人はふつう物事を
「忘れないように」
するにはどうしたらいいかということばかり気にするものですが、実は要領よく
「忘れる」
ということが意外に大切です。
ただ多くの人は忘却というのは自然に、ランダムに起こるものだと考えているかもしれません。
もっと積極的に、あるいは意図的に忘却を引き起こすような内面的な処理ができたら有効なのではないでしょうか?
思考の整理整頓
意図的な忘却の方法を考えるには、物理的なものの整理整頓の方法論に準じて考えるのが良いでしょう。
それは、たとえば不要な書類をまとめて捨てたり、パソコンに残っている使わないファイルを削除したりすることに似ているように思えます。
すると、ふつう物の整理をするというとき私たちがしばしば経験するのは
① 捨ててしまってよいのかどうか判断に迷う
② 捨ててしまって後で必要になるかもしれないと不安になる
という点ではないでしょうか?
この点をクリアすれば物事はたいていは難なく整理できるでしょう。
そこで、思考について問題にする場合、ある情報を捨ててしまってよいかどうかは前に述べたように、それが何らかの行動や内面的な変化に関係するかどうかを基準に判断すればよいことになります。
きっぱり言えば、それ以外は要らない情報とみなすことができるわけです。
耽りの定義
もちろん、たとえ思考の対象にならないとしても自分にとって好ましい知識や情報、あるいは取っておきたい記憶というのもあるでしょう。
忘れたくない出来事や、思いを巡らせるだけで楽しくなるような関心事などです。
それを大事にとっておくことまで否定する必要はありません。
けれども、それは思考という行為とは無関係であるということを自覚する必要はあるでしょう。
ここでは、直接に思考につながらない知識や情報について思いを巡らせたり、自分の記憶を辿ってみたりすることを
「耽り」
と呼ぼうと思います。
一般にも
「物思いに耽る」
といった表現を使うことがありますが、このような行為はここで言っている意味の
「思考」
とは明らかに違う精神活動です。
比喩的に言って、「気付き」をもたらすような知識や情報というのは実用性や機能性に優れた製品のようなものです。
それと比較すると「耽り」の対象となるのはいわばお気に入りのキャラクター商品のような存在と言えます。
はっきり言って、それが実際にどれほど役に立つかどうかなど……本人にとっては大きな問題ではないわけです。
とにかく、それをいつも身近に飾っておきたいのです。
耽りの意味
耽りの対象は思考という作業を通して得られる実利すなわち
① 行動の選択
② 内面の変化
に直接結びつくのではないけれども、自分にとって愉悦や満足をもたらしてくれるという意味で大きな価値があると言えます。
何か物思いに耽るときの気分を思い出してみましょう。
それはあなたにとってとても愉快な、悦楽的な面があることは否定できないでしょう。
思考遊戯とともに、耽りというのも一種の精神的娯楽となるものですから、排除することは困難だし有益とも言えません。
手放すのが惜しいと思うものは大事に持っていて差し支えないでしょう。
ただしやはり思考とは切り離しておくほうが明確です。
つまり注意すべきことは、耽りをもって「思考している」と錯覚しないようにするということです。
私たちは通常
「物思いに耽っている」
というのと
「考え事をしている」
あるいは
「考えている」
といった言いかたは大差ない言葉遣いだと考えています。
また、実際に何かと思考しようと思っていたのに、いつの間にか耽りに陥っているというようなことがひんぱんに起こります。
非常に混同されやすいけれども、思考以外のものが思考という範疇に混在すべきではありません。
オーバーストック
ところで、
「耽り」
の対象となる知識や情報よりも、むしろ真っ先に捨てなければならないのは、本人に特に何の愉悦も与えず、飾る場所もないのに頭の中に置きっぱなしにしている
「不良在庫」
のような知識や記憶です。
つまり、気付きの対象にもならず耽りの材料にもならない知識です。これは少なくとも今あなたが何かを思考しようとする場面では極端に言うと
「がらくた」
に近いということです。
これをまず思い切って処分してしまいたいところです。
しかし、人間の意識というのは実際には完全に捨て去る、あるいは消し去るということはできないようです。
また、別に完全に記憶を消去するとかいう必要もないでしょう。
なので、ここで述べている問題はどちらかというと
「顕在意識をクリアにしておくこと」
にポイントがあるように思われます。
つまり、今必要でないことが意識の表層に勝手に湧き起こってくるのを避けたいという意味です。余計な事柄が自然に思い浮かんできて、思考を妨げられるようなことがなくなれば良いのですね。
パソコンで言えば、ハードディスクの容量とか内部データの整理というような複雑な問題ではなくて、単に
「デスクトップの整理」
という問題に近いです。
いつもいろんなことが意識の表層に勝手に現れるから思考に負荷がかかり、速度も落ちます。だから必要のない記憶はどこか目に入らない場所にしまっておけばよいというわけです。
人間の記憶はたいてい必要になったら思い出せるようにできていると言います。
ただし、思い出せないからといって別にそれほど恐れる必要もありません。なぜなら後で必要になる情報は、おそらくその時点でさらに更新された状態であらためて外部からももたらされる可能性のほうが高いからです。
現代は情報が乏しくて判断できないという時代ではないからです。
求める術を知り、必要に応じて探し求めればたいていの情報はすぐに手に入ります。
しかも情報はすぐに古くなります。
常に更新されます。
その前提では、不要な情報はどんどん消去(格納)していくほうが原則と言えます。
情報は蓄積するものではなくて、処理するもの
上に述べたように整理整頓に関する大きな問題は
① 捨ててしまってよいのかどうか判断に迷う
② 捨ててしまって後で必要になるかもしれないと不安になる
という点です。
現在、知識や情報をキープしておくことに注力するよりも、新しい情報をいかに早く大量に処理するかということのほうが格段に重要になっています。
また、むしろそうすることで本当に貴重な情報などもよりはっきり見えやすくなるでしょう。
けれども、そうは言っても
「もしこのチャンスを逃したら二度と出会うことはないのではないか?」
というような貴重な情報だったらどうするのか。
……と訝る人もいるかもしれません。
けれども想像してみてください。
そんなものが今あなたの周囲にそれほど散在していると思うのは現実的でしょうか?
むしろ、捉え方としては
「情報そのもの」
が貴重なのではありません。たいていの場合、情報というのはあなたの思考に用いられることによって初めて価値が決まるものです。
そして、もし本当にそんな稀で貴重な情報であったなら、むしろそのままでストックしておくことは非常にまずいやり方ということになりませんか?
その価値が低下する前に、最優先でそれについて思考すべきであり、わずかな時間でも保留している場合ではないでしょう。
情報は保管しておくものではなくて消費するものです。
情報は蓄積するのではなくて、処理していかなければならないのです。
そして、重要な情報ほど早く処理しなければならないと言えます。