「Win-Win」の関係とは、相手との取引や関係そのものなどが、一方的ではなく
「どちらにとってもWin(勝ち)であるような状態」
ということですよね?
「Think Win/Win」をどのようにイメージするか?
「7つの習慣」の中では、第4の習慣として
「Think Win/Win」
が挙げられています。
ご存知の方ももちろん多いでしょう。
あなたは、それについてどのようにイメージしているでしょうか?
……と聞かれたとすれば、おそらく、たいてい次の5つくらいのパターンが考えられると思います。
① 互いの需要を満たす
たとえば
「ビジネス主と顧客」
「雇用主と従業員」
など、一般的に多くの関係において当てはまりますが
「相手の需要を満たすこと」
あるいは
「一定の価値を提供すること」
そのものが、すでにWin-Winという条件を満たしていると考えている人もいるでしょう。
言い換えれば、互いの需要のマッチングが大切で、マッチングがうまくいけば互いに利益を得る関係になるから、Win-Winと言えると。
あるいは、需要と供給のバランスが「価格」を決定するのだから、その需要に見合ったモノやサービスを供給すれば、そこに一定の「利益」を上乗せしても悪くはない、という考え方とも言えます。
「お客さんも喜んでいるし、こちらも儲かる」
「会社が儲かれば、君たちへの待遇だって良くなる」
というわけです。
おそらく、現実にはこの考え方が最も一般的かもしれません。
ただ実はこれは、実態としては「Win-Win」になっていない場合も含まれる可能性があります。
しかしそれを主観的に「Win-Win」として見る、あるいは、そう見えるようにすることは可能です。
② 多様性に注目する
仮に、みんながまったく同じ価値観を持って、均しく同じものを求めようとするなら、必然的に奪い合いになってしまうのかもしれません。
しかし、幸いなことに現実には、私たち個人個人のそれぞれがその時点で認識している
「自分にとっての目的やメリット」
というのはバラバラで、多様性があります。
他者と自分の「違い」に注目することで、必ずしも奪い合うことなく、互いが相手の望むものを差し出すことによって「Win-Win」の関係は実現可能。
……そういうふうにイメージしている人もいると思います。
これはある意味現実的で、正しい考え方と言えるでしょう。
ただし、実はこれも「Win-Win」に見えるかもしれないけど実態は
「Win-Win or No Deal」
「Win」
など別の意味を持つ可能性はあります。
あるいは、故意に必要な情報を与えないとか、自己責任の名のもとに事実上
「Win-Lose」
の状態なのに、「Win-Win」かのように見せかけるという状況もないとは言えません。
③ あえて目的をずらす
自分にとってのメリットやベネフィットに対する
「見方を変える」
ことで「Win-Win」の状態を作り出すことができると考えている人もいるでしょう。
いわゆる「損して得とれ」を地で行く考え方です。
たとえばですね。
自分と相手が、互いにこの一回の取引について単純に
「より多くの(直接に金銭的な)利益を得よう」
と考えたとすれば、
「値引きしてくれないか」
「いや無理です」
「そこを何とか」
「いやウチもぎりぎりでやってますんで」
という折衝が延々と行われるだけですよね?
このように、自分と相手がまったく同じ「土俵」の上で互いに譲らなければずっと平行線です。
でも、現実にはどこかで妥協点を見つけるものですよね?
「じゃあ今回は特別サービスしますんで、また今度もウチで決めてくださいよ」
とかね?
ここでいったい何が行われているかというと、自分か相手のどちらかが、そのステージから降りているんですよね?
でも、そこではない、何か別の側面から見た、自分なりのメリットやベネフィットを得ることで納得しようとしているわけです。
たとえばさっきの例でいうと、
「また今度もウチで決めてくださいよ」
と言っている側は、今回のこの取引のステージでは相手に勝ちを譲るけれど、同時に何か他のメリットを得たことで、トータルで見れば実際は得をしていると。
「取引の継続性」
「長期的な利益拡大」
「交渉上の優位」
たとえば、こういった何か別のものを自分のメリットだと捉え直すことによって。
これは、当初想定していた利益を逸失したという意味では、現実には「Lose」しているわけですが、その代わりに 、結果的に「Win-Win」の状態を作り出すことに成功した、と言えるわけです。
このように「目的をずらす」あるいは「視点を変える」ことによって互いの利益やメリットを引き出すこと。
それによって合意や取引を成立させるやり方。
これは、ビジネス上ひんぱんに見られますが、それだけでなく、たとえば友達同士や職場、あるいは男女関係においてなど、いたるところで同じように起こっている現象です。
ただし、実はこれは、やはり当初の目的から見れば実態として
「Lose-Win」
であることは変わっていないのです。
それを自分の視点を変えることによってはWin-Winに見えるようにした、ということですから。
あるいは、交渉や説得、誘導などによれば、逆にそのような視点を相手に持たせることで実質的に
「Win-Lose」
の状態を作り出すことも可能ですよね?
