前の記事までを少しまとめますと、パーキンソンの法則によれば、人間は自然な状態では
「低すぎる目標」
が与えられると、それに合わせて自分の意欲や能力を出し惜しみする方向に行動します。
よって、自分にとってある程度「高い目標」を設置する必要があります。
ただし「目標設定理論」に沿えば、目標の高さ(難易度や期限)は、それを実行する本人が積極的にコミットできる限度までであればより高い成果が期待できますが、それを超えた著しく高すぎる目標を設定しても、それを受け入れることができないため高い達成意欲は生まれず、成果も期待できません。
さて、この原則に従えば、たとえば会社の業績とか、部署全体での到達目標といった観点で言えば、全体としては平均実績よりも少しだけ高い目標を設定したときに、おそらく全体の、つまり総計としての成果や仕事量は高くなることが期待されます。
つまり全体として見ればそれが最も生産性の上がりやすい、良い目標設定と言えるはずです。
あなた自身の成果のために
しかし、たとえばあなたという一個人だけに注目した場合にはどうでしょう。
実はまず、たとえば客観的な平均を取ったような目標設定だと、それによって個別に「あなた」の生産性が最も上がるという保証は必ずしもないことになります。
つまり、あなたがその目標を達成する確率が上がるかどうかは分からないということです。
仮にあなた自身がむしろその目標のせいで意欲をなくし、本来可能だった成果よりも低い結果しか出せなかったとしても……それを補って余りある成果を他のだれかが積み上げることによって、全体としての成果はより大きくなるから、全体としては妥当なのです。
ただし、それはあなた個人の成果を最大化するという意味ではないのです。
なので、ひとつの考え方としては、現実的には、あなたに対してはあくまで「あなた用」の、あなたが少し頑張れば手の届きそうな目標を設定することが最も効果的だということになるでしょう。
……あなたが平均的な、典型的な行動パターンをすると仮定すればですけど。
人間には自由意志がある
一方で、先に述べた「目標設定理論」で名高いエドウィンAロック博士は他にも多くの分野で研究成果を発表していますが、その中には、いわゆる「決定論」の誤りを指摘し、人間の自由意志の存在を強調しているものが見られます。
また、博士は巨大なビジネスの創業者や経済的成功者が持つ心理的特徴として
「エゴイスティックな情熱」
あるいは
「利己的な愛」
といった観点を否定的な意味ではなく、むしろ一種の美徳として挙げたりもしています。
私が思うのは……全体として、平均値として語る場合と、あなたという個別の欲求や価値観や心理を持った一人の個性が目標達成に関して語る場合とではその前提が大きく変わってくる可能性がないだろうか? ……という点です。
まず私はむしろおそらく、そもそもその個人にとって
「ちょうど良い目標の高さ」
というのは、原則的にはその人の業務の実績やスキル、過去の経験などによってある意味客観的な「ちょうど良さ」が決定されるように思われますが、それと同時に、たとえばその個人が
「今は調子が良いと感じているかどうか」
「自分はツキに恵まれていると感じているか」
「目標未達成をどれくらい嫌っているか」
「周囲の他人と比較したり、競い争う気持ちが強いかどうか」
……といった内面的、精神的な特徴によっても大きく変化するのではないかと感じます。
あるいは、そもそも目標を設定し、自ら主体的に達成に向けて努力するという
「思考パターン」
「行動パターン」
に慣れているかどうかという点もかなり影響するはずです。
一般的な目標設定、目標達成に関する理論は
「高い目標を設定したほうが、パフォーマンスも高くなる」
という全体的な傾向を示唆してはいますが……あなたや私という個人にとっては、そもそもそれ以前の前提としていわば
「高く明確な目標を掲げることのできるような人間になる」
あるいは
「高い目標を課すに値する人物になる」
ことのほうが重要で、それが高い成果を実現する前提なのではないでしょうか?
その達成を信じられるような目標が必要
自分自身に関する個人的な目標達成を前提とした場合、いわゆる「スマートの法則」について、私は個人的に少しだけ改変したいところがあります。
少なくとも、自分が設定する自分のための目標に限って言えば
「その目標が今の自分にとって高い目標なのか、低い目標なのか」
がほとんど主観によることになります。
言い換えれば、その目標が
「達成可能(Achievable)かどうか?」
は本人の考え方、感じ方によるところが大きいのです。
たとえば、代表的な成功哲学書のひとつである ナポレオンヒルの「思考は現実化する」の中では、そもそも
「自分の目標や願望を明確にし、それを絶対に実現できるという信念を固く持つこと」
が必要だという趣旨のことが述べられています。
……当たり前ですけど、実現できると予想される程度の目標を持ちなさいなどと言っているのではありません。
これは多くの代表的な成功哲学、成功法則において広く共通する基本的な考え方です。
仮にこれを認めるならば
「Achievableである」
というのは、あなた自身が
「これはAchievableであるに違いない」
と信じることができると言うのとほとんど変わらないですよね。
「Achievableである」
というのは
「Bilievable:達成できると信じられる」
と同義なのです。
個人にとって重要なもう一つの要素
もう一つ、個人がその目標を達成する意欲を最大限に引き出し、その成果を最大化するのに必要だと思われる条件があると思います。
それは、本人が
「それを達成することには自分自身にとって大きな価値がある」
と思っているということではないでしょうか?
……この点では、会社などで課される目標というのは(建前はどうあれ)十分とは言えない場合も少なくありません。
たぶん、であるからこそ「SMARTの法則」に含まれていないのかもしれませんね。
しかし、自分自身に関しては違います。
人の意欲とか期待できる成果というものは、実施する本人がその行為にどれほど
「価値」
「意義」
「やりがい」
などを感じているかによって決定的に変わってくるはずです。
「Worthwhile」
という語は、やりがいがある、自分にとってふさわしいといった意味の言葉です。
自分にとっての目標は
「Worthwhile:自分に合った、自分にとって意義のある、やりがいのある」
ものでなければならないのです。
ですから、この場合は「SMARTの法則」じゃなくて
① S(Specific):具体的かどうか?
② M(Mensurable):測定可能かどうか?
③ B(Bilievable):達成できると信じられるか?
④ W(Worthwhile):十分な意義があるか?
⑤ R(Result-based):成果に基いているか?
⑥ T(Time-line):いつまでにやるのか?
……とするべきです。
つまり
「SMBWRTの法則」
になります。
どうやって読むんじゃ?
……スマートじゃなくてごめんなさい。