自己啓発本などに書かれている内容は、効果がはっきりしないどころか、むしろそれを読んだり実践しようとした人にとって大きなマイナスとなることを強調する説も見られます。
成功法則は利己主義・個人主義……?
自己啓発的な理論は、前提として
「個人の利己的な欲求や願望を最大限に拡張しようとしている」
といった指摘があります。
これは一理あるかもしれません。
成功法則、成功哲学といったものが代表的ですが、そういったものはそもそも
「利己主義的」
「経済至上主義的」
「拝金主義的」
な思想や考え方、態度を積極的に肯定し、助長するものだというような考え方をする人はおそらく多いのではないかと思います。
というか、成功法則などというものはそもそも、こういう偏ったイデオロギーが正しいものだという前提に立って作り出されたものであって、本人には悪意がなかったとしてもそのような情報に触れていると人格に悪影響を及ぼすのです。
そういった偏った価値観が人間としての究極の理想であるかのように思い込むからです。
それでは、むしろその人間は不幸になってしまうわけです。
個人のレベルにとどまらず、そのような行き過ぎた個人主義や利己的な価値観が知らないうちに正当化されて蔓延すると、社会的に必要な精神や素養が欠如した人間を多く作り出します。
果ては、人間としての自然な情愛に基いた互いの信頼関係が希薄になり損なわれていきます。
共同体としての秩序や調和を崩壊させることにつながります。
……と考える人もいます。
成功するのは「利己的」なことか
このような議論は主義主張の衝突になるので、やはりかんたんに結論は出ません。
しかし、私個人の考えからすれば、あまり賛成できません。
というのは、この論は自己啓発とか成功哲学といったものに対する批判というよりは、そもそも
「個人が成功を目指すこと」
自体に異を唱えているように感じるからです。
それと、もう一つは、私の考えでは、個人が成功を目指すことは
「究極の目的」
とは言えないからです。
前に「目的意識は階層化できる」と書きましたが、人生全体の目的、あるいは自己啓発を行う目的には、個人的な成功というのも確かに含まれていますが、それだけというわけではないし、そもそもそれは最上位の目的ではありません。
ただし、個人の成功というのは私の考えでは人生の目的全体の中に、最上位ではないけれども必ず含まれているべきものです。
「成功」というものの意味をどうとらえるかという問題は別に存在しますが、成功すること自体は利己的であるどころかむしろ人生において
「絶対必要」
なことだと言っても過言ではありません。
なぜなら、成功したという経験、その実感が満たされなければ、人間は本当の意味でその上位の欲求や、上位の目的によって自覚的に行動できないからです。
各論的には議論の余地がありますが、前提として、個人が成功しようとする意思そのものを否定することはできません。できません、というかそれのほうが「利己主義が云々」というよりもっと悪い思想だと私は考えているのです。