④ 第三の案を発見する
どちらかがその目的をずらしたり、視点を変えることによって相手に合わせるという方法ではなく、現時点で衝突、矛盾を引き起こしているお互いのもともとの意向や目的を修正するのでもなく、なおかつその衝突、矛盾を乗り越える
「第三の案」
を模索することでWin-Winに至る場合があります。
これはつまり、既知の方法論や、慣習的な手順とは違う、何か新しいものや発想を創造することです。
それを可能にするのは、ある時には「技術革新」であったり「パラダイムシフト」であったり、新たな「需要創出」であったり……します。
また個人間でもそれは可能です。
……その有力な方法のひとつが「自己啓発」であったりするわけですが。
あるいは相手に訴えかけることによって、互いの立場を超えて、幅広く意見や情報を求めたり、ディスカッションやブレインストーミングを続けたりすることができるでしょう。
たとえば、一人で独自に考え続けるだけでなく、複数の人々がこのように知識を持ち寄り互いに交流することによって、新しい発想やアイディアが生まれる確率は何倍にも増加すると考えられています。
⑤ 一体となる
最後にもう一つ考えられるのは、こういうのです。
そもそも自分と相手という2つの立場があるという前提で見るから
「Win」
「Lose」
という結果が起こります。
自分と相手が、もともと立場を一にする
「一体の存在」
だったとしたら、この問題自体を論じる前提がなくなりますよね?
ただし、これはあくまでその「一体の存在」の、内部での話としてです。
それの、さらに外部との関係においては(さらにそれをも「一体」の中に取り込めば別ですけど)、依然として
「Win」
「Lose」
という結果が起こります。
さて、ではこの「一体の存在」の内部にいるあなたや私という個人どうしは、実際のところ相手から「Win」も「Lose」 も得ていないと言えますか?
たとえば、あなたの家族や、親兄弟、あるいはごく親しい仲間内……といったものを想像してみてください。
そこに属する各個人は、互いにその内部の他の人たちから何も得ていないでしょうか?
……と想像してみると、実はそんなことはありませんよね?
彼らがその内部にいてくれること、それ自体があなたに多大なメリットをもたらしているということはすぐに分かりますよね?
ということは、つまり
「一体である」
というそのこと自体が、すでに「Win」なのであり、その内部での互いの関係はいわばすでに無条件に、先験的、自明的に
「Win-Winの関係」
でしかあり得ない……と表現することも可能ですよね?
さっき、上記の③のところで、
「自分か相手のどちらかが、そのステージから降りている」
と言いましたが、ここではそのイメージは
「まるで、双方が対峙していたそのステージそのものが高まりながら大きくなっていく」
というように表現できるかもしれません。



「Win-Win」は進化し、拡大する
7つの習慣では、第4の習慣は「Win-Win」の関係を考えることです。
もちろん、上記の5つの「Win-Winのイメージ」は、それぞれが場面場面で有効な知恵であって、 基本的にはどれも、別に悪いというわけではありません。
ただし、7つの習慣で言われているところの「Win-Winの関係」というのは本来、このような順序で
「より本来的な像へと進化していくもの」
「常に向上しながらより多くの人々を巻き込んで拡大、発展してゆくべきもの」
というような大きな方向性を含んだものとして想定されていると言えるのではないでしょうか?
なぜなら、私たちはそうすることでしか、本来の意味でゼロサムゲームの価値観と競争原理という発想の呪縛から自らを解放し、より大きな、核心的な価値を生み出す機会を得ることはできないからです。
そして、このような意味で、いわば進化するWin-Winを実現しようと意図した場合にこそ、まさに7つの習慣で言われるところの
「相互理解(第5の習慣)」
「相乗効果(第6の習慣)」
の重要性もひときわ際立ってくることになるのです。