
「でも、やっぱり意志が弱い人はどんな方法でも無理なんだよ」
「だから……そんな方法で実行できてる人って、そもそも意志が強いんだよ」
というように考えてしまいます。
そんなあなたのために……習慣化のポイントをもう少し踏み込んで考えてみましょう。
次のような点を良く意識して、
「習慣化という行動様式の習慣化」
にチャレンジしてみると案外うまく行く場合があります。


⑥ 自分が習慣化「できない」ということに焦点を当てない
特に何をやっても続かない、すぐに諦めてしまう……というふうに苦手意識を持っている人によく見られるのは、
「習慣化というものに対する固定観念」
が強すぎるということです。
どんな情報を聞いても、人から何を言われても、そもそも私が何かを習慣化できるなんてこと自体ほとんど信じられない……というようなイメージを最初から持ってしまっている場合があります。
要するに自己イメージが低いという話なのですが、最初に言ったように、
「そもそも自分なんて、どうせ何も習慣化できない人間なんだ」
と自己評価して、その通りに行動してしまいます。
でも実は、そのこと自体が、あなたが持っている行動様式レベルの習慣なんです。
ある意味、あなたは立派にその習慣の通りに常に行動し、ずっとその習慣を守ってきたということなんですよね。
だから本当は
「習慣化できてるじゃん!」
って話なわけです。
自分がすでに「習慣化」できていることを知る
実際には、人間の生活のほとんどすべてが習慣で出来上がっているということを悟る必要があります。
もちろんあなただけではなく、おおよそ人間の一日の活動というのはそのほとんどが習慣による繰り返し行動です。
「朝起きて……トイレ行って……顔洗って……飯食って……歯磨いて……着替えて……会社行って……(以下略)」
そもそも、本当に意識的に意思決定して、きちんと自分で選択し直してから行動を決める機会なんて、一日の中でいったい何かいくらいあるのか振り返って考えてみてください。
それに比べて……習慣によって自動的に行動を選んでいる例をが一日の中でいくつくらいあるか思い出してみれば、たぶん「意識的選択行動」の割合は良くても数%、あるいはもっと少ないでしょう?
ところで、もしそうならば、その習慣というのは……なぜすでに習慣化できているのでしょうか?
実は、そこに隠れている「動機」を探し当てることが重要です。
習慣化の前提は「動機」にある
本当は、習慣化にとって最も重要なのは方法論ではありません。むしろ、人間は動機さえあれば特に意識することさえなく自動的にその行動を習慣化します。
ゲームしかり。
お酒や喫煙しかり。
テレビしかり。
スマホしかり。
Youtubeしかり。
その行動が、自分の動機を満たすものでありさえすれば。
……って今、どちらかというと一般的には「良くない」と言われる習慣ばっかり挙げてしまいましたが、しかしその、自分が心に持っている「動機」そのものを肯定も否定もする必要はありません。
こんな動機は不純だ。怠慢だ。理想的じゃない……というように勝手に評価しないほうがいいです。
そんなことしても、そもそも自分が感じている動機そのものを、自分に都合のいいように修正することなど(すぐには)できません。はっきり言って、それは習慣化よりさらにもっと難易度の高い行為です。
さて、それより問題はこちらです。
「では今から習慣化したい、その行為の動機は?」
ただし、ここで考えるべき動機というのは、たとえば
「これを習慣化できたら→こういう成果が手に入るから」
というようなタイプのものではいけません。
なぜなら、それは今やろうとしているそのことをする直接的な動機じゃないから。
それを習慣化することが、何か別の成果を得るための「手段」になっているから。
考えてみてください。
先ほど言ったように、あなた自身がすでに習慣化している無数の行為、活動がありますよね?
それらは、何かの手段として仕方なくやっている……というよりも、もっと別の理由があって習慣化されていませんか?
「いやいや、だって毎日会社に通ってるけど、それはライスワークだからね……生活の手段に過ぎないからね」
などと思うかもしれませんが。
もし、そのように感じるとしたら、それはほとんどの場合、その奥に隠れているあなた自身の本当の動機を忘れているか、見たくないからあえて無視しているのか……のどちらかです。
会社に行く理由って、本当にそれだけですか?
「会社に行ってないと、カッコ悪い」
「就職してれば、人から文句を言われない」
「飲みに行ける同僚がいる」
「会社以外に居場所が思いつかない」
「会社に行けば、あの人と会える、話せる」
「仕事してないと、何していいか分からなくなる」
「本当言えば、バリバリ仕事してる人たちがうらやましい」
人間は、純粋に手段的な行為を習慣的に繰り返せるほど、ウマくは出来ていません。
⑦ 動機を十分に膨らませる
あなたがすでに習慣化できている事柄には、必ずそれをする「直接的な」動機が存在していました。あなた自身がすでにそれを忘れていたとしても、それは少なくとも最初の段階では、確かにあったはずなのです。
たとえば
「面白そう」
「カッコいい」
「素敵」
「そのほうが楽」
「得をしたい」
「恥ずかしい思いをしたくない」
「仲間外れになりたくない」
「あの人から良く見られたい」
「あの人もやってる」
とか……そういうのでもいいです。
あるいは
「自分に正直でいたい」
「ありのままを認めてほしい」
「意味ある人生を生きたい」
「一瞬一瞬を大事にしたい」
といったタイプの動機も、もちろんアリです。
まず自分の動機を自分がしっかり認めてあげることです……はっきり言って、どんな方法論を用いるにしても、これからやろうとしていることに関して、何かしら直接的な動機が意識されていないと習慣化は不可能です。
なぜやりたいのかを考え続ける
「何か成果を得るために……今はこれをしなければならない」
という思考の習慣を一度疑ってみましょう。
志望校に合格するために……勉強しなければならない。
生活費を捻出するために……仕事に行かなければならない。
こういうのは、意識的に思考すると初めに出てきやすい「もっともらしい動機」ではありますが、直接的ではありません。
正直でもありません。
別の言い方をするなら、こういうのは、すでにそれをある程度習慣化できた人が言うことです。
そして、この種類の動機というのは、あなたが本来持っている他の様々な欲求や願望と比較したら……非常に弱いです。
つまり、自分が持っている他の「動機」の中にすぐ埋もれてしまうような、非常に形式的で、微弱で、刹那的で、わざとらしい拵え物の動機にすぎません。
これでは、習慣化のための動力として弱すぎます。
いくら一流の運転技術があっても、エンジンがあまりにもポンコツすぎるのでは他の車にどんどん追い抜かれてしまいます。
ということは……そのような弱い動機では、今すでに存在している無数の他の習慣の間に、新しい行為や行動を割り込ませる力がない、ということです。
そこで、何かを習慣化しようとするときに、まず十分に考えなければならないのは
「なぜ、それをやりたいのか?」
ということです。何のために、ではなくて、それを行う直接的な感情や欲求です。
自分がそれを習慣のように繰り返し行うその直接的な動機を今よりもっともっと膨らませなければならないのです。
ところが、表面的な思考に拠ってしまうとすぐに
「手段→成果」
という図式を想起してしまいます。これはある意味で思考停止なのです。
原初的不安に対抗する
とりあえず、何かを始めることはできたとします。たとえば1日、2日、1週間とか……。
何か今までと違うことを始めたときには、必ずといっていいほど
「こんなことをやって何の意味があるのだろうか?」
「他にもっと良い方法があるかもしれない」
というふうに、それを実行している自分を自己否定したくなる心理が生まれます。
私はこれを「原初的不安」と呼んでいます。
この不安心理は、はっきり言って何の根拠も妥当性もありません。
ただ、人間はこの心理が生じないようにするということが、たぶんできません。
それは、食事はするが排泄したくないと言っているようなもので、不可能です。
それで、あらかじめこの心理は必ず起こるものだという前提で考えておいたほうが良いということになります。
対策として、今やっていることに対する「期待値」をあらかじめ(ある意味無理やりにでも思い込むようにして)極限まで上げておくという対処法があります。
今習慣化しようとしていることが、未来にどんな素晴らしい効果をもたらしてくれるのかを、想像しておきます。
で、その時のコツなのですが……これは、何も客観的な、妥当性のある予測でなくてもぜんぜん構いません。
むしろ、とんでもなく自分に都合の良い想像で構いません。
それと、繰り返しになりますが、習慣化という行動様式を習慣化したいという段階では、その成功イメージというのは
「自分が得るべき外的な成果」
よりも、
「自分自身の自己イメージがどうなっているか」
ということのほうにフォーカスしたほうが良いです。
たとえば
「それを毎日やっている自分って、なんてカッコいいんだろう」
「毎日の、生きてる実感が違うな」
「そんな私って、すごい人間じゃない?」
「やば、このまま続けたら天才になっちゃう」
「周りの自分を見る目も変わってくるだろう」
「これは異性が放っておかないかも、困っちゃうね」
というふうにです。
すでに習慣化というものに慣れている場合はまた違ってきますが、今までに習慣化などできた試しがない、習慣化に苦手意識を持っている人の場合には特に重要なポイントです。
確かにこれは過大な期待であり、根拠のない妄想でしょう。そのまま真に受けろと言いたいわけではありません。しかし、
「こんなことをやって何の意味があるのだろうか?」
「他にもっと良い方法があるかもしれない」
という原初的不安も、それと同じくらいまったく根拠も妥当性もない単なる妄想なのです。
だったら、自分に都合のいい想像を用いることで、勝手に湧き起ってくる無意味な原初的不安を排除してください。
一度始めたら、もう「考えない」こと
さて、それをやる直接的な動機を先に十分膨らませておきます。
そして、上記のような習慣化の方法論に沿って、準備を整え、実行する内容を決めます。
これは実行する前にです。
そうしたら、それ以後、重要なポイントは……
⑧ それ以上、抽象的な思考をしないこと
が一番のポイントです。
ひとたび開始したなら……その後は原則として、それについて「メタ思考」してはいけません。
メタ思考すればするほど習慣化から遠ざかっていきます。
繰り返しますが、行為の動機については、それを始める前に十分考えておいてください。
そして、いったん始めたらもう考えることはありません。
その行為の意味とか価値とか、動機の正当性とか、方法論や設定した実行内容の妥当性とか……そういうもろもろの反省点は、考えたければ習慣化できた後にゆっくり考えれば良いのです。
とにかく、冒頭述べたように、あなたが本当に得たいのは、単発の成果よりも
「習慣化するという行動様式」
のほうです。
今やっていることの是非とか妥当性とか、そんなことよりも、そもそもやっている途中でいろいろ抽象的な思考をさしはさむということ自体が、習慣化という行動様式に反する行為なのです。
もちろん、何をどういうふうに習慣化するかを決める段階では、かなり注意深く考えをまとめなければなりません。
しかし、ひとたびこれと決めて、実際にそれを始めてしまったならば、そのことについていちいち考えるのは極力控えたほうがいいのです。
なぜなら……思考すればするほど自動的、機械的ではなくなるから。
「今日はうまくできた」
「今日はできなかった」
それについて、なぜできたのか、なぜできなかったか……と考えるのもダメです。
「以前と比べて何が変わったか」
「望む成果にどれくらい近付いているか」
そんなことも極力頭から排除してください。そんなことは習慣化した後に考えればいいことだと割り切ってください。
設定するレベルの最適化
習慣化に関する方法論の話で、しばしば、継続の期間について「21日理論」というのが出てきます。人間は生理的に21日間続けられたら、その後は努力しなくてもそれをやるのが当たり前になって自然に続けられるようになるといった知見です。
要するに
「21日続ければ、習慣化できたとみなすことができる」
という意味です。
あるいは、3か月、3年、他にも「習慣化に要する期間」の話がありますが、私が思うにそれは意識しないほうがいいです。
なぜかというと……そういった論の正確さとか根拠とかの問題よりも、むしろマズいのは、それを意識してしまうとその「期間」のほうが目標化してしまい、結果として習慣化の負荷を無意味に増加してしまう危険性があるということです。
「21日続ければ、習慣化できる」
と意識してしまうと、とにかく21日続ければいいんだ、21日やらなければならない……ということばかり頭に浮かびます。
これはたいてい逆効果になります。
それよりも、より重要なポイントだと思うのは、
⑨ 習慣化する行為の最適化
です。
実は、習慣化のコツである
① できるだけ小さなことから始める
……というのは、その実質的な意味はあくまで「習慣化」そのものを経験するため、習慣化という行為に慣れるためのコツであって、その後には当然に実行内容の設定自体を段階的に引き上げていくことが想定されています。
もちろん、習慣化の経験値がほとんどない段階で、大きすぎる目標を立てることは無謀です。
しかし、逆にあまりにも小さな、行動とも呼べないようなレベルの事柄を設定して、それが継続できたからといって習慣化の経験にはなりませんし、当然何の変化も成果も期待できません。
あまりにも低いハードルを設定したら、仮に習慣化できたとしてもたいした成果が見込めないということになります。
だから、結局はある程度の成果が見込めるくらいの量や質を設定する必要はあります。
ですから、事実上は初めから段階的に設定レベルを上げていくことを想定しておかなければなりません。
それと、いくら
「できるだけ小さなこと」
と言っても、行為の難易度や、一回に要する時間といった「ハードルの高さ」には、一定の
「閾値(しきいち)」
のようなものが存在すると思われます。
つまり、それ以下にまでハードルを落とし続けても、習慣化の実行率、継続率はそれ以上増えません。
要するに、ある程度の負荷は仕方ないものであって、それ以上に増やすと実行率が大きく下がるというレベルと、逆にそれ以上に負荷を下げたからといって実行率がそれ以上大きくならないというレベルの、間を取る必要があるということです。
そこで、先ほどの
「どれくらい続ければ、習慣化したと言えるのか?」
という問題ですが、必要な期間とか、実際に費やされる時間量というのは、あなたが何をやろうとしているかによって当然大きく変わってきますよね?
ですから、これについては、続けた日数や期間を基準にして考えても本来あまり意味がありません。そうではなく、もし、習慣化のゴールとして挙げ得るとすれば、それは実際にやっている行為の内容が
「本来適正だと思うレベルの質と量に至った」
という時点です。それしかありません。
モチベーションは本当に全く必要ないのか?
また、これに関連してよく起こる誤解があります。
それは、
「意志の力を使わない」
という考え方です。
④ モチベーションに頼らない
とは言いますが、これから何かをしようと思う時に、意志やモチベーションの力をまったく使わないで行うというのは想定できません。
むしろ意味が分からないです。
それは誤解です。
もちろん、すでにその事柄を習慣化した後には、もはやモチベーションなど関係ありません。
それは、あなたがすでに身につけている多くの習慣を考えてみれば明らかです。
しかし、これから特定の行為を習慣化しようとする段階では、むしろ、意志やモチベーションの力は非常に限定的で微弱なものだからこそ、必要な瞬間に限って、最大限に有効な使い方をしなければ無に帰すぞと……。
そう考えるべきです。
まったく必要ないわけではありません。
その習慣自体が目的であるような習慣化
最後に、そもそもあなたがこれから習慣化したいと思っていることが、
⑩ あなたの想定する「テーマ」に沿っている
ことを確認しましょう。
ここでテーマというのは、要するに
「あなたが自分の生活や人生の中で、最も主要な活動に関係あること」
を選ぶという意味です。
そもそも自分にとって重要な、自分にとって一番価値があると信じている内容であるかどうかということです。
当然、自分にとってどうでもいいようなことを「最初に習慣化する行為」として選択すると、実現性も著しく落ちますし、仮にその習慣化に成功しても長期的に活きるスキルにはなりにくいですから。
習慣化する、ということ自体は大変有効なスキルです。
ただし、方法論はどうあれ、最終的には、それを習慣にすることが何かの手段である内は、根本的には習慣とは呼べません。
その行為そのものが自分にとって当然であるような行為であれば、習慣化した際には、もはやそれを行う理由も、場合によってはそれを行う動機を意識することさえ、もはや必要なくなるはずなのです。
本来的な順番として言えば、もちろん
「それそのものができているということ」
「それができる状態に自分がなっていること」
そのことのほうが目的なのであって、習慣化するという行動様式を身につけるのは、その手段にすぎません。
習慣化するというスキルのほうが本来は手段なわけです。
「何でもいいから何かを習慣化できたこと」
が嬉しいのではなく、実際は
「それを今、習慣的にできていること」
が嬉しいのです。
自分がしたいこと、しようと思ったことが、いつでも自由に習慣化できるというそのことが最も大切なわけです。