神田昌典さんの「非常識は成功法則」という、成功法則の本があります。
この本は、非常に明快で分かりやすく、またおそらく過去の多くの成功法則本などの要所を確実に押さえた上で、だれもが実践しやすい形でまとめられているように思います。
読んでいて腑に落ちないような部分はほとんどない良書のひとつだと私は思います。
日本人が書いた「成功法則」なんて……と思い込んでいた頃
初版が2002年ですから、おそらく私が読んだ時点でも、10年以上前ですね……。
世の中全体がいわゆる起業ブーム、転職ブーム、そして成功ブーム……みたいな空気だった頃。
そして、私自身も成功哲学とか自己啓発本を一番たくさん読み漁っていた時期です。
で、たぶんその当時もこの「非常識な成功法則」という本はけっこう話題になっていて、相当売れたはずだと思いますが……私はそれまで、そもそも成功哲学とかって、
「海外の人が書いた、昔の名著」
っていうような漠然としたイメージがあって、実は「非常識な成功法則」 も手に取ってはいたものの、あんまり真面目に読もうとしてなかったんですね。
だって、成功哲学というとやっぱりアメリカとかが「本場」じゃないですか?
あっちのほうが……なんか未知のオーラみたいのがあるような気がするじゃないですか。ちょっと怪しいというか、怖さがあるみたいな。
だから、そっちのほうが「効く」とか思い込んでいたんですよね……何に「効かせたい」のか意味分かりませんけど(笑)
まあ、正確に言うと、よくも分からずただ有難がっていたわけです。
「非常識な成功法則」を読んだ時に、私が一番思ったこと
で、とにかく読んでみたと。
で、そこで私が実感として一番感じたことは、そのままの言葉で言うとこうなります。
はっきり言って
「オレは今まで、なんてバ力だったんだろう!」
っていうね……。
あの、これ自体は、本の内容とは直接には関係ないですよ?
レビューとかじゃありません。ただ、読んでいるうちに私自身が気付いてしまったことです。
でもこれは一種、衝撃的!だったのを今でも覚えています。
(その瞬間心に浮かんだままを書いたんでアレですけど)「バ力」……というと語弊があるかもしれません。
私が衝撃を受けたのは、もう少し正確に書くならばこういう意味です。
これまでさんざん言われているように、成功するためにはまず
「思考」
が決定的に大事だと……ずっと言われていたにもかかわらず、それまで私は
「ぜんぜん、ちゃんと思考してこなかったじゃないか!」
というね。
そのことに自分はまったく気が付いていなかったんだ、と初めてピンッと来たんですね。「非常識な成功法則」を読んでいた時に。
しかし、そこから逆に遡って考えたら実は、そんなことは多くの成功法則、成功哲学で常に、はじめっから、終始一貫、何度も何度も繰り返し言ってたことなんです。
ナポレオンヒルも、ウォレスワトルズも、ポールJマイヤーも、ジョセフマーフィーも、スティーブンRコビーも、ロンダバーンだってね……みんな、そこは共通しているのです。
そして彼らの本に出てくるたくさんの事例、過去の成功者、偉人、哲学者、科学者も……。
みんな、最初に同じことを言ってるのです。
つまり
「思考から始めろ」
と。
素直と「単純」の決定的な差に初めて気付く
要するに私は、自分が「考えている」と思っていたその「思考」が、どんだけ不足しているし表面的だったか……という自覚が(たぶん、でもまだちょっぴりだったと思いますが)芽生えるきっかけがこの本によってできたという感じです。
で、同時にその時自分のことをこう思いました。
「オレって、素直だとか言われて喜んでたけど……これって素直なんじゃなくて、
単純だっただけじゃん!」
って。
思考の「単純さ」とは、どういう意味か?
では、思考が単純である……というのは、具体的にはどういう点を指すのでしょうか?
そして、それがどうして成功できない原因と言えるのでしょうか?
先に確認しておきますと、私が思っている「思考が単純」というのは、ふつうの意味で
「頭が良い、悪い」
「IQが高い、低い」
という場合とイコールではありません。
まったく無関係ではないかもしれませんが、でもこれはおそらく、どちらかというとその人の能力についてと言うよりは、性格とか、身に付いている性質の問題といったほうが近いような気がします。
で、まず「単純な人」と言えるのは
① 早合点する
人です。
これはもう説明する必要もないと思いますが、まずきちんと内容を把握した上で思考しないと、スタートから間違っちゃってるんで、それはダメでしょう。
しかし、自分ではそのことにまったく気付けないという……まさにそれが大きな問題です。
② 一本道、一足飛びが大好き
「それ要するにこういうことでしょ」
という感じで、結論らしきものにすぐに飛びつこうとする。
いろいろな場合や、状況を気にしない。ひとつの答えを思い付くと、もう他の可能性とかどうでもいい。考慮しない。
このような傾向、私もかなり当てはまるとは思うのですが、これでは実際の問題に対処したり、成功するにしても途中で起こる細々した条件や障害を乗り越えたり、回避したりするのが難しいです。
③ 矛盾する命令や命題に対処できない
たとえば、ひとつの考え方を示されて、
「まあ、そうですよね」
という感じでいったん納得する。
でも、その後、それとは違う意見や考え方を示されると
「まあそうですよね?」
と、一応受け入れます。
互いに明らかに矛盾しているのにです!
単純な人は、そのような時どうやってそれを受け入れるかというと、ひとつのパターンは
「いろいろな考え方があるよね?」
……と言って、両論を並立させたまま保留することです。
あと、もう一つのよくあるパターンは、根拠なく新しい情報のほうを優先するという方法です。つまり、既存の知識や考えと相反するものがやってきた時には、とりあえず
「上書き」
するのです。
これはある意味非常にお手軽な方法なのですが、まったく根拠がなく、自分なりの思考の跡もなく、ただ上書きします。
これに関連して、単純な人はよく何でも「オールオアナッシング」でざっくり決めてしまう傾向もあります。
ある意味、潔いのですが……私が思うにこれは「素直さ」ではなく、思考の単純さです。
これらの性質というのは、つまり矛盾する命令や命題に対する有効な対処を思考するのではなく「思考停止」状態のままで構わない、という態度を表しているのです。
④ 自分事に引きつけて考えられない
たとえば、少し抽象的な話を聞いたときに(たとえば、成功法則や自己啓発の本はほとんどの場合、抽象的なのですが……)それを自分なりにかみ砕いて、いろいろなことに当てはめて考えるというのが、単純な人はたいてい苦手です。
最初の傾向と関連しますが、単純な人は、その抽象的な言い方に対応する、具体的な事例を1個見つけたら、それで満足します。
「ああ、それって、アレのことでしょ?」
という感じで。
そこで終わってしまうから、仮に自分にとって非常に有意義な話や考え方を聞いたとしても、それを自分の状況全般に反映できないかつぶさに考えてみることができない。
できない……というよりも、そこに行く前にやめてしまう、という感じですね。
だから、抽象的なことを聞いてもほとんど活かすことができません。
それはそれとして、ただ知識が溜まっていくだけです。
⑤ 左脳的思考か、あるいは右脳的思考のどちらかだけに偏る
これは特に私自身を振り返ったときにそう感じたんですけど……。
単純な思考をしたがる人は、たとえば
「論理だったら、全部理屈詰め」
で考えようとします。
逆に、いわゆる右脳的な思考が好きなタイプの人だったら、全部イメージ的に、あるいは感情を優先したり、ひらめきやインスピレーションといったものに頼ろうとしたりします。
実際のところは、成功できる人はおそらくたいてい、その両方をうまく組み合わせたり、場面によって使い分けたりしているのです。
⑥ 同じことを継続的に考えられない
ある程度自分なりに思考すると、
「もういいや」
ってなります。
そして、すぐ忘れてしまいます。
同じ課題や問題に遭遇すると、前に考えたことはもう「ないも同然」なので、同じことを最初から考え直さなければなりません。
それでも、自分なりに一定の結論らしきものが出せればまだマシかもしれないのですが……たいてい、
「前と同じところで思考は止まります」
そして、しばらく経つと忘れ。
この繰り返しで多くの時間を取られてしまうのです。
⑦ 自分自身が思考した結果、結論を自分が信じていない
最後は、他の項目ともそれぞれ関連しますが、単純な人は、おそらく根底では自分自身の思考というものを
「自分で信頼していません」
もちろん、自分の考えに完璧さを求めすぎたり、あるいは、無条件に固執し続けたりする態度も良くないですが(それも一種、思考の単純さから出てくる傾向だと私は思いますが……)。
しかし、原則として、自分が思考した内容とその結果について、自分自身が一定の信頼を置けるようでないと、それこそ
「思考は現実化しません」
これはどのような意味であれ。
これを裏面から言うと、少なくとも自分自身が
「確かに、自分なりにしっかり考えたのだ」
「今思考し得る範囲で、私はちゃんと考えた」
という、自分でしっかりした観念というか確信というか?
それが持てないということは、あなたはまだ「ちゃんと」思考してはいないと。
単純な人はそもそもこれが苦手、苦手と言うよりたぶん嫌いなんですよね?
私もそうだった気がしているのです。だから、たくさんの自己啓発本を読んだのに
「ふ~ん」
で、
「もっと他に、いいのないかな~」
……という感じで、まるで映画か小説でも見るような気分でやっていた。
この自分の単純さを「素直さ」だと勘違いしているのは、はっきり言って「イタイ」ですよ……。
「シンプルに考えなさい」という言い方について
ところで、世の中には
「シンプルに考えたほうがうまく行く」
みたいな本とか、そういう言い方をする講師の方もいらっしゃいますよね。
私なりの解釈でしかないのですが……これって、実は決して思考の単純さを推奨しているわけではないと、私はそう捉えるようにしています。
こういう言い方は、まず、もともと物事を複雑に考えようとし過ぎて、自分でもコントロールできなくなっちゃっている場合とか、思考の迷宮みたいな部分に捕まってしまって、結果行動に対して過剰に憶病になっているとか、そういう人に向けて発している言葉だと言えます。
たしかに、現代人は一面ではそういう傾向がありますからね?
つまり、これもひとつの
「思考の手法」
なのです。
複雑になり過ぎて行き詰まったときに、それを解消する方法のひとつです。
あるいは、行動と組み合わせて使えないような「思考のための思考」に陥っている場合の。
単純な人ほど、こう考えています・
「あ、シンプルでいいんだ。じゃあもう考えるのやめよっと」
それが、唯一の正しい方法だと、一足飛びに結論していることがすでに単純なんだと私は言いたいわけです。
この世界の、真理、真実はいたってシンプルなのだという言い方もありますね?
なるほど、世界の真理は実は単純でしょう。
しかし、この世界の現実は、もっと複雑で美しいものでしょう?
この複雑さと美しさは、実は真理が単純であるがゆえに備えられたものです。それはむしろ、真理の単純さによって支えられているものです。
……と私自身はイメージしています。
素直さと、単純さの決定的な違い
私が思う「素直な人」というのは、むしろ
「素直じゃないものも含めて、幅広く現実とか多様な人々の考えや感情などに目を向け、それを知っている人」
です。
「知った上で、それでも原則や本質に忠実でいようと決意している」
ような人です。
つまり、素直さとは実は
「子供のような純真さ」
とイコールではありません。
もちろん、それは土台として無ければならない必要条件ですが、本当に素直な人とは、
「その上で、自分は常に素直でありたい」
という信念を築き上げることができた人。
つまりこれは、後天的な資質に近いのです。
イメージとして分かりやすく言うと、素直かどうかというのは「心の問題」であって、それに対して単純かどうかというのは「頭の問題」なんです。
両者は似て非なるものだったのです